第9話 思い出はいつも虚しい夜の静寂に

お見舞い

 闇市でお見舞いの品を購入した静夜は、徒歩で京福けいふく電車(嵐電らんでん)の四条大宮しじょうおおみや駅へ向かい、そこから嵐山本線のワンマン電車に乗って、終点の嵐山あらしやま駅までやって来た。

 渡月橋とげつきょうをはじめとする有名な観光名所がある嵐山で、栞の家は代々お土産屋を営んでいるらしい。


 12月も既に半ば。紅葉の時期も過ぎた嵐山の賑わいは落ち着いているものの、土曜の夕刻ともなれば人通りはそれなりに多く、駅からほど近い栞の自宅兼店舗は観光客で賑わっている。


 静夜は店舗の裏に回って住宅のインターホンを鳴らした。

 少し待つと、高校生くらいの男の子が返事をして出迎える。栞の弟らしく、静夜が軽く挨拶をすると「話は聞いています」と言って、姉の部屋まで案内してくれた。栞には当然、お見舞いに行くことやその時間などは伝えてある。

 部屋の前で、栞の弟は何故かニヤニヤしながら、「どうぞごゆっくり」と言い残して、隣の部屋へと消えて行った。


 おそらく、家族から昨夜の事を聞いたのだろう。

 康介と二人で栞を家に送り届けたのは夜も遅い時間だった。彼女はぐったりとして服も着替えており、何かあったと疑うのは当然の反応。娘に肩を貸す男二人に対して親御さんはかなり怪訝な表情を向けていたが、酔ってお酒を服にこぼした、と栞が自ら適当な嘘を言ってその場を収めたため、執拗に追及されることはなかった。


 そんなことのあった昨日の今日で、男の内の一人が手土産を持参して訪ねて来たのだから、変な誤解をされてもそれは仕方のないことだろう。


 そんなことよりも、寝込んでしまった栞に何と言って謝罪すべきか、静夜はそのことばかり悩んで胸が痛んだ。


 コンコンコンと、ノックは三回。「どうぞ」という女性の声を待って、木製のドアを静かに開ける。室内からは生暖かく籠った空気が押し寄せ、甘い匂いと木の香りが混ざって、鼻孔をくすぐる。蛍光灯の光は少し暗く、栞はベッドの上に座って、客人をいつも通りの笑顔で迎えた。


「いらっしゃい。待っとったよ?」


「……寝てなくていいの?」


「うん、ちょっと寝たら楽になったし、まだ少し熱っぽいんやけど、明日には全快しとるさかい、あんま心配せんとって?」


「そっか。それなら、よかった」


 とりあえずは元気そうなので、静夜は胸を撫で下ろし、ベッドの横で正坐する。フローリングの床は冷たく感じた。


「あああ、静夜君、座布団使い?」


 栞は慌てて部屋の真ん中を差す。丸い絨毯の上にはテーブルと可愛らしい動物の座布団が三つほど置かれていたが、静夜は遠慮した。


「……昨日の夜は、本当にごめん。これ、さっき陰陽師御用達のお店で買ってきた漢方薬。体力の回復によく効くんだ。……僕の謝罪の気持ちとして、どうか受け取って欲しい」


 神妙な面持ちで頭を下げ、闇市の店の紙袋を掲げながら、用意していた言葉で謝る。


 栞は少し身を引いて驚きを露わにした。


「え、えええ! ごめんやなんて、そんな! 昨日のあれは、ウチが静夜君の忠告も聞かんと勝手に飛び出したからで、静夜君はなんも悪くないやろ?」


「そんなことない。……僕がもっとちゃんとしていれば、栞さんを巻き込むようなことにはならなかった」


 膝の上で静夜は拳を握りしめる。栞の枕元には、小さな座布団の上にいつもの簪と金色の鈴が大切そうに置かれていた。きっとそこが、彼女を守る鈴の音の指定席なのだろう。


 栞は、ぶんぶんと首を横に強く振る。


「せやから、アレは静夜君のせいやないって! それよりも、ウチは静夜君がいろいろと隠し事しとったことについて謝って欲しい。昨日のワンちゃんと、あの髪の長い中学生くらいの女の子、静夜君はあそこでいったい何しとったん? 何が起こったん? ……今日はその辺のこともちゃんと説明してくれるんやろ?」


 栞はわざとらしい膨れっ面を作って見せる。静夜は話そうかどうか迷っていたが、訊かれてしまった以上は答えるしかない。もう既に完全に巻き込んでしまっているのだから。


 静夜はこの一週間に渡って続いている一つの仕事について、舞桜との出会いから包み隠さず順を追って全てを打ち明けた。

 思い返せば、静夜が栞にここまで具体的に陰陽師の仕事の話をするのは、これが初めてのことだった。


 話が終わると、栞は真剣な表情のまま内容を咀嚼し、時間をかけて呑み込むと「なんとなくやけど、ちゃんと分かったわ」と言って頷いた。


「静夜君も、やっぱり大変なんやな。今までちょっと怖くて、あんま深く訊かんかったけど、……せやけどやっぱり、訊いてよかった」


 少し無理をするような笑顔が儚げに光る。

 静夜にはそれが、それだけの光でも、十分に眩しかった。


「……せやけど、なんやウチの悩みと違って、静夜君の方はちょっとカッコええな。《陰陽師協会》とか《平安陰陽学会》とか諜報任務とか、なんやスパイ映画みたいやんか」


「……そんなに良いモノじゃないよ」


 確かに、今回の一件には、陰陽師同士の政治的な思惑が色濃く絡み合っている。舞桜の政略結婚の話は別かもしれないが、それでもこれは、陰陽師の二大組織による京都という土地の取り合いに他ならない。そんなことを言われると、何だかスケールの大きな話に聞こえるが、現場で動いている静夜たち陰陽師の仕事は、いつだって地味で日陰で、それなのに命の危険と隣り合わせだ。


 それはきっと、栞も昨夜、身をもって体験したから分かっていることだろう。


「……それで、昨日ウチが庇ったその子、……舞桜ちゃんは、大丈夫やったん?」


「うん。怪我もないし、今は大人しく僕の部屋で留守番してる。……でも、やっぱり関係ない人を巻き込んじゃったことについては本人も落ち込んでるみたいで、自分も直接、栞さんに謝りたいって言ってたよ」


 今朝、静夜が栞のお見舞いに出掛ける時、行先を聞いた舞桜は明らかに驚き、彼女の様態に責任を感じているようだった。

 栞の傷が鈴によって癒されたことは舞桜もその眼で確認しているが、康介を呼んだ時に、説明が面倒だから、と舞桜だけは先に部屋へ帰らせていた。そのため、舞桜はちゃんとした謝罪がまだ出来ていない、と静夜に同伴を訴えたのだ。さすがの舞桜も、目の前で自分の身代わりとなった女性が血を流して倒れる光景は、ショックだったに違いない。


「せやったら、静夜君と一緒に連れてきてくれたらよかったのに……。ウチが元気なのをちゃんと見せてあげて、そんでゆっくりお話ししたかったわ……」


 栞は残念そうに言う。

 しかし、静夜はどうしても、この場に舞桜を連れて来たくはなかったのだ。


「連れて来るわけにはいかないよ。……だって、栞さんが怪我をしたのは、全面的に僕の責任なんだから」


「そんなこと――」


「――ある」


 昨夜と同じように、静夜はまた、栞の言葉を遮った。


「……栞さん、今回の事で分かったでしょう? 僕は所詮、この程度の陰陽師なんだ。事実を変に隠して君を巻き込んでしまうくらいに思慮が浅いし、たった二匹の妖犬に後れを取るくらい実力も足りない。君が怪我をした時だって、僕は何も出来なかった。ただその鈴が君の怪我を治していくのを見ているだけで、僕に出来ることは、何もなかった」


 俯いたまま真実を話す。部屋は暖房が効いているのに、静夜の身体は、昨夜と同じくらいに凍えていた。


「栞さんはもう、僕に関わらない方がいい。僕なんかより、もっとマシな陰陽師を頼って、その〈厄除けの鈴〉を信じる方が、ずっといい」


「……静夜君、昨日からそればっかりやな。自分では何もできひん、自分は何もせえへんって、どうして、そんな卑屈なん?」


 栞は、真っ直ぐで強い瞳を静夜に向けた。彼の俯く頭を見下ろしたまま、澄んだ瞳で説き始める。


「ウチは静夜君のことを信じとんのに、なんで静夜君は自分の事を信じてくれへんの? ちょっと失敗したからって、そんな腐らんでもええやん!」


 それは落ち込む静夜を慰めるように、あるいは貶すように、


「それに、ウチは静夜君の言うとる事は間違いやと思うで? 出来ることしかしない、やなんて、そんなん逆やん! 何もせえへんかったら、何にもできひんやろ? なんで始める前から諦めとんの?」


 そして、怒るように、さらに励ますように、


「ほら、どっかの偉い先生も言うとったやろ? 諦めたらそこで試合終了やって! 静夜君だって、今は思うようにいかんことでも、諦めんと続けたら、いつかは絶対出来るようになるかもしれへんやろ? せやから、自分はこの程度やなんて、言わんといて!」


 力強く、想いを込めて、栞はその言葉を言い切った。その余波に空気が揺れたのか、枕元の鈴は主人に賛同するようにチリンと鳴いた。


 静夜は未だ俯いたまま、栞の正論を受け止める。

 彼女の言う事はどこまでも正しかった。どこまでも正しくて、綺麗で美しかった。


 しかし、それは、……、

 それは静夜が今まで幾度となく自問自答を繰り返した、無慈悲な問いと同じものだった。


「…………僕は、何も出来なかったんだよ」


 辿り着いた答えはやはり、無情なそれと変わらない。


「せやから、何もせえへんかったら、何も出来ひんやろって、――」


「――全部やったんだよ! 全部やって、それでも何も出来なかったんだよ!」


 穏やかだった静夜が初めて声を荒げた。激昂に栞は驚く。

 腐り切ってしまった心が、拍動を刻んだ。


 静夜は少し落ち着いてから、また、ゆっくりと何かを踏み締めるように、話し始める。


「何もしなかったわけじゃない。……僕は全部やったんだ。出来ることはもちろん、出来ないことでも何でもやった。それでも結局、何も出来なかった……」


 淀んだ血が全身を巡っていく。その勢いに流されるように、静夜は全てを吐き出していた。


「……結果は何も、変わらなかった」

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