掴んだ尻尾
舞桜は憑霊術を解くと体の疲労を訴えて、近くにあった社に腰かける。横の立て看板を見ると、菅原大神と道真公の奇御魂を祭る社と記されており、祟られそうだと思った静夜は立ったままで回収した首輪型の法具の実物を拝むことにする。
「……うん、確かに《陰陽師協会》から送られてきた資料のものとほとんど同じ法具だね。術者が分かればいいんだけど、そんな手掛かりはやっぱり残していないか」
術者は用意周到に、自身の痕跡を消しているようで、資料と照らし合わせても、分かることは《陰陽師協会》の読みが正しかったということのみ。
専門の研究室にこの法具を送れば、他にも何か分かる可能性はあるが、今の段階で言えることは少なく、事件の核心に迫れるような情報は何も得られないように思えた。
しかし、見分を始めた時からずっと押し黙っていた舞桜が、神妙な面持ちで口を開く。
「
「え?」
「その首輪の法具は《陰陽師協会》の資料にあるモノとは少し違う。資料のモノは市場に流されたレプリカだが、これは、犬養一族が代々受け継ぎ、大切に保管してきたオリジナルの〈狂犬傀儡ノ首輪〉そのものだ」
落胆しかけていた静夜は、舞桜のその力強くも重苦しい口調に、信憑性を感じた。
「……どうして、舞桜がそんなことを知ってるの?」
「……………黙秘する」
「前に、犬養家について訊いた時、知らないって言わなかった?」
「……覚えてないな」
いや、確かに知らないと言っていた。静夜はちゃんと覚えている。
だが、今の口ぶりはまさに関係者のそれだ。舞桜は間違いなく、この妖犬の一件について何かを知っている、あるいは既に何かに気付いている。
静夜がさらに追求しようとしたところで、舞桜は顔を上げ、急に話題を変えた。
「そんなことより、お前はどうしてここが分かったんだ? お前が行くと言っていた飲み屋からでは、妖の気配にも気付けないはずだと思っていたが……」
「え? ああ、それは……」
「静夜君!」
二人の会話に割り込み、聞こえて来たのは予期せぬ声。
目を向けた次の一瞬、視界の端に大きな黒い影が映った。
「――逃げて!」
張り詰めた顔で、栞の口がそう動く。声は最早、脳に届いていなかった。それどころではないという判断が、咄嗟に音を遮断したのだ。
考える間もなく、静夜は舞桜を抱きかかえて引き倒す。妖犬の頑丈な顎と牙が首筋のすぐ横を掠めて行く。奇襲を間一髪のところで躱した二人は、冷え切った砂利の上に転がった。
素早く起き上がり銃を取る。銃口の先には、二匹の妖犬が静夜と舞桜を睨んで唸っていた。
「静夜君、大丈夫?」
「来ちゃダメだ!」
鋭い声に制されて栞は足を止める。舞桜は突然の攻撃に思考が追いつかず、起き上がってようやく敵の姿を認めた。
「こ、この二匹は……!」
「うん。闇市で、僕たちを襲った奴だ」
首には例の法具が取り付けられ、妖しく光る双眸からは肌を刺す殺気が放たれる。地面を這うような唸り声は胸を締め付け、たった二匹の妖犬は、先程の群れとは比較にならないほどの迫力と存在感を見せつけていた。
冷や汗が一気に噴き出す。
「……静夜、あそこの女はなんだ? お前の恋人か?」
「ただの友達。陰陽師じゃないけど、霊感があるんだ」
その場で立ったまま動けなくなっている栞を一瞥して、舞桜は「なるほど」と頷いた。彼女が普通の人間ではないことを、舞桜も感じ取ったのだろう。
「せ、静夜君のことがやっぱり気になって、こっそり後からついて来たんやけど、そしたら、そのワンちゃんたちがもの凄い速さで走って行くのが見えて、こっちに入っていきよったから、嫌な予感がして、それで……」
「いや、栞さんのおかげで助かったよ。ありがとう」
栞は決まりの悪い顔を見せているが、実際彼女の声が無かったら、今頃舞桜の首と胴体は離れ離れになっていただろう。
静夜は感謝すると同時に、巻き込んでしまったことへの不甲斐なさに思わず下唇を噛む。
「静夜、それよりもどうする? しばらく私は憑霊術が使えないぞ?」
「分かってる! でも、あの人をこれ以上こちらに踏み込ませるわけにはいかない!」
二匹の妖犬は、静夜と舞桜の出方を伺いながら、じりじりと距離を詰めて来る。栞の方を気にしている様子はなかった。
「とりあえず、僕たちが囮になってあの二匹を彼女から遠ざけよう。走って銃を撃つくらいは出来るよね?」
「それなら、なんとか」
舞桜は妖犬に気付かれないよう、背後で拳銃を用意する。
「よし、……栞さん! この妖は僕たちで引き付けるから、今度は絶対に付いて来ないで! ここは、君がいるべきところじゃない!」
「え? ちょっと、静夜君?」
「舞桜、走って!」
掛け声と同時に、静夜は舞桜の右手を引き、敵に背を向け、走りだす。妖犬は逃げ出した獲物を追いかけ、栞だけがその場に置き去りとなった。
これでいい。この後は厄除けの鈴が彼女を守ってくれるはずだから。
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