京都の陰陽師たち

「弟の事は出来れば許してやって欲しい。アイツは僕と違って、死んだ母上の事をあまり覚えていなくてね。舞桜のことは昔からずっと本当の妹のように可愛がっているんだ。少々過保護なのは、僕も困っているくらいでね、あとで僕の方から厳しく注意をしておくよ」


 星明は穏やかな口調と笑顔でそう言いながら、屋敷の廊下を先導して歩いて行く。静夜たちはそれに続いて京天門邸の縁側を歩き、最後尾には竜道院紫安が不貞腐れた顔でついて来ていた。星明は結界にあけた穴を塞いだ後、家政婦たちを下がらせ、静夜たちの案内を買って出たのだ。


「それにしても、《陰陽師協会》から使者が一人だけ来るというのは聞いていたが、それがまさか、静夜君の妹さんで、しかも半妖の娘さんとは驚いた。協会はこれまで巧妙に彼女の事を隠していたんだね」


「半妖の存在が《平安会》に知られると、妖を極端に嫌うあなた方は、この子の命を狙うかもしれませんでしたから。無益な戦いを避けるためです」


「無益な戦いになっていたかどうかは分からないよ? 失礼なことを言うけれど、もしもその半妖の力が人に害を与えるようなものならば、人類に対する脅威を一つ滅することに繋がっていたかもしれない。それに危険な妖を退治することは、我々《平安会》にとって、自らの存在とその意義を示すための名誉ある戦いになる。それは十分に意味のある戦いだよ」


「たとえそうだとしても、妹を簡単に殺せるとは思わない事です。彼女の実力は伊達じゃない。それに、協会との争いを回避するため一人の少女の存在を隠蔽していたのは、あなた方《平安会》も同じではないですか?」


「ふん、確かにそれを言われると耳が痛いな」


《平安会》は竜道院家に生まれた霊媒体質の娘の存在を他の組織から隠していた。特に、禁忌を恐れず力を求める《陰陽師協会》に対しては、徹底的な情報操作を施していたに違いない。


《平安陰陽学会》がひた隠しにして来た災いをもたらす少女、舞桜。

《陰陽師協会》が秘めて温めて来た最大戦力の少女、妖花。


 この二人が今日、日本中の陰陽師が注目する総会の場にその身を晒す。

 これはこの業界全体に、かなりの激震を与えることになるだろう。


 静夜たちは、見事な日本庭園が広がる中庭を抜け、奥の離れの部屋へとたどり着く。扉の前には女中が二人立っており、黙礼の後、控えめな動きでゆっくりと戸を開けた。

 目に飛び込んで来たのは並んで座る大勢の人。暖房の熱気が頬を撫でて、イグサの臭いが鼻につく。横に長い長方形の大広間には、ずらりと座布団が並べられ、奥の高座には三つの家紋が並んでいた。


 正面、白い百合の花を模した印。京天門きょうてんもん

 右、青く揺らめく炎を模した印。蒼炎寺そうえんじ

 そして左、黄金の竜を模した印。竜道院りんどういん


 左右には、京都を守護する《平安会》にその名を連ねる陰陽師の家々、その当主や当主候補、有能な子息、各流派や一門の責任者など、総勢130人を超える陰陽師たちが、静謐の中に鎮座していた。


 その中心。御三家と各代表者に囲まれた部屋の中央には、客用の綺麗な座布団が四つある。

 静夜はここに来て改めて、これから自分が対峙する相手の巨大さを思い知った。


「失礼致します。お客様をご案内いたしました」


 星明は動じない口調で報告する。視線が一気に集中すると、栞は思わず「ひぇ」と後退り、静夜も思わずその迫力に心臓が押しつぶされそうになった。


「……ご苦労。座りなさい」


 答えたのは、竜道院の家紋の下に坐する中年の男。静夜も顔は知っている。


 星明の、そして舞桜の父でもある、竜道院家の次男、竜道院才次郎。その隣には兄、竜道院家の長男、竜道院功一郎こういちろうの姿もある。


 しかし、竜道院家の当主である、竜道院いさおの姿はやはり見当たらなかった。


 星明と紫安は一礼の後、父の隣の座布団に腰を下ろす。


「お客人もどうぞ座って下さい。遠路はるばる、お疲れでしょう」


 残された静夜たちが固まっていると、京天門の家紋の下から声が掛かった。京天門一族の次期当主、政継まさつぐ。その隣には、床の間を背負う上座に座布団とひじ掛けだけが置かれている。当主の國彦くにひこは最後に登場するのだろう。


 周りからの注目を一身に浴びる中で、臆することなく前に出たのは《陰陽師協会》からの使者、妖花だった。


 母から受け継いだというその銀髪を靡かせ、義父から受け取った覇妖剣を肩に掛け、《陰陽師協会》の代表者は、部屋の中央で周りを威嚇するようにぐるっと見渡し、「失礼します」とだけ告げて腰を下ろした。


 栞はそれに続いてぺこりと頭を下げると、妖花の陰に隠れるように左隣の、右から二番目の座布団に座り、身を縮める。


 そして、騒めく大広間は、未だに立ち尽くす舞桜の姿を見ていた。


 彼らが少女に向けるものは、忌諱か恐れか、それとも嘲りか。


 舞桜は微動だにせず、自らの家の家紋を睨んでいた。


 父と伯父は、彼女の事を見てすらいない。腹違いの兄たちはその隣に立つ静夜の方を睨んでいた。紫安は恨みと憎しみを込めて、星明は何かを試すような目で彼を見つめる。


 ここに居るすべての人は彼女の身内であったはずなのに、ここに彼女の味方は一人もいない。


「……怖気づいた?」


 静夜が小声で問う。反旗を翻した相手の強大さをこうして目の前にした舞桜は、しばし沈黙する。しかし、


「……私は、ここで戦う」


 大きく息を吸って、いつか聞いた覚悟の言葉を吐き出した。己を奮い立たせるかの如く呟いて、舞桜はその華奢な足を大きく踏み出す。竜道院家の席に一番近い左端の座布団につき、それを見届けた静夜は、栞と舞桜の間に座る。

 ここが今日の戦いの舞台となる。

 すると、喧騒の中で静寂を保っていた御三家の高座から声が響いた。


「……星明、先程、私の結界に少し穴が空いたのですが、あなたは何かご存知?」


 京天門の席、政継の隣に坐するのは妻の京天門きょうてんもん絹江きぬえ。屋敷を囲っていたあの結界は、やはり彼女の術だったらしい。


 訊かれた星明は何食わぬ顔で答える。


「失礼しました。実は、お客様の一人が結界に阻まれてお困りでしたので、私の独断で結界に穴をあけ、お招き致しました。結界は元に戻っているはずですが、先に断りを入れておくべきでしたか?」


 この挑発するような物言いに答えたのは、まだ声変わりが終わり切らない、少し幼い少年の声だった。


「当然です。我が家で勝手な振る舞いをするのは、いくら星明さんでも簡単に許されることじゃない!」


たくみ、やめなさい。……星明の言う通りなら、先程から鼻につくこの妖の臭いは私の勘違いではないのですね?」


「はい。お客様の一人は、半妖でございます」


 星明のこの一言に、大広間の喧騒は爆発的に大きくなる。


「は、半妖やと?」「せやったら、あの噂はほんまやったんか」「協会め、隠しとったな」「竜道院の呪いの子と半妖の娘とは、荒れるな、今日の総会は」「あの娘がおらぬだけまだマシやろう」


 飛び交う動揺と敵意を、妖花はどこ吹く風と涼しい顔で受け流す。


「……なぁなぁ静夜君、あの女の人ってもしかして……」


 栞が絹江の方を伺い見ながら耳元で問い掛ける。少し俯いたまま全く顔を動かさない様子を見て察したようだ。


「うん。あの人、京天門絹江さんは目が全く見えないんだ。でも、結界術で右に出る者はいないって言われるほど、こっちの業界では有名な実力者だよ」


「へ、へぇ……」


「で、その隣が息子の京天門匠。陰陽師としての才能には乏しいけど、学業優秀で、この前の全国模試では一位を取ったっていう病院の跡取り候補。本人も医者になりたいんだって」


 匠は現在中学二年生。まだあどけない顔立ちに不釣り合いほど大きな黒縁眼鏡で、威厳は全く感じられないが、そのうち隣の父親の着ている白衣と銀縁の眼鏡が似合う精悍な男になるのだろう。


「ふん、半妖など、取るに足らん」


 そして、次に声を上げたのは、蒼炎寺家の坊主頭。三つ並んだ、その左端。


「そうだな、健心けんしん。我ら《平安会》の敵ではない」


 と、賛同したのは真ん中の坊主。


「そうだな、健海けんかい。それより問題なのは、この期に及んで、竜道院家が出しゃばっていることだ」


 と次は右端が頷く。


健空けんくうの言う通り。此度の一件は、星明殿の妹君が発端であり、主犯はその母君だと聞いているが、それをお忘れになったのかな?」


 挑発するのはまた左端の坊主だ。三人とも顔がよく似ている。


「静夜君、あれは?」


「蒼炎寺家宗家の三つ子で、左が長男の健心、真ん中が次男の健海、右が三男の健空、……だと思う」


 正直、部外者の静夜では見分けがつかない。そもそも蒼炎寺一門はそのほとんどが坊主の髪型をしているため、分かりにくいのだ。


 御三家の一角、蒼炎寺家は古武術の伝承を生業とする武闘派の一族である。道場をいくつも持っており、大勢の門徒たちに向けて蒼炎寺拳法という陰陽術を教え広めている。

 後継者である三つ子も当然、拳法の使い手であり、全員同じ高校の一年生、17歳だ。


 こうしてみると、御三家の跡取りとなる平成生まれの学生たち、いわゆる『星明世代』の男子たちはこの総会の場に勢揃いしている。また、高座に座る女性は絹江だけであり、見回すと他の代表者たちの中にも女性は数えるほどしかいなかった。


 高座では、蒼炎寺家からの非難と挑発に、思わず紫安が声を荒げている。


「妖犬の群れの討伐任務に際し、蒼炎寺家は非協力的だっただろうが! 民間人に被害が出たのは、何も舞桜だけのせいじゃない!」


 紫安の主張は、三つ子によって三倍になって返って来る。


「妖犬の群れについては竜道院家が情報を隠していたと言う噂もあるが?」


「そもそも、こちらに流れてきた情報は適切だったのか? 事件の顛末に関して、我々はまだ詳細な報告を受けていないのだが?」


「禁術に関する書物の保管を全て竜道院家が担っている現状にも問題があったのではないか?」


「な、何ィ⁉」


「紫安! やめなさい。見苦しいぞ!」


 焚きつけられた紫安を叱って止めるのは、父の才次郎。


「健心、健海、健空! お前たちもいい加減にせんかッ! 他家の皆様方の前やぞ!」


 三つ子の頭を拳で殴って止めたのは、健心の左に座る父、蒼炎寺そうえんじ空心くうしんだ。蒼炎寺拳法の師範でもある。


 そしてさらにその隣では、蒼炎寺家当主の蒼炎寺そうえんじ真海しんかいが瞑目したまま腕組みをしている。


 次期当主の親世代の怒号で会場は一気に静まり返った。


 総会前、組織内での権力争いの一端が垣間見える。

 やはり、舞桜の憑霊術の会得と破門から始まった今回の一件は、大きな火種となっているらしい。

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