言いたくなかった事実
「あばよ月宮」「二度と顔見せんな」「チキン」「ヘタレ」「月宮殺す」
背中に罵詈雑言を浴びながら、静夜は夜道を歩いて帰っていく。
当然の如く、沈黙の後に待っていたのは彼に対する非難の嵐。
容姿はもちろん、その場における人望でも栞の人気は圧倒的であるが故に、彼に味方するものは誰もいなかった。
最初から二次会には参加しない予定だったが、静夜はその集中砲火から逃げるように飲み屋を後にする。
「ちょっと、静夜君、待ってぇなぁ」
そんな彼を呼び留めたのは、あまりにも意外な声だった。
「……え? 栞さん?」
「勝手にウチを置いて帰らんといてよ。夜は怖いから静夜君に送ってもらおうって思っとったのに……」
あんなことがあったばかりなのに、いつもと変わらない笑顔を向けられると、後悔と申し訳なさで苦しくなる。
「な、何で……?」静夜はそう問わずにはいられなかった。
「あはは。……もし、さっきの事を気にしとるんやったら、気にせんでええよ? 少なくともウチは気にしてへんし、お酒の席でのことやから、あんまり深く考えんといて?」
まだ暖房の余熱が体に残っているのか、栞はマフラーを付けずに、コートだけを着ている。一方の静夜はマフラーをきつく結んで、冷たい風がダウンの中に入って来るのを防いでいた。
「……気にしないでって、それは無理だよ、栞さん。……だって僕が言ったことは、全部本当の事なんだから。僕は君が思うほど、すごい人間じゃない」
少し冷えた頭で、静夜は二人だけでしか話せない話を始めた。
「確かに僕は陰陽師だ。霊感もあるから、栞さんが見ているモノと同じモノが見えるし、それに脅威があれば、退治することだってできる。……でも、そんなのは特別なことでも何でもない。みんな知らないだけで、僕みたいな人はこの世の中にはたくさんいるんだ。栞さんはただ、身近にいる陰陽師が僕だけだから、僕の事を頼りになる人だ、なんて勘違いしちゃうんだよ」
「……そんなことない。静夜君は、頼りになる人や」
「だからそんなのは、ただの思い込みなんだよ……」
謙遜ではなく、それが事実。
入学した大学で、初めて本物の陰陽師に出逢った。同じ学年で、同じ学部で、同じ専攻で、少人数授業のクラスまで同じになった、男の子。きっと運命を意識するには、十分すぎるだけの偶然の数々が静夜と栞の間には有った。それに加えて、――
「静夜君だって、覚えとるやろ? ウチと静夜君が初めて会った時の事……」
大学に入る以前に、二人は既に出会っていた。
それは大学が始まる1日前の3月31日のこと。
「……翌日からの大学生活がちょっと不安で、ふらぁっと市内を散歩しとったら、たまたま占い屋さんを見つけて、気休め程度に見てもらおかなぁと思ってお店に入ったら……」
「……そこがたまたま、本物の占星術を使って客を信じ込ませ、高価なインチキ開運グッズを売りつける、悪徳陰陽師のお店だった」
それは静夜にとって、京都で取り扱う初めての仕事。
それは栞にとって、あまりにも鮮烈すぎる出会い。
「ウチ、静夜君が突入してきたときは、ほんまに焦ったんやで? あの占い師さん、いろんなことをズバズバ言い当てはって、ウチは本物やぁって信じ込んどったし、『あなたにも見えない悪霊が、あなたに取り憑こうとしている~』って言われて、お祓いをするために服を脱がされとったとこやったし……」
「そ、そうだったっけ……?」
記憶の隅に追いやっていた下着姿が脳裏を過ぎって、静夜はとぼける。
その占い師は、女性客が来ると除霊だと言って服を脱がせ、その盗撮映像を裏で売り捌くというつまらない副業もやっていた。
「静夜君が占い師さんを取り押えたら、隠しカメラとか、お客さんに売りつけるためのネックレスとか、数珠や壺なんかもいっぱい出て来て、あの時はほんまにびっくりやったわぁ……」
その時のことは、むしろ彼女の下着姿以上に記憶に残っている。次々と出て来る証拠の数々に、栞は終始驚き、羨望の眼差しで静夜を見ていた。その瞳の輝きが、目を細めたくなるほどに眩しかったから。
「それで、翌日の大学のオリエンテーションで、静夜君と再会した時は、ほんまに奇跡やって思うくらい、びっくりした」
「……うん、……あの時は、さすがに僕も驚いた」
印象的で、運命的な出会い。それは、大学での再会によって決定的なものとなった。
「それからウチが今のサークルに静夜君を誘ったり、怖いもん見たときは真っ先に相談したり、いろいろとお世話になったけど、静夜君はいつも真剣にウチの話を聞いてくれた。せやから、これはウチの思い込みとか、勘違いやない。静夜君は、頼りになる、すごい人なんやってウチは思う」
自信と確信を持って、栞は力説する。二人で共有したこの八ヶ月弱という期間を振り返り、体験した様々な出来事を踏まえた上で、三葉栞は、月宮静夜という人物を評価した。
それは、やはりうれしいことだ。これまでやって来たことが、誰かの役に立っていたということは、そこにちゃんと意味があったということだから。無意味ではなかったということだから。
だから余計に、首筋を撫でる冬の夜風を冷たく感じた。
「……ありがとう、栞さん。でも、僕は所詮、あの程度だよ。あの程度の事しか出来ない。もし、……もしもこれから、今まで以上の出来事が、栞さんの身に降りかかった時、僕は迷わず、僕を頼ってくれなんて、自信を持って君に言えない」
「ふふふ。あれ以上の出来事やなんて、そうそう、――」
「あるんだよ。もっと危ないことが。もっと怖いことが。それこそ、栞さんが想像できないぐらいの事が。……栞さんはまだ知らないだけ。ちゃんと守られているから、見えないように隠されてるだけ」
「……ウチが、守られとる? ……静夜君に?」
何も知らない彼女は、的外れなことを言って首を傾げる。
また頭が揺れて、簪の鈴はチリンと鳴った。
「……その鈴。それは小さい頃に知らない人から貰った物なんだよね?」
「え? う、うん。厄除けの鈴やって言われて。……これは本物なんやろ? 大学で再会して話した時に、静夜君も保証してくれたやん」
「うん。それは間違いなく本物。何かの〈呪術〉によって作られた正真正銘の〈呪具〉と呼ばれるもので、それもおそらく、かなり高名な陰陽師が呪詛を施して作った、とんでもないほど高価な一級品だよ」
「これって、そんなにすごいもんなん? 確かにこれを貰ってから怖い思いすることは減ったし、大事なお守りやと思って、ずっと持ち歩いとるんやけど……」
栞が頭の簪を触る。突然の査定に困惑気味なのは、彼女がその鈴の本当の価値を知らないから。
「説明してなかったけど、それはかなりすごい品物なんだよ? 僕にもどんな呪詛が組み込まれているのかよく分からないし、僕の知り合いの中でも、その鈴を作れる人は誰もいないと思う。ただ、その鈴が栞さんにどんな恩恵をもたらしているのかは、ちゃんと分かる」
ちゃんと分かったから、彼は敢えて、今日までこのことを口に出さなかった。
それに、栞にとって大切なのは、その鈴が本物であるかどうかであって、鈴の詳しい効果を知る必要はないと思われた。
でも、そろそろ、ちゃんと話した方がいいのかもしれない。
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