首席・京天門國彦

 ――時間だ。


 突然、《平安会》の陰陽師たちは居住まいを正し、三つ指を揃えて深々と一斉に頭を下げる。


 洗練されて乱れのない動きには迫力があり、それに釣られた栞は慌てて自分も首を垂れようとするが、妖花、静夜、そして舞桜の三人は、一切動くことなく後ろの入り口を振り返ることもしなかった。


 引き戸が左右から開けられる。現れたのは京天門家の当主、《平安陰陽学会》に参加する89の家々を束ねる長。表の社会にも裏の社会にも顔が効くという京都の怪物。


 京天門きょうてんもん國彦くにひこであった。


 齢69にしてなお衰えを感じさせない佇まいでゆっくりと入室する彼に、一同は額を畳につけたまま微動だにしない。《平安会》の陰陽師たちはその姿勢を保ったまま、國彦が上座に着くのを待ち、國彦の合図で揃って面を上げた。


 衣擦れの音以外に何もない、厳格なる静寂が余韻を残す。


「それでは、これより《平安陰陽学会》臨時総会を執り行います。本日の議題は……――」


 司会は首席の隣に座る息子の政継が務めるようだ。彼は淡々と、この臨時総会が開かれるに至った経緯と本日の流れ、目的を説明していく。


 そもそも、この《平安会》の臨時総会は、妖犬の騒ぎが起こる以前から、憑霊術を会得した舞桜の処分の内容を決める目的で開かれていた。本来なら12月初旬の段階で結論を出す予定だったが、舞桜の家出と妖犬の騒ぎ、さらに《陰陽師協会》の介入によって年末のこの時期まで一時中断していたらしい。


 そして、今回は更に議題が増え、参加者も増えた。今日の総会がどれほど重大なものか、次第に思い知っていく。導入の説明を聞きながら、負けられない戦いが始まったと静夜は改めて感じ取った。


「……それでは、まずは先の犬型の妖の大量発生に関する報告と事実確認について――」


「待て。政継。それよりも先に、我々にはするべきことがあるだろう」


 最初の議題に入ろうとした総会はいきなり、重く響く首席の声によって強引に止められる。何事か、と全員が注目すると、國彦はおもむろに立ち上がり、なんと自ら高座を降りた。


 その行動に驚き固まる一同。國彦は客人たちの方へと歩いて迫り、栞の前に立つと、――膝をついた。


「……君が、三葉栞さんかな?」


「え? あ、はい!」


 声が上ずる。何が起こっているのか、まだ呑み込めない。


《平安会》の首席はそんな周りを置き去りにしたまま、


「――この度は、大変、申し訳ございませんでした」


 彼は畳に手を付き、深々と頭を下げたのだ。


「妖の脅威から人々をお守りすることが、我々陰陽師の使命。そして京都の街の平和を保つことは、我々《平安陰陽学会》に所属する1000人以上の陰陽師一人一人の宿命にございます。しかし、此度の事件では、三葉様に多大なるご迷惑をお掛けしましたこと、《平安陰陽学会》を代表して、深く、深く、お詫び申し上げます」


 悲痛に声を震わせて謝罪する首席の言葉に、周りの《平安会》の陰陽師たちもその場で手を付き、頭を下げた。


「「「大変申し訳ございませんでした」」」


「え、え? えぇえ⁉」


 それを受けた栞は、跳ねるように立ち上がり身体が仰け反る。


「そ、そんな、やめて下さい! もとはと言えば、ウチが静夜君の制止も聞かんと飛び出したからで、ウチの自業自得なんですから!」


「そういうわけには参りません。我々《平安陰陽学会》の陰陽師にとって、妖に敗れること、妖を許すこと、妖を恐れること、そして、市民を守り切れぬことは、末代までの恥でございます。三葉様が何とおっしゃっても、決して許されることではございません」


「許します。許しますから! せやから、皆さんもお顔を上げて下さい!」


 戦々恐々の栞が悲鳴をあげてようやく、國彦が顔を上げる。周りも姿勢を戻した。


「慈悲深いお言葉をありがとうございます。……また何かお困りのことがございましたら、我が一族が経営する当院をご用命ください」


 最後に、國彦は自らの名刺を差し出し、栞が座ってこれを受け取ると、またゆっくりと立ち上がって高座へと帰って行った。


 混乱した栞はしばらく「初めて名刺貰った、どないしよう……」と正坐したままあたふたしている。


 その様子をずっと隣で見ていた妖花は、


「とんだパフォーマンスですね」と、冷めた口調で一人呟いた。


 静夜もなんとなく、いきなり嫌な流れが出来たと感じる。


「……それで、そちらのお二人が協会からのお客人かな?」


 高座に座り直した國彦は息子の進行を無視したまま、静夜と妖花の二人を交互に睨んだ。栞に対する雰囲気とはまるで違う。


 それでも、妖花は動じず名乗りを上げた。


「お初にお目にかかります。《陰陽師協会》実動課、特別派遣作戦室室長、月宮兎角の義理の娘。月宮妖花と申します」


「……失礼だが、実の親の名を聞いても?」


「……『果て無き夢幻むげんを誘う悠久の彼方』と、死んだ父からはそう聞いております」


「ほお、すると貴様は、あの九尾の女狐の忘れ形見ということか」


 大広間がまたざわめく。おそらく、九尾の妖狐の名を初めて聞いた者も多いのだろう。だがその妖の力と存在は、陰陽師の間ではあまりにも有名だ。


 目の前にいる娘は、その妖狐の実子。しかも月宮兎角の後継者であり、携える刀は覇妖剣。少女に向けられる警戒は、さらに厳しいものとなった。


 妖花はそれをものともせずに、己の部下を紹介する。


「そして、こちらに控えるのが私の部下で義理の兄の月宮静夜です。今月のはじめに竜道院舞桜様から身柄の保護要請を受け、現在その身を預かっている者であり、また、三葉栞様が怪我をなさった時は彼が治療を施しました」


 妖花の紹介に合わせて静夜は一礼する。


 栞の怪我の手当てを静夜が行ったという説明は、〈厄除けの鈴〉の事を隠すための嘘である。これは静夜が妖花に頼んで口裏を合わせて貰ったものであり、《陰陽師協会》にもその様に報告されている。


 栞の持つ鈴の力については、《平安会》にも協会にも伏せておいた方が良いと静夜は直感的にそう判断したのだ。


 それに、この件において問題なのは、誰が彼女を助けたか、ではなく、誰の責任で彼女が怪我をしたのか、という一点に尽きる。


 会場の視線は、一斉に妖花から静夜へと移った。

 國彦が重々しく口を開く。


「……すると、三葉さんが妖に襲われ重傷を負った時、君は彼女の一番近くにいたということになるが、良ければ、その時の状況を詳しく聞かせてもらえるかね?」


 この話の誘導に、静夜は作為的な思惑を感じる。

 左に座る舞桜は無表情で静夜を見つめ、右に座る妖花は、兄に向けてコクリと頷いた。

 やはり、ここは素直に話す他にないようだ。


 静夜は意を決して、忘年会のあった日の夜、北野天満宮にて何が起こったのかを順序だてて話し始めた。妖犬の群れと戦った後、強力な二匹の妖犬の奇襲を受け、それを栞に助けてもらったこと。二匹の妖犬から逃げようとしたが振り切れず、戦闘になったこと。舞桜を庇って栞が妖犬に噛まれてしまったこと。そして、それを静夜が治療したこと。


 総会の出席者たちは竜道院家の者も含め、皆黙って静夜の報告を聞いていた。


 さらに静夜は、その翌日の出来事、事件の真相について言及しようとして、そこで、


「もうよい」


 と、國彦は静夜を射るような声で彼の報告を止めた。


「そこまででよい。……君の話によるとつまり、三葉さんが怪我をしたのは、君の現場での行いにも問題があったということだな?」


 結論を端的にまとめて突き付ける。國彦が不敵な笑みを覗かせるのを見て、静夜は顔を顰めた。


「一般の市民の方々は妖に対してあまりにも無力だ。それ故に、我々陰陽師は彼らを妖から守らねばならない。三葉さんが強力な霊感をお持ちなら、君はより一層の注意を払って然るべきだっただろう。しかし君は、注意を怠り、彼女に怪我を負わせた。この非常に残念な事実について、《陰陽師協会》はどのようにお考えなのかな?」


 國彦の糾弾に、静夜は開幕の土下座の真意を悟る。


「これは、やられましたね、兄さん」


 妖花も相手の狙いを察して顎を引いた。


「……おい、静夜、どういうことだ?」


「つまり、さっきの土下座の演出は僕たち部外者を総会の話し合いから排除するための作戦だったんだ。そもそも今回の一件は、君の破門から始まり、事件の黒幕は美春さん、ひいては竜道院一門全体が関与している。だからこの事件に関して協会は、《平安会》の内輪揉めに巻き込まれただけで、追及される責任なんて一つもない。でも、それをさっきみたいに御三家同士で揉め合って、責任を押し付け合っていたら僕たち協会側に付け入る隙を与えてしまう。そこで國彦氏は、栞さんが怪我をした件と妖犬の群れが京都で暴れ回った件を全く別の物として、切り離して責任を追及しようとしているんだ」


 妖犬が暴れたのは《平安会》の落ち度。しかし、栞が怪我をしてしまったのは、現場に居合わせ、かつ栞の友人であった静夜の落ち度。そして、静夜の不手際はつまり、彼の所属する組織、《陰陽師協会》の不手際だ。


 國彦は《平安会》の代表として、先程自らの落ち度を認め謝罪した。その上で、静夜を糾弾することで、《平安会》対《陰陽師協会》の構図を作り出し、静夜たちを最初に黙らせようと考えているのだ。


「京都の街と人々を守るのが我々《平安会》の使命である。しかし、その影に隠れて《陰陽師協会》に風紀を乱されては堪らない。我々が守ろうと日々努力している市民の命を、そちらの都合で危険に晒すのはやめて頂きたいな」


 首席がそう言えば、周りの陰陽師たちも便乗して静夜たちにヤジを飛ばし始める。


「せやせや! わしらの京都で勝手は許さへんで!」「三流陰陽師は出て行け!」「足引っ張んな!」と、調子に乗った彼らは言いたい放題だ。


 組織内での内輪揉めなら後でいくらでも出来る。それよりもまず、栞の怪我を理由に静夜たちを蚊帳の外に追い出そうというのが、彼らの魂胆。


 話し合いの主導権は、完全に《平安会》のものだった。


 あのまま御三家同士の言い争いを続けてくれていたら楽だったのに、静夜の失敗で栞が怪我をしてしまったことが事実である以上、彼自身は何も言い返せない。


 静夜個人への誹謗中傷は、すぐに《陰陽師協会》全体への非難に変わり、静夜たちはそのまま押し潰されていく。どうするべきかと冷や汗が滲んだ。


 しかし、飛び交う怒号の中でただ一人、《陰陽師協会》の代表者だけは冷静だった。


「三流陰陽師とは、いったい誰のことでしょう?」


 凍える風が燃え上がったヤジをすべて吹き飛ばす。鳥肌が立つ。悪寒が駆け上がる。

 会場は少女のたった一言で静まり返った。


「……部下の話をちゃんとお聞きにならなかったのですか? 三葉様は、こちらの竜道院舞桜様を庇って怪我をされたのです。聞けば彼女は呪符すらまともに使えない半人前だというではないですか。そのような足手まといを連れていれば、いくら優秀な部下でも、無傷で切り抜けるのは難しかったでしょう。……もし、竜道院舞桜様が《平安会》の名に恥じない陰陽師であれば、部下もこのような失態は犯さなかったはずです。それに、妖を裏から操っていたのは竜道院才次郎様の妻、美春様だと聞いています。全ては、そちら側の不手際と力不足が招いたことではありませんか? その責任を我々に押し付け、あまつさえ、兄を侮辱するようなことは、誰であろうとこの私が許しません」


 殺気が駆け巡る。月宮妖花の本気の殺意が。


「……妖花」

「……失礼しました」


 静夜が諫めると、妹は素直に謝罪し、その妖気と殺気を収める。だがその余韻でさえ、一部の陰陽師たちは呼吸を乱していた。


 牽制、そんな言葉では生ぬるい。やはり、代表者を一人だけと言われて月宮妖花を送り込んだのは、理事会の好判断だったようだ。


 部屋の空気が落ち着くのを待って、妖花は矛を収めた声で進言する。


「話が大きく逸れていると感じます。進行通り、まずは妖犬の大量発生の事件について、竜道院舞桜様の破門の時から順を追って、事実を確認していくべきだと考えます。協会の代表者として、これ以上脱線しない話し合いをお願いしたいと存じます」


 それを聞くと國彦は眼光鋭い目を閉じて、ひじ掛けに身体を預ける。目線だけで合図を送ると、隣の政継が司会を再開させ、総会は本来の進行を取り戻した。

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