酒を飲まずとも人は酔う

 座敷の端から、店中に響き渡るほどの大唱和。追い詰められた二人はその大音量に思わず耳を塞いでいた。


「……どういう関係も何も、ただの友達ですよ。皆さんが思ってるような関係じゃありません」


「せやでぇ? さっきもクリスマスの予定とかそういうことは別にな~んも話してへんで?」


 素面の静夜ははっきりとした口調で否定し、栞は少し滑る口調であるが、皆の眼を見てきちんと答える。それは事実であるし、疑惑は所詮、疑惑であるため、確固たる証拠がない以上、本人たちの否定には勝てないのだ。


 しかし、年頃の大学生にとって酒の肴はやはり色恋の話。酔ったサークルの諸先輩方がこの話題をこの程度で終わりにするなんてあり得ない。


「じゃあ月宮は、三葉の事をどう思ってんだよ」


「え? ど、どうって……?」


「そりゃあ、好きか嫌いかどっちだって聞いてんだよ」


 二問目で、静夜は答えに窮してしまう。

 何とも思ってない、と答えるのは簡単だが、それは女性に対して失礼な気がするし、そんな答えでは誰も納得しないだろう。


 栞は、学部でもサークルでも評判になるくらいの美人で、上品な雰囲気がある一方、話すと笑顔が可愛らしく、天然なところもあって親しみやすい。今のようにお酒を飲めば、大人っぽい表情も垣間見えて、不意に目が合うと心臓が跳ねるような錯覚に陥ってしまう。

 普通の男子大学生が、彼女と接して何にも思わないわけがない。


 そして静夜も、彼女のことを何とも思っていないわけではないのだ。


「………………」


「……ああ、もう、根性ないなぁ、静夜は!」


 一向に応える気配のない静夜の様子に、ついに康介がしびれを切らす。


「じゃあ栞ちゃんは? この際だから聞いちゃうけど、静夜の事、ぶっちゃけどう思ってるわけ?」


 水を向けたのは静夜の隣に座る彼女。


「え? ええ~、これってもしかして、絶対答えな帰れへんやつ?」


 栞は困った表情でキョロキョロと周りを見回す。サークルの先輩たちに囲まれて、既に逃げ場は完全になくなっていた。


「ほらほら、栞ちゃんの方から鈍感な静夜にはっきりと言ってやれよ」


 康介が煽ると、「そうだそうだ! ヘタレの月宮なんか振ってやれ!」「変に誤魔化さない方がいいぞぉ」「ガツンと言わなきゃ伝わんないって!」と、他の野次馬も囃し立てる。


 渦中の栞は、酔いとは別の理由から頬を赤く染めて狼狽し、外野がようやく静かになると、気恥ずかしそうな上目遣いで静夜の顔をじっと見つめた。


 これはいよいよ、本当に不味い。それを察するも、静夜にもまた逃げ場はない。

 栞はその艶やかな唇を動かして告げた。


「……ウチは、その、静夜君のこと、……ええ人やなぁって思うで? ……い、いつも言うとることやけど、静夜君はやっぱり頼りになるし、ウチの事ちゃんとわかってくれるし、一緒におると安心するっていうか、その、……これからも仲良くしてもらえたらええなぁって、ウチは、そう思います……」


 言葉の終わりが何故か敬語の標準語になって、迷子になった視線が泳ぐ。

 そして、


「「「……おおぉぉおっ!」」」


 沈黙からさざ波を立てるように感嘆の声が広がった。


 この場の雰囲気とお酒のせいだろうか、栞の大胆な発言には、話を振った康介ですら「嘘だろう?」と声を漏らす。ましてや、それを言われてしまった当の本人は、何も言うことが出来ず固まっていた。


「ほら、月宮! ぼーっとしてないでちゃんと答えてやれよ!」


 誰かが静夜の背中をバシッと叩く。

 それを契機に、野次馬たちはさらに調子に乗って騒ぎ出した。


「おいおい、女の子に恥かかす気かぁ?」「まさかこれで断るわけねぇよな?」「キース! キース!」「ヒューヒュー! 羨ましいぃ!」「月宮、アイツ、絶対、殺す」


「いや、あの! ウチは別に、静夜君のことが好きとか、付き合ってほしいとかやなくって! ただ、その、これからもよろしくお願いしますっていうか、その……」


 栞が慌てて何とか取り繕い、場を収めようとするが、そんなのは焼け石に水で、

「いいなぁ、なんか青春って感じ」「もう二人付き合っちゃえ!」「うん! 私もお似合いだと思う!」と、さっきまで遠くで眺めているだけだった女性陣たちまで騒ぎに加わって来る。


 正気に戻った康介は、興奮した様子で静夜の肩に腕を回し、


「よかったな、静夜! 正直、栞ちゃんにお前なんてもったいないと思うけどさ、ずっと見てきた俺としては収まるところに収まってほっとしたぜ! これからは心置きなくお前らをからかうから、覚悟しろよぉ? ガーッハッハッハ!」


 と、今日一番の豪快な笑いで、追加のビールを注文する。


 そして会場は答えを求める。乾杯の音頭を待ちわびるように、手にはお酒の入ったグラスを持ち、この告白の、いや、告白と呼んでいいのかすら分からない、どこか曖昧なやり取りの、来るべき結末の言葉を期待する。


 そんな酒宴の中心で、大勢に囲まれている静夜は、まるで祝福を受ける新郎のよう。


 そして同時に、罪を糾弾される咎人のようでもあった。


「…………こんな僕の何がいいの?」


「……え?」


 康介が間の抜けた声を出す。予想外であっただろうその返事に、騒ぎの熱は急に冷めて色を失う。


 不躾で、無秩序で、失礼極まりないこんなお酒の席に、デリカシーという言葉は存在しない。狂ってしまった空気にそれは押し出されるように、胸から溢れ出すのは澱んだ言葉。あまりにもかっこ悪くて、みっともなくて、最低な本音が、汚染する。


「栞さん、僕は君が思っているほど特別な人間じゃない。強くもないし、立派でもない。……栞さんが少し視野を広げて周りを見れば、僕より頼りになる人なんていくらでもいる。栞さんは、まだ知らないだけなんだ。まだ何も、分かってないだけ。……僕なんかじゃ、君とは釣り合わないよ」


 暖房が効きすぎて、息苦しいとさえ感じる座敷は、一瞬にして凍り付く。外の夜風がどこからともなく入って来て、熱の籠った茹だる空気と入れ替わる。


 嫌な沈黙がその静けさを支配した。


 きっと自分は酔っている。この場の変な雰囲気にあてられているだけだ。

 自らが晒した醜態をお酒のせいだと言いたくなって、静夜は残り少ないジンジャーエールを一気に飲み干す。

 炭酸の抜けた甘酸っぱいジュースに、解け残った氷がカランと鳴いた。

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