少女の動機
以前にも立ち寄った喫茶店のテーブルを挟んで、和装の女性と向かい合う。
野次馬から逃げるように現場を離れた後、静夜は、話がしたい、という竜道院美春に連れられて店に入り、コーヒーを注文して大人しく席に着いていた。
正面の美春は笑顔を崩さないのに対し、その隣でふんぞり返るように座っている犬養将暉は、嫌悪感を隠すことなく静夜を見下すように睥睨している。
なんとも不穏な顔合わせだ。
静夜は気を落ち着かせようとして、ミルクと砂糖を入れたコーヒーをゆっくりとすする。
この店のコーヒーを飲むのは初めてだったが、ミルクの甘さの中にも切れのある酸味が生きていて、少し渋かった。
「うふふ」
突然、美春が声を出して笑ったので、静夜は慌ててカップを置く。
「あら、失礼いたしました。静夜様はコーヒーにミルクと砂糖を両方入れるのですね。勝手にブラックで飲まれるイメージを持っておりましたので、少し意外でした」
「……はあ、……そうですか」
いまいちピンと来ないことを言われた。静夜はコーヒーの飲むとき、大抵ミルクと砂糖を両方入れるが、別にブラックを飲まないというわけではない。結局はその時の気分だ。それでも、ブラックコーヒーを飲んだ時の苦味と渋味を、美味しいと感じるのはまだ早い。少なくとも、静夜自身はそう思っている。
優しい茶色に染まってしまったカップを覗き込むが、そこに自分の顔は映らない。
美春が居住まいを正して、話題を変えた。
「……お手並み、拝見させて頂きました。奈良の名門と称される犬養一族の精鋭たちを相手にあの立ち回り。さすがは、今も名高き
「お世辞は結構です。それに私は養子です。確かに教えは受けましたが、今の私では往年の義父にすら遠く及びません」
「ふん! 全くもってその通りだ。何が月宮だ。何もかも俺の手の平の上だったじゃないか。正直に言って期待外れだ。義兄がこれでは、噂に聞く月宮妖花という娘の実力もたかが知れるな」
将暉は周りにも聞こえるような大きな声で挑発的な言葉を並べる。
謙遜した静夜だったが、さすがにこれは聞き捨てならないと眉間にしわを寄せる。
「も、申し訳ありません、静夜様。ですが、妹さんのお話は、この辺りでもかなり有名なんですよ? あの月宮兎角から一族の秘宝〈覇妖剣〉を受け継ぎ、その月宮流陰陽剣術の御業で《陰陽師協会》に入ってからは、数々の功績を打ち立てているとか……」
「……」
美春が慌てて間を取り持つと、静夜は言葉を飲み込み、無言のままでまたコーヒーをすすった。話を弾ませようと思ったのか、美春はそのまま続ける。
「静夜様は、剣の教えは受けなかったのですか? 私はてっきり、先程のご挨拶でかの有名な月宮流陰陽剣術が拝見できるものと期待しておりましたのに」
どうやら京都では、あのような闇討ちを挨拶と呼ぶらしい。
「……いえ、私は特に……」
静夜は質問に対し、歯切れの悪い答えでお茶を濁した。
奇しくも舞桜と同じ場所で同じ質問をして来た美春だったが、その口ぶりから察するに、どうやら竜道院才次郎の妻という立場であっても、月宮妖花の正体については、この程度の情報しかもっていないようだ。
本人の努力か、それとも《陰陽師協会》の管理のおかげか。後者であれば皮肉もいいところだ。
静夜はわざとらしくカチャと音を立ててコーヒーカップを置き、自ら切り出した。
「世間話はこれくらいにしましょう。そろそろ本題をお聞かせください。本日はいったい僕に、どのようなご用件でしょうか?」
「ふん、白々しい」
将暉が腕を組んで、忌々し気に鼻息を鳴らす。
「もちろん、娘の件でお話があって参りました」
「舞桜さんの身柄をあなた方に引き渡すことは致しかねます」
表情を引き締めた美春に対して、静夜は先回りして結論だけを端的に述べる。
当然、静夜にも彼らの言いだしそうなことは見当がついていた。
美春は「そこをなんとかお願いできないでしょうか?」と頭を下げて懇願する。
「そう言われましても、私は《陰陽師協会》の中ではなんの発言権も持たない、ただのアルバイトなんです。命令に背くことは出来ません」
「協会の命令だろうと関係ない。ここは京都だぞ? よそ者の陰陽師がデカい口を叩くな。いいから黙って俺の舞桜を返せ!」
将暉の横暴な態度はまるで、舞桜が自分の所有物であるかのような物言いだ。
「……私は舞桜さんから婚約者がいるという話を伺っていないのですが、これはいったいどういうことなのでしょうか?」
静夜は不快感を隠さず眉を顰める。
「どうもこうもない。俺と竜道院舞桜は結婚するんだ。あの娘を娶って俺は、俺たち犬養一族は、竜道院一門の末席に加わるんだ」
ギラギラとした目つきで将暉は語った。
舞桜の母親である美春は、それを黙って見送り、否定しない。
「……つまり、政略結婚、ということですか?」
「……はい。そういうことです」
寂しそうな目で俯き、母は頷いた。
何も珍しい話ではない。陰陽師の素質は遺伝によるところが大きく、一子相伝の流派は今の時代でも多く残っている。陰陽師の家系にとって子は宝であり、結婚とは一族の繁栄に直接関わって来る重要なものなのだ。
しかし、今のご時世、いや、いつの時代でも、自分の意に反する結婚を嫌がる人は多いだろう。舞桜のようなタイプは、特に。
「……舞桜さんは、この婚約に同意しているのですか?」
静夜は分かり切っている事を質問した。やはり、美春は首を横に振る。
「いいえ。受け入れているならあんな、……屋敷の蔵に忍び込んで、禁術に手を染めるなんて、そんな暴挙には出なかったはずですから……」
顔を両手で覆い隠し、嘆く美春は悲しみに下を向く。
なるほど、と静夜は一つ理解した。霊媒体質という適性は憑霊術を選んだ理由であって、禁忌に手を出した動機にはならない。少女をそこまで突き動かしたのは、政略結婚という引き金があったからこそのようだ。
嘆き悲しむ義母(予定)を、隣の将暉は慰めるように優しく囁く。
「お母様、……お母様が気に病むことではございません。これもあの娘の幸せを願っての御英断。そもそも、子供の結婚を親が決めて何が悪いというのでしょう? 不遇の娘さんをあそこまで育て上げたのはお母様ではございませんか。もっと胸を張ってよいのです」
将暉の態度の豹変ぶりに静夜は辟易する。正直に言って嫌いなタイプだ。
静夜はやり難そうに口を挟んだ。
「あの、……その、舞桜さんと将暉さんの婚約というのは、両家の間で正式に決定していることなんですか?」
「はい、一応。……私個人は娘を犬養将暉様のお嫁に、と思っております」
「父親の、竜道院才次郎さんは、何と?」
「あの人は、……娘の事については無関心ですので……」
消え入りそうな声で、美春また、悲しい現実を口にする。
竜道院美春は、竜道院才次郎の二人目の妻である。一人目の妻は才次郎との間に男の子を二人授かって、その後若くして亡くなっている。美春は、跡継ぎとなるその兄弟、前妻が遺した二人の男児を育てるために19歳という若さで才次郎と籍を入れた。
美春自身が子供を授かっていたという話は、今まで聞いたことも無かったが、舞桜の存在そのものが秘匿されていたのだからそれは当然のこと。
そして、舞桜の扱いから、実の父親であるはずの竜道院才次郎が娘の事をどのように思っていたのかはだいたい想像がつく。
つまり、才次郎氏にとって大切なのは、前妻が遺した長男と次男だけであり、後妻が産んだ長女はただのおまけに過ぎないのだ。しかも、その娘が霊媒体質で、『妖に愛された呪いの子』などと呼ばれて忌諱されては、むしろお荷物にしかならないだろう。嫁ぎ先に関心を示さなくても不思議はない。
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