第7話 北野天満宮の戦い

背中合わせ

 今出川通いまでがわどおりを東に行くと、すぐに大きな鳥居が見える。


 普段は参拝者で賑わう有名な神社も、今は不自然なくらいに人気がなく、タクシーやバスすら停まっていない。


 間違いなく、人除けがなされていた。陰陽師の仕業だ。


 静夜は躊躇うことなく境内に踏み入る。そこで初めて妖の気配を感じ取った。以前戦った妖犬の気配と、もう一つ、春を思わせる美しい妖気。舞桜だ。

 嫌な予感は現実となった。


 静夜は一瞬だけ意識を下宿のアパートへと飛ばし、強化していたはずの結界の状態を確認する。

 破られてはいない。少女を閉じ込めたはずの檻は、今も正常に部屋を囲んでいるはずだ。それなのに、どうしてこんなところで彼女の気配を感じるのか。


 その疑問の答えは分かり切っている。経緯は分からないが、舞桜は今ここにいて、さらに憑霊術まで使って何かを行っている。

 夜空には、僅かにかけた月が光っていて、静夜の怒りは焦りに変わった。


 常夜燈が照らす参道を駆け抜け、黒い牛の像の前を横切っていく。門をくぐると、肌にまとわりつく妖気はさらに濃くなった。直後、――バン! という銃声が静かな境内に響き渡る。考えるよりも速く、足は銃声の方を向いた。

 参拝巡路を左に外れ、小さな架け橋を渡る。葉を散らした梅の木々に遮られていた視界が晴れると、砂利の敷かれた広い場所に出て、舞桜は既にそこで妖犬の群れに取り囲まれていた。


 髪は桜色に染まっている。左手には38口径のオートマチック。憑霊術によって向上した運動能力で攻撃を躱しつつ、現代陰陽術で妖犬たちに対抗している。

 劣勢なのは見てすぐに分かった。多勢に無勢で、彼女の顔色には疲労が滲んでいる。


 後方に回り込んだ三匹の妖犬が、砂利を蹴って同時に襲い掛かって来た。舞桜は振り返って発砲するも、左から新たに飛び出した一匹が隙を狙って突進を仕掛ける。攻撃を躱そうとして縺れた足が浅い小川に嵌って、体勢が崩れた。

 好機と捉え、妖犬たちは一斉に駆け出し牙をむく。獰猛な獣たちの健脚は素早く、銃による迎撃はもう間に合わない。


「――薙ぎ払え!」


 言霊が空間を振動させる。圧倒的な妖力の奔流は、妖犬を悉く吹き飛ばし、その衝撃は静夜の横のしだれ梅の幹を揺るがすほど。相変わらず、すごい力だ。


 舞桜が体勢を整えようとすると、そうはさせまいと、また後ろから小川を走って妖犬が迫る。


 強引な力を使った後の僅かな間隙。反応がわずかに遅れた。


 ハッとなって、すかさず静夜は拳銃を抜き撃つ。バン、と舞桜のものより少し低い銃声が響いて妖犬が倒れると、舞桜はようやく静夜の存在に気付いた。


「ッ! 静夜、なぜお前がここに?」


「それはこっちの台詞だ! 君はこんな所で何してる⁉」


「見れば分かるだろう? 妖犬の群れの討伐だ!」


「そういうことじゃなくて! じゃあ、どうやって僕の結界から抜け出したんだ?」


「あんなもの、展開される前にベランダへ逃げれば、そもそもが結界の外だ」


 あまりにも単純明快な答えに、静夜は苦虫を噛み締める。


 舞桜は最初から、静夜の言う通り大人しく留守番をしているつもりなどなかったのだ。


 ますます怒りがこみ上げて来たが、妖犬たちはまだ半数近くが健在であり、仲間をやられた憎しみからか、その敵意と妖力はさらに鋭く研ぎ澄まされている。


 説教は後回しにして、静夜は舞桜に駆け寄り、背中を預けた。


「もしかして、夕方からずっとやってるの?」


「いや、こいつらを見つけたのはついさっきだ」


「一人じゃ無理だって思わなかったの?」


「思わなかったから戦っている。別にお前はあそこで見ていても良かったんだぞ?」


「さっき後ろを取られたくせに何言ってるのさ」


「あれはお前が勝手に手助けしただけだ!」


 妖犬たちはまたしても退路をふさぐ形で陣を敷き、舞桜を逃がさないように円を縮めてにじり寄って来る。闇市の時のような、飛びぬけて強い個体は見られないが、気を抜いたらその瞬間に喉元を噛み千切られる予感がして、静夜は背筋を凍らせる。


「やっぱり、前みたいに全部祓わないと終わらないのか?」


 問い掛けに、背後の舞桜は不敵に笑った。


「静夜、私の正面、一番奥にいる少しだけ大きい犬が見えるか?」


「え?」


 顔だけで振り向くと、確かに他の妖犬より一回りだけ体の大きな個体がいる。それは包囲網の外から戦況全体を俯瞰するような位置取りをしており、この群れを統率するリーダーのように見えた。


「でも、あの一匹がどうしたの?」


「そいつの首元をよく見てみろ。……首輪がある」


「え?」


 思わず二度見する。自分の肩越しに目を凝らすと、その妖犬の首に法具らしき首輪が嵌められているのが確認できた。


「無茶でも、勝負を挑んで正解だっただろう? 闇市で見た奴よりは弱い。アイツから首輪を奪えば、糸を引いている奴の手掛かりが掴めるかもしれない」


 笑みを深める少女の気配。やはり無理をしていたのは本当らしい。


 だが、舞桜の言う通り、あの首輪を手に入れることが出来れば、有力な情報になることは間違いない。加えて、今首輪を付けているあの一匹は、闇市に現れた二匹よりも格段に弱い。

 捕まえるなら今しかない、と静夜も結論付けた。


「……どうする? 取り巻きに気を取られて取り逃がすっていうのがよく聞く失敗談だけど?」


「お前が援護しろ。私が捕まえる」


「捕まえた後は?」


「首輪を引っぺがす」


「簡単に言うね。憑霊術はまだもつの?」


「当然だ。タイミングは私が指示する」


「……分かった」


 素直に頷く。静夜はリロードを済ませ、合図を待った。


「3、2、1、――今!」


 流れる小川を蹴り、舞桜が駆け出す。水飛沫が跳ね、冷や汗が落ちる。静夜は身体ごと振り向き、両手で銃を構えた。

 一足飛びで距離を詰める舞桜。取り巻きの妖犬たちはその行く手を阻もうと動くが、一歩動いた時点で、その足は45口径の弾丸によって砕かれる。


「――取った!」


 舞桜の左手が首輪付きの妖犬の顔面を抑える。流れる動きで右手が首輪を捕らえると、頭を地面に叩きつけ、馬乗りになって妖犬を完全に制圧する。


「まだだ!」


 静夜が叫ぶ。群れの対応が早かったのだ。取り巻きの妖犬たちはリーダーを助けようと、反転して一斉に舞桜に飛び掛かる。


「――〈堅塞虚塁けんさいこるい〉、急々如律令!」


 結界は間に合った。見えない壁に頭をぶつけた妖犬たちはかぶりを振って痛みをこらえ、行く手を阻んだ静夜を睨んで呪詛のような唸り声をあげる。


 そこで、静夜は小さなアルミ缶を取り出した。中には清めの塩と清水、そしてちょっとした破裂装置が組み込まれている。

 これも立派な現代陰陽術。対妖用の手榴弾だ。敵対集団に対する有効策として、使いどころは今しかない。


 ピンを外して群れの中心に放り込むと、それは舞桜を囲んだ結界の真上で爆散し、集まっていた妖犬たちを一匹残らず消し飛ばす。拡散された法力によって妖気は削られ、数のいた群れは瞬く間に消え失せてしまった。


「舞桜、そっちは?」


「ダメだ。何かの術式で完全に固定されている」


 結界の中では、舞桜が首輪を引っ張って外そうと無理に力を込めている。


「あんまり無理にやると、何かの仕掛けが――」


「ええいッ もう! ――外せ!」


「あ、」


 静夜が忠告しようとしたその時、舞桜は言霊を使って強引に、妖犬から首輪を奪い取ってしまった。


「よし、外れた……。あとのこいつは、――消せ」


 そして、あっけなく妖犬のリーダーは霞となって消えていく。


「……よ、容赦ないな」


「用があるのは首輪だけだろ?」


「まあ、それはそうだけど……」


 あまりにも無慈悲な言霊だったため、祓われた妖犬がむしろ可哀想に思えてしまう。

 静夜はその力技に呆れつつも結界を解き、北野天満宮は一気に夜の静けさを取り戻した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る