美春の居場所

「……正直、外れて欲しい予想だったけどね……」


 つくづく、あの人とは気が合うようだ。


 竜道院邸の広い廊下に一人、隠形の結界の中で気配を殺している静夜は、ダミー人形から聞こえて来る音声をインカムから聞いて、憂鬱なため息を漏らしていた。


 最初から、あの話し合いの場に静夜はいない。案内役の家政婦の眼を盗んで自身をダミー人形とすり替え、現在彼はこの広い屋敷の中を探索している。


 今話し合いの場で大人しく座っている人形は、特殊な術によって静夜の姿を投影させたハリボテで、静夜が自らの法力で外見を取り繕い、妖花が呪符を仕込んで、ラジコンのように操っているのだ。現場の音声は人形に持たせたスマホから静夜の耳についたインカムに届くようになっており、発言を求められてもインカムのマイクから適切な返答が出来るようになっている。


 静夜の力と技術では、高度な式神や、自律的に動く分身などを作ることは出来ず、見た目もよく観察すれば本人ではないと分かってしまうほどに粗雑だが、妖花が暗示を掛けて本物らしく見せているおかげで、未だバレることなく、静夜は竜道院邸の中を歩き回っている。


 概ね、今朝妖花と話し合った通りに、作戦は進行していた。


 立派過ぎるほど大きな建物の中を探し回って、静夜はいくつかの部屋を覗き見て行く。

 目的のその人物は屋敷の奥の端の客間で、静かに眠っていた。


 竜道院美春。


 舞桜の実の母親にして、舞桜を殺そうとした張本人。

 薄暗い部屋の真ん中で、布団に寝かされた彼女は身動き一つしない。呼吸もなく、拍動もなく、しかし生気はあって、魂がその身体にまだ残っているのを感じる。生きている。彼女はまだ現世に居る。


 それと同時に、美春の中に巣食う強力な妖の気配もやはり消えてはいないことがすぐに分かった。


 本当に彼女はあの夜の時のまま、舞桜に桜花刈で斬られた時のまま、全てを止めて動いていない。


 さらに詳しく状態を調べるために手を伸ばそうとして、静夜は持ち上げた腕を止める。

 彼女を囲んでいる結界の存在に気付いたのだ。


 結界の術には静夜も覚えがある。あの京天門絹江ほどではないにしろ、目の前の結界がどのような性質を持つのか、それを見破るのはそう難しくない。


「……これは、外から美春さんを守る結界じゃなくて……」


 むしろその逆。美春を囲う結界は中のものを閉じ込めるための結界であった。


 おそらく、何らかの要因で妖が美春の中から出て来た時に、屋敷やそこで暮らす自分たちを守るためにこの結界を選択したのだろう。


 その時、静夜はこちらに近付く人の気配を察知した。

 不用意で隙だらけの足音が二つ。竜道院家の陰陽師ならこのような足音にはならない。この家のお手伝いをしている家政婦のものだ。


「……はぁ、やっと休憩かぁ。やっぱりお客さんがおるといつもより忙しいなぁ……」

「一応言うとくけど、これもちゃんとした仕事なんやで? いい加減にしとるとまたお局様に怒られるで?」


 話し声は徐々に近付いて来る。静夜は隠形の結界をさらに強くしてその場にとどまり、二人をやり過ごすことにした。

 すると、二人の若い家政婦は、静夜の後ろの襖を開けて美春の眠る客間に入り、部屋の隅に腰を下ろすと、ゆっくりくつろいで休み始めてしまった。


 静夜の身体は驚きと緊張で硬直する。しかし、幸いにも二人は静夜の存在に全く気付いていなかった。


「それにしても面倒やねぇ。奥様の見張りなんて、いくらウチらが住み込みの家政婦でも、二十四時間交代とか勘弁してほしいわぁ……」


「せやけど、黙っとるだけまだマシやん? 毎日毎日細かいことでいろいろ言われて敵わんかったさかい、静かになって良かったわぁって、先輩たちもみんな言うてはるよ? まあ、見張りが深夜の担当になった時は苦痛やけど……」


「せやな~、それさえなかったら完璧なんやけどなぁ……」


 和室には似合わない最新の暖房家電で冷えた手先を温めながら話す二人。奥様とは間違いなくこの部屋で眠る美春の事だろう。


 静夜はその場を動かず二人のおしゃべりに耳を傾けた。


「こんな言い方するんもアレやけど、今回の事件といい、あの娘さんといい、ほんま、この人はこの家に厄介事ばっかり持ってくるなぁ。……亡くなった前の奥様の後釜ってだけでも十分嫌われ者やったのに、ここまで来るとさすがにちょっと可哀想に思えて来るわ」


「ねえ。……でも最初の頃は、潰れかけの実家の都合で無理矢理嫁に出されたって噂もあってみんな同情しとったらしいで?」


「あ、それウチも先輩から聞いたわ。せやけど、この人もこの人で才次郎様に気に入られようと必死に媚を売っとったんやろ? それで先輩たちからも白い目で見られるようになったって聞いたわ」


「そうそう。それに星明様や紫安様にまで取り入ろうとして、滅茶苦茶可愛がっとったらしいやん? それで、まだ幼かった紫安様はすっかり懐いちゃって、あんなシスコンに育ってしもうたんやて」


「まあ、この人もあの娘さんも、顔は、綺麗やからな」


「あはは、顔は、な」


 憚ることなく高笑いする二人の家政婦。薄暗い部屋の中で彼女たちは手鏡を取り出しメイクを直し始めた。


「あの母娘も必死やったよね、才能ないのに必死に努力して、星明様や紫安様みたいな立派な陰陽師になろうとして、外から家庭教師みたいな人まで付けたこともあったし……」


「ああ、あったね、そんなこと。ウチがここに入ったばっかりの頃は、毎日二人で呪符を投げる練習しとったわ。全然上達してへんかったけど、……ふふふ」


「笑ったらあかんって。しょうがないやろ? 父親は同じでも母親が違うんやから。この人なんかと比べられたら、死んだ前の奥様が可哀想やって」


「……前の奥様ってそんなにすごい人やったん?」


「うん、ウチも話に聞いただけやけど、なんでもあの京天門絹江様の大親友でライバルやったらしいで? 槍を持たせたら貫けないものはない。絹江様の結界を破れる唯一の矛、『雷槍の乙女』って、結構有名やったらしいで?」


「雷槍?」


「今、紫安様が使ってはる槍は、奥様の形見なんやって」


「へえ、それは知らんかった」


「それに比べたら今の奥様はちょっと呪符が使える程度で、陰陽師としての実績もほとんどなかったし、比べ物にならんって。変な法具に手ぇ出して体を妖に乗っ取られたんも、結局はこの人の力不足やし、ほんま、自業自得でウチらを巻き込まんといて欲しいわ」


「ほんまやな~……、それで娘さんの方は憑霊術やろ? 霊媒体質ってだけでも面倒やったのに、誰も期待してへんから、大人しくお嫁に行ってくれた方がずっと平和やったのになあ」


「お兄様方もそうやけど、羽衣様はそれに輪をかけて凄いから、自分もすごい力を手に入れたら、ちやほやしてもらえると思ったとちゃう?」


「噂聞いた? あの子、それでここの当主と首席の座を狙うんやって。協会の人にそう言うたらしいで?」


「嘘やろ? そんなん絶対無理やって。アハハハハ!」


「身の程弁えろって感じやな。アハハハハ!」


 二人の若い家政婦は笑い合う。静夜は気付かれないように、そっと襖を開けて部屋を抜け出した。

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