白状するのは己の無力
最後の逡巡を振り払い、口を開く。
「その鈴は、栞さんが知らなくてもいいような、危険な妖や事件から、栞さんの存在を隠しているんだ。本当に危険な妖は栞さんを見つけることすら出来ないし、栞さんは本当に危険な事件には絶対に巻き込まれない。たとえ巻き込まれたとしても、命や魂の危機に瀕する前に、その事件から弾き出される。……その鈴は、栞さんが一線を越えてしまう可能性そのものから、栞さんを遠ざけて、守っているんだ」
こちらが深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。そんな言葉があるけれど、彼女の持つ〈厄除けの鈴〉は、その深淵から三葉栞という存在を隠している。
普通、人から見られない妖は、自分に向けられる視線に対して敏感である。自分の存在が知覚されるとすぐにその気配を察し、自分を見た存在を見つめ返す。場合によっては、妖を見てしまっただけで危害を加えられることだってある。
しかし、この鈴をつけている栞は、強すぎる霊感で妖の存在を捉えても、妖は自分が見られていることにすら気付くことが出来なくなる。
この鈴の効果を悟った時、静夜は思わず目を疑った。それほどまでに、鈴に込められた呪詛は強力で不可思議な力であったし、この鈴を作ったという名前も知らない陰陽師には、感服すると同時に恐怖すら覚える。
「僕が知りうる限り、その鈴は間違いなく最高の厄除けだよ。危ないことが起こったら、世界の因果にすら干渉して君を守ろうとするし、栞さんから霊感を奪うんじゃなくて、最悪の事態だけを綺麗に避けて、程よく危険から遠ざけている。栞さんがそれを持っていれば、僕みたいな三流陰陽師は出る幕がない。……必要ないんだよ。僕の力なんて、栞さんには」
信号はなかなか変わらない。忙しく通り過ぎる車のライトが俯く静夜の横顔を照らした。交差点の対角にあるパチンコ店のネオンは煌々と輝いて、うるさかった。
静夜の説明を上手く飲み込めない栞は、困惑を顔に浮かべて唸っている。
「……あかん。やっぱ説明されてもよぅ分からんわ。この鈴がとにかくすごいもんなんやってことはなんとなく伝わったんやけど……、せやけど、それで静夜君の力が必要ないってことにはならへんと思うんやけど?」
「そんなことない。僕に出来ることなんて、たかが知れてる。君の相談に乗ったり、こうして夜道を歩く時の気休め程度のボディーガードになったり、その程度だ。そんなのは、僕じゃなくても誰でも出来る。……むしろ、僕じゃない方がいい。僕みたいなアルバイトで陰陽師をやっているような半端者より、ちゃんとプロとして活躍している、僕よりもずっと優秀な陰陽師に頼った方が、きっといい」
「ううん。ウチはそれでも、静夜君がいい。静夜君の方が安心やし、ウチは静夜君のことなら、信じられる」
「やめてよ。僕を信じたって、僕はそれに答えられないんだから」
いつまでも静夜を捉えて揺れ動かないその瞳が、その時は少しだけ大きく見開かれた。
「僕以外に選択肢がないからって盲目的に僕を信じるのは、やめた方がいい。……さっきも言ったけど、僕は君に信頼してもらえるような立派な人間じゃないし、特別な人間でもない。陰陽術だって、あんなのはただの特技に過ぎない。ピアノが弾けるとか、サッカーが上手いとか、そういうのと同じで、この世の中には、陰陽師としても、人間としても、僕よりすごい人はたくさんいる。……僕なんかじゃ、君とは釣り合わないんだ」
飲みの席で言った言葉を再び繰り返す。
心が軋んで腐っていく音が聞こえる気がした。
「……これは大事なことだからちゃんと聞いて欲しいんだけど、その簪についた〈厄除けの鈴〉は、栞さんの行動を制限しない。もし仮に、栞さんが妖がらみの危険な事件に首を突っ込もうとしても、それが栞さんの意志なら、その鈴は君を止めたりしない。……だから栞さんは、もっとちゃんと勉強した方がいい。藪をつついて蛇を出してしまった時、頼れる陰陽師が僕だけだったら、君は助からないかもしれないよ? ……僕は、自分に出来ることしか、しないんだから」
「……静夜、君…………」
少し、しゃべりすぎた。
後悔すると同時に、信号がようやく青に変わる。だが静夜は信号を渡らず、
「ごめん、僕は歩いて帰るよ。だから、ここで……」
北野白梅町の駅から電車に乗って帰る彼女を避けるように、静夜は西大路通を南へ進もうとした。
「――待って!」
それを、栞は切羽詰まった声で引き留める。
「何?」声に隠しきれない苛立ちが混ざった。
酷い態度なのは自覚している。だから、彼女に何を言われても、悪いのは自分だ。
身構える静夜に対し、栞の様子は少しおかしかった。何かに怯えて、不安げな表情で周囲をしきりに見渡し、匂いを嗅ぐように鼻をすすっている。
「……どうしたの?」
今度は、静夜の声にも不安と心配が混ざった。
「なんか、変な臭いせえへん? この前、大学の中庭から匂って来たのと、同じ臭い」
心臓を掴まれたかのような錯覚が、静夜の焦燥を駆り立てた。
「それ、どこから?」
「あっち、北野天満宮さんの方」
「……本当に、この前の臭いと同じ?」
「うん、……ちょっと強い日本酒みたいな臭いで、たぶん、一緒の臭いやと思う」
自分の感覚と言葉に自信が持てないような、少し曖昧で控えめな口調。だが静夜は知っている。彼女がこういう反応を見せるときは決まって、何か良くないことが起こる。
もし、栞の言う臭いが、静夜と舞桜が初めて会った日の翌日に中庭で感じたというモノと同一ならば、もしかすると――。
頭に浮かんだその可能性を静夜は必死に振り払おうとするが、どうしても、嫌な予感は拭えない。
「……僕が見て来るよ。栞さんは危ないから、先に帰って」
「え? ……う、……うん」
有無を言わさぬ口調で言うと、栞は戸惑いながらも頷いて、彼から手を離した。
静夜は速足になって今来た道を戻っていく。後方に彼女の姿が見えなくなると、北野天満宮へと急いで駆け出した。
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