第4話 逃げ出した場所

決闘の相手

 出町柳でまちやなぎ駅から徒歩数分、下鴨神社しもがもじんじゃこと賀茂御祖神社かもみおやじんじゃの近くにそのお屋敷はある。

 竜道院邸の門構えは、昨日訪れた京天門のそれに負けず劣らずの壮大さで、少し年季の入った瓦や木目から、より厳かな迫力を醸し出していた。


 約束通りの時間に門は開き、結界に拒まれることもなく三人は招き入れられる。

 着物を着たお手伝いの女性に案内されると、広い和室には竜道院羽衣を筆頭に、功一郎氏、才次郎氏、星明、紫安の五人が静夜たちを待ち構えて座っていた。


 部屋の右手には京天門匠と蒼炎寺の三つ子が並んでいる。決闘の内容や条件が如何なるものになるか、見届けて報告するように言い遣っているのだろう。この人選を見る限り、両家はこの話し合いに何らかの意見や反論をするつもりはないようだ。諦めているようにも見える。


 そして、この部屋に舞桜の姿はなかった。


「……さて、まずは何から話すべきかの?」


 挨拶と前口上を軽く済ませると、最年少であるはずの羽衣は自然と場を仕切り、話し始める。誰も口を挟む者はいなかった。


「……そうじゃな、まずは双方の要求を改めて確認するとしよう。……星明」


 呼ばれた従兄は「はい」と答えて彼女の補佐をする。功一郎氏と才次郎氏はただ黙って座っているだけだ。


「あなた方、《陰陽師協会》の要求は、京都支部設立の承認と竜道院美春ならびに竜道院舞桜の身柄の引き渡し。以上の二つでよろしかったですか?」


「はい。変更はありません」


 妖花は凛と声を張り上げる。星明は穏やかに続けた。


「それに対する我々《平安陰陽学会》の要求はただ一つです。……《陰陽師協会》の関係者は全員、例外なく京都の地を離れ、二度と足を踏み入れないと約束して頂きたい」


「え?」


 声を漏らしたのは、妖花の隣に座る栞だ。


「ぜ、全員ってことは、静夜君も?」


「無論です。彼も《陰陽師協会》の一員として仕事をしているのですから、我々の許可なく京都に住まうことは認められません」


「じゃあ、大学は?」


「退学して頂く以外にありませんね」


「そんなっ!」


「栞さん」


 思わず立ち上がった栞を、妖花が服の袖を摘まんで止める。


「落ちて下さい、栞さん」


「せやけど、こんなん横暴やん!」


「仕方ありません。兄さんの存在が知られた以上、《平安会》の人たちをどこかで納得させないと、結局兄さんは京都ではやっていけません」


 今までは、京都で独り暮らしをするただの大学生という立場を隠れ蓑に、静夜は穏やかな大学生活を送ることが出来ていたが、今回の事件をきっかけに《陰陽師協会》のスパイが京都に潜り込んでいるという噂はこの街全体に知れ渡ってしまった。大学に通い続けたいと思うなら、この街特有のルールに一本の筋を通す必要がある。


「……せ、せやけど!」


「大丈夫です。勝てばいいんです」


 未だ納得のいかない栞を、妖花は力強い言葉で説得する。


「そそるのぉ……。自信があるのか?」


 恍惚とした楽しそうな声音で羽衣が妖花を見る。


「はい。たとえあなたが相手でも、負ける気はしません。兄の進退が掛かっているとなれば、尚更」


「では、《陰陽師協会》側の代表は、月宮妖花様ということでよろしいですか?」


「はい」


「提示された条件にも異存はないと?」


「もちろんです」


 星明の事務的な確認に、妖花は熱のこもった声で答える。その気迫に、控えている京天門の長男や蒼炎寺の三つ子は息を呑んだ。


 これが昨日の総会の会場であれば、陰陽師たちの間には動揺が走り、大きなどよめきが起こっていたことだろう。


 しかし、今日この場に集まっているのは、御三家の、それも全員が腕に覚えのある後継者ばかり。肝は据わっている。妖花の迫力を前にしても、目に見えて狼狽える者はいなかった。


 わざとらしい困り顔を作る大根役者の羽衣を除いて。


「ふむ、……彼の伝説の妖狐、『果て無き夢幻を誘う悠久の彼方』の娘が相手では、童たちも負けた時のことを考えておかねばならぬな」


 その、竜道院羽衣らしからぬ発言に、妖花は驚いた。好戦的であると知られる彼女には実力も実績もある。彼女が自身の勝ちを疑うような要因は何もないはずだと、妖花を含め、御三家の他の少年たちもそう思った。


 すると、あらかじめ示し合わせていたような間で、星明が羽衣に同調する。


「そうですね。京都支部の話はともかく、私としては、今の美春様をあのままの状態で協会の皆さんに引き渡しても良いものか、心配してしまいます」


 憂いを帯びた表情で首を横に振る彼の仕草もわざとらしい。ここで彼が美春のことを思いやるということも訝しい。妖花は眉を顰めた。


「美春さんの様態に何か変化でも?」


「いえ、そういうわけではないのですが、……協会は、今回の事件に関して継母から直接話を聞きたいのですよね?」


「……え、ええ。そうですが?」


 妖花は一瞬言葉に詰まる。それは理事会の意向ではなく、静夜が舞桜を引き留めるために打った思い付きの一手だ。理事会からは美春と舞桜の扱いに関して明確な指示を受けていないし、現場の独断について報告もしていない。


 困惑する間にも話は進む。


「現在継母は、娘である舞桜に未知の術を掛けられ、身体の活動がすべて停止している状態です。とても話が出来る状態ではありませんし、術を解呪すれば、中に潜んでいる妖が彼女を喰らい尽くして暴れ始める危険性があります。……言い方は悪いですが、今の継母はタイマーを止めた時限爆弾のようなものです。そのような人物を此方から協会の皆様にお渡しするのは心苦しく思います」


「……まさか、協会がわざと中の妖を暴走させて、それを口実に《平安会》に宣戦布告をするとでも?」


 失礼な疑いを掛けられたと思った妖花は、星明を初めて鋭く睨む。彼はそれを軽く受け流した。


「そうではありません。ただ、彼女は我々の身内であり、あの状態の彼女をいち早く保護したのは我々です。さらに現在は彼女を安全に目覚めさせるためのいくつかの方法を検討している最中にございます。それを途中で放棄し、協会の皆様に彼女を預けるというのはあまりにも無責任というもの。竜道院の家紋にかけてそのような恥知らずな行為はしたくないのです」


「……つまり、私が決闘に勝っても、竜道院美春様の身柄は彼女が目を醒ますまで待って欲しい、と?」


「彼女が無事に、話を聞ける状態にまで回復すれば、必ず協会の召喚に応じると約束しましょう。どうか寛大なるご配慮を頂きたいと思います」


 竜道院星明は頭を下げる。義理の母を守るためではなく、竜道院家の誇りを守るために。


「拒否します」


 妖花の返答は早かった。

 当然だ。無事に回復すれば、という言葉の裏には、もしも美春が意識を取り戻さないまま死んだとしても、その際の責任は一切負わないという意味合いが暗に含まれている。


 仮に今回の騒動の処罰として美春が殺されたとしても、《陰陽師協会》は《平安会》を糾弾することが出来ず、仮に美春が内に潜んだ妖に喰い殺されたとしても、《陰陽師協会》は《平安会》の管理責任を問うことが出来ない。

 なんとか喰らい付いたとしても、のらりくらりと躱されて、追求し切ることは出来ないだろう。

 それでは、美春の安全を保障するということにならないのだ。


 妖花の断固とした答えに対し、星明はわざとらしいため息をついて、首を横に振った。


「……はあ、それは困りましたね。決闘に負けたら継母があのままの状態で他所に連れ去られてしまう。そんなことを我々の代表者が知れば、彼女はきっと動揺して、決闘に集中できなくなるでしょう。あの子が存分に戦うためにも、妖花様にはもう一度よく考えて頂きたい」


「……それは、どういうことですか?」


 妖花は訝る視線で星明を睨む。彼は不敵に微笑んで、遠回しな言い方をした。


「我々の代表者にとって、美春様の身の安全は最も気掛かりなことなのです」


 今、この竜道院の一族に、彼女の身を憂うような人物はおそらく一人しかない。


 広間に居る全員が、竜道院家の代表者の名を察して戦慄する。

 星明は改めてはっきりと、その者の名を発表した。


「此度の決闘、妖花様の相手をする我々からの代表者は、竜道院舞桜となります。……どうか、お手柔らかにお願いします」


 得体の知れない恐ろしさが、悪寒となって背筋を駆け上がる。

 栞は冷や汗をかき、妖花は鳥肌を立てた。


「……兄さんの言う通りになりましたね」


 妖花は独り言を呟くと、目だけで一番左に座る兄を見る。

 この部屋に入ってから一度も口を開いていない彼は、抜け殻のような虚ろな瞳でただじっと虚空を見つめて、一切の反応を示さなかった。

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