交渉

「静夜様は、あの娘の体質については、ご存知ですか?」


「え? あ、はい。本人から説明を受けました。妖を引き付ける霊媒体質だと」


「その通りです……。あれは、娘がまだ三歳だった時です。満月の夜に、突然娘が泣き始めると、屋敷の周りに妖が大群で押し寄せて来たのです。家の者で対処を始めると、屋敷の結界をすり抜けた正体不明の妖が、まだ幼かった娘の身体に憑依しました。妖はすぐに娘の中から出て行きましたが、屋敷を取り囲んだ妖をすべて祓うのには、本家の陰陽師たちでも一晩掛かりました。その後、娘の存在は《平安会》全体で問題となり、協議の結果、あの子は竜道院家の敷地内にある離れで隔離して、強固な結界に閉じ込めて育てることが決まったのです。あの娘は、今の歳になっても自由な外出が許されず、学校にも滅多に行かせてあげられませんでした」


 美春の口からつらつらと語られたのは、竜道院舞桜の、『妖に愛された呪いの子』の悲しい半生だった。


「陰陽術の修業をしても異母兄弟のような大成はなく、……もともと素質が低かった私の娘では仕方がないのかもしれませんが、これが妖に愛された呪いのせいなのかと思うと、やるせなくて、……せめて結婚だけは、あの子が幸せになれるようにと思ったのですが、まさか禁術を手にして家を飛び出すほど嫌がるとは、思ってもみませんでした」


「…………」涙をこらえながら、慈愛の母は声を絞り出す。


「ですが、これだけは信じて欲しいのです。私は、娘の幸せを一番に願っていると。将暉様は立派なお方です。あの娘が禁術の使い手となってもなお、婚約は破棄しないと明言して下さいました」


「もちろんです、お母様。舞桜さんほどお美しく、高貴な娘さんをお嫁に頂けるのであれば、不肖、犬養将暉、たとえ世界が滅びようとも戦い続ける所存であります」


 そう言うと、将暉は両手でがっしりと美春の手を握る。


「ふん、白々しい」


 静夜は、先程の将暉と同じように鼻を鳴らして彼を睥睨した。


「何が白々しいというんだ? この三流陰陽師」


 静夜の方に向き直ると彼は態度を一変させ、静夜が気に入らないのか、鋭い視線と敵意を放つ。静夜は一歩も引かずに、彼を睨み返した。


「あなたも、才次郎さんと同じく、舞桜さんご本人には興味がないんですよね? 興味があるのは、政略結婚の結果手に入る、地位や名声、それにお金、あとは、竜道院舞桜という女。それくらいでしょうか?」


「な、なんだと……!」


 眉間にしわを寄せて低く唸る。無精髭の似合う顔つきもあって、その凄み方には迫力があったが、それで怯む静夜ではない。


「あなたは先程、今京都を騒がせている妖犬たちと自分たちは無関係とおっしゃいましたが、私は昨夜、妖犬に襲撃された際に首輪型の法具を目撃しました。あなたの婚約者である舞桜さんはそれを見て、あれは市場に出回っているレプリカではなく、犬養家本家に保管されていたオリジナルの〈狂犬傀儡ノ首輪〉だと断言しておりました。……舞桜さんの命を狙って妖犬たちを街に放っているのは、あなた方ではないのですか?」


 疑惑の視線で問い詰める。舞桜には確信があったのだ。あの法具が本物であるという確信が。そして、自分に結婚を申し込んで来た人物がどのような人間で、何を得意とする陰陽師なのか、ちゃんと分かっていたから、首輪を一目見て言い切ることが出来た。


 静夜の追及に、将暉はまた偉そうに腕を組んで、「そんなものは冤罪だ」と切り捨てる。


「外様の陰陽師は知らないだろうが、犬養家の次期当主ともなれば、犬型の式神の10匹や20匹、自身の法力で創り出して操るなど造作もない。わざわざ一族の秘宝を使って、危険な妖犬を無理矢理縛り付ける必要などどこにもないのだ。だが、さすがに今回の事件については《平安会》のお歴々からも関与を疑われている。全く身に覚えのないことだが、我々は汚名返上のため、一族総出で京都に赴き、妖犬の討伐に尽力しているのだ」


「本当ですか? 実は、憑霊術の件で火種となっている舞桜さんの首を取って、竜道院家に恩を売り、内部に取り入ろうというのが、今の目的なのでは?」


「いい加減、無礼だぞ貴様!」


 将暉が激昂して立ち上がる。利き手をテーブルに叩きつけ、カップとソーサラーがカタカタと音を立てた。


「今の舞桜さんは竜道院家にとって目障りな存在のはずです。既に破門したと言っても、掟を破った彼女が竜道院だったという事実は変わりません。舞桜さんが《平安会》からの追及を受ければ、竜道院家は当然、その監督責任を問われるはずです。……今の竜道院家は、《平安会》の中でかなり危うい立場に立たされているのではありませんか? それなら、政略結婚という形で彼女を引き取り、一門や《平安会》から恩情を貰うより、彼女を殺してその首を土産にした方がずっと美味しい思いが出来る」


「貴様、お母様の前でよくもそんなことを……」


 ただの事実を述べたに過ぎない。静夜は決して悪びれない。


「……ま、将暉様……」


 当の美春は、周囲の注目を気にして将暉を諫める。この様子だと、母親は現在の竜道院家の事情と娘の立場については、きちんと客観的に理解しているのだろう。

 将暉は怒りを堪えて呼吸を落ち着け、野次馬を視線で一蹴してから乱暴に腰を下ろす。


「ふん、所詮は貴様の妄想だ。我々が舞桜を殺そうとしている証拠なんてどこにもないだろ?」


 それを言われると静夜には返す言葉がない。昨夜、一度回収したはず首輪は、後から来た二匹に奪い返されたため物証がなく、たとえその法具があったとしても、術者が犬養家の人間だと特定できなければ意味をなさない。

 すると、さっきまで俯いていた美春が真剣な顔つきで口を開く。


「静夜様、……もし、昨夜あなたが見たとおっしゃる首輪が娘の言う通り本物の〈狂犬傀儡ノ首輪〉であるならば、それは、私たちの仕業ではございません」


 はぐらかすことのない断言に、静夜は訝し気に目を細めた。それは何かを知っている、という顔だ。

 隣の将暉は慌てて美春の発言を止めようとするが、それは間に合わず、


「一ヶ月ほど前、〈狂犬傀儡ノ首輪〉は犬養家本家の蔵より盗み出されているのです」


 美春は告白した。


「ぬ、盗み出された?」


 静夜は耳を疑い、聞き返す。


 将暉は顔を青くして「美春さん、それは……」と何事か耳元で抗議をするが、美春は穏やかに首を横に振り、真っ直ぐな眼で静夜を見つめた。


「いいえ、将暉様。我々は恥を忍んで、静夜様にご協力頂かなくてはならないのです。……静夜様、これは《平安会》のどの家も、竜道院家すら知らないことです。……今、京都を騒がせている妖犬たちは、犬養家の蔵からその首輪を盗み出した犯人によるものだと私たちは考えております。犬養家の皆さんは、身の潔白を証明するために奔走しておりますが、管理していた宝物を盗まれ、事件の原因を作ったのが犬養家だったと《平安会》に知られてしまうと、犬養家は《平安会》からの信用を失い、そこに嫁ぐ娘の立場はさらに厳しくなってしまいます。……それだけは、どうしても避けなくてはならないのです」


 仮に、今回の妖犬の事件を犬養家が中心となって解決し、《平安陰陽学会》からの信頼を得ることが出来れば、現在審議されている舞桜の処分も、処刑ではなく結婚による京都からの追放という比較的軽い罰で、穏便に済むかもしれない。


「……つまり、妖犬の脅威から舞桜さんを守るためにも、また、これからを生きる舞桜さんを助けるためにも、ここは話を呑んで、大人しく彼女を引き渡して欲しい、と、そう言う事ですか?」


 静夜は話をまとめて確認する。正面で背筋を伸ばしたままの舞桜の母親は、テーブルに三つ指をつくと深々と頭と垂れて懇願した。


「この通りです。……あの子が家に戻り、誠意ある姿勢を見せていれば、《平安会》から恩情を頂くことも、もしかしたらあり得るかもしれません。……ですので、どうか、静夜様のご助力をお願いできないでしょうか?」


 その姿勢を受けて、隣の男も静夜を見据える。


「話は分かっただろう? いいから大人しく、俺たちの舞桜を返せ」


 相変わらずの偉そうな態度で、舞桜の婚約者は命令してきた。


 話を聞き終えて、静夜は深く息をつく。少しだけ冷めたコーヒーを飲み、揺れる水面を見直した。

 テーブルを挟んで向こうに座る美春と将暉には、様々な事情や理由がある。立場も、役目も、責任もある。故にその言葉には重みがあった。


 私の娘を、俺の婚約者を、返して下さい、と。


 悲しい話だ。

 今、この話し合いのテーブルに、竜道院舞桜という一人の少女はどこにも存在していないのだから。


「舞桜さんは、私にこう言いました。京都に残る、と。逃げずにこの京都で戦い、一門の皆さんや《平安会》の方々に自分のことを認めさせて、《平安陰陽学会》の首席になるんだ、と。……お二人はそれを聞いてどのように思いますか?」


 二人は、この話を初めて聞いたようで、驚いたようにその目を見開く。


「どう思うかと訊かれても、無理な話だ。舞桜は《平安会》の首席はおろか、竜道院家の当主にだって成れはしない」


 将暉は是非もなく言い切った。


「舞桜は、黙って俺の嫁になった方が、彼女自身の為にもなる」


 母である美春もまた、沈鬱な面持ちで真っ黒なコーヒーを見つめ、「その通りです」と頷き、呟く。


「……少し前なら、そんな夢物語も応援できたかもしれませんが、今となってはただのわがままにしか聞こえません。子供が大きな夢を思い描くのはいいことですが、現実を教えるのもまた親の務めです。いくら政略結婚が嫌だったとしても、あの子は掟を破って禁忌に手を染めたのですから、ちゃんと何らかの罰は受けさせないとあの子の為にもなりません。……静夜様も、子供のわがままだと思って下さい。あの子はただ、自分に注目を集めたいだけだと思いますので。もっと現実を見て、親の言う事をよく聞くようにと静夜様からもおしゃってあげてください」


「……子供のわがまま、ですか……」


「はい……、あの子は、まだよく分かっていないだけなんです。この、陰陽師の社会というものを……」


 静夜は、ぬるま湯になってしまった残り僅かなコーヒーを飲み干し、席を立つ。


「……僕に、そんなことを言う権利はありませんよ」


 呟いた美春への返事は、きっと静夜にしか聞こえなかった。


「お、お待ち下さい。お話はまだ!」


 美春は彼を引き留めようと腰を浮かす。静夜は足を止めず、背を向けた。


「舞桜さんを引き渡すというお話は、私一人の判断ではお答えできません。今の話を上司と一度話し合った上で、改めてお答えします。……それでは、失礼します」


 それだけを言い残して会釈をすると、伝票は置いたままで喫茶店から外へ出る。

 通りのガラス窓から中を見ると、美春は悲しそうに、将暉は明らかな敵意を持って、立ち去る彼の横顔を睨んでいた。

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