第6話 喧騒の夜に鈴が鳴る

報告、その2

 翌日、日も沈んだ午後7時。静夜は北野白梅町周辺の繁華街から妖花に電話を掛けていた。


『……なるほど、霊媒体質、ですか。それに発動条件や持続時間にもさまざまな制限があり、扱える妖力の総量は推定でもかなり膨大だが、まだ完璧に扱え切れているとは言い難い、と』


 先程送信した小レポートのような報告書を手元で合わせて見ているのか、上司の声は釈然としない。


 昨夜、舞桜の体質によって引き寄せられた妖たちは、結局彼女の射撃によってすべて掃討されてしまった。宣言通り憑霊術は使わなかったものの、それで彼女は体力を使い果たしてしまい、月が出ていないこともあって、昨夜はそのまま帰って就寝。首輪型の法具の調査は進まなかったが、そのおかげで、催促されていた報告書をようやくまとめることが出来て、静夜はほっとしている。


『これは私の推測ですが、もしかしてこの体質が原因で《平安会》は彼女のことを協会にバレないようにしていたのでしょうか?』


「たぶんそうだと思うよ。話には聞くけど珍しい体質だから、何かの実験材料に欲しいって思う研究室が彼女を奪おうとしたり、あるいはその存在そのものを口実に、理事会が直接京都に切り込もうとしたり、いろいろと面倒事に発展しかねないからね。存在そのものを隠してしまうのが一番早いってことだったんじゃないかな?」


 京都に住む陰陽師や闇市の人たちは、噂程度に霊媒体質のことを知っていたらしいが、それが一切陰陽師協会の耳に届いていないというところを見ると、やはり《平安会》が徹底的に情報の管理をしていたのだろう。


『実家で隔離されていた、ということは、《平安会》について、彼女が有益な情報を提供してくれるという可能性は、低そうですか?』


「少し探りを入れてみた感じだと、あまりそのへんは当てにならない。実家での立場も怪しいだろうから、何かの交渉材料として使うっていうのも厳しいと思う」


『……そうなると《陰陽師協会》は、是が非でも舞桜さんを取り込もうとはしないかもしれませんね』


「むしろ、霊媒体質の話を聞いて、保護を渋るかも」


『それはないと思いますが、私の時のように陰陽師として前線で戦うか、実験動物として研究されるか、のどちらかを選ばされるかもしれません』


「それ、あの子は絶対にどっちも選ばないと思うよ?」


『そうですね、兄さんの話を聞く限り、舞桜さんはかなりの頑固者のようですから、それなら保護はいらない、とまで言い出すかもしれません』


「……かもしれない、じゃなくて、絶対にそう言うよ」


 静夜からはため息交じりの声が出る。それを聞いて何がおかしいのか、妖花は「ふふっ」と噴き出すような笑い声を返した。


 一方的な二択を迫られて、前者を選んだ少女は、その苦しみの影すら見せない。


『それで、他に何か報告はありませんか?』


「……他に?」


『はい、兄さんが気になっていることなら何でも構いません』


「報告書に上げた以外のことは、全部根拠のないただの憶測になるけど、それでもいいの?」


『はい、それでも結構です』


 妖花に頷かれて静夜は少し考える。

 思いつくことはいくつかあるが、それを言葉にするのは難しい。だから報告書に書かなかったというのもあるが、何より漠然とした違和感のようなもので、それが本当におかしいことなのかどうか、静夜一人では上手く判断できないのだ。 


 その中でも特に気になることを挙げるとすれば、やはり闇市で彼女が四神法陣をやろうとした時のことだろう。


 あの時、法陣は問題なく起動し、展開まで終わって、あとは術の発動を残すのみという段階だった。そこまで来て、彼女の憑霊術は突然解呪された。

 そのせいで四神法陣は発動に至らず、舞桜は急激に体力と精神力を失ってその場にうずくまってしまった。


『……それは、法陣の制御に集中しすぎて、憑霊術の制御が疎かになったからではないんですか? 報告書にもまだ力を扱い切れていない、とありましたよね?』


「それは確かにそうなんだけど、あの時の解呪は舞桜の不注意じゃなくて、舞桜に憑依していた妖自身が彼女の限界を感じ取って自分から離れて行った、というか、そんな感じに見えたんだ」


 あのまま、舞桜が詠唱を完結させて法陣が発動していたら、あの二匹の妖犬は倒せていたかもしれないが、その一方で舞桜にも悪い影響が出ていたかもしれない。無茶な法力の使い方をして自身の精神を完全に崩壊させてしまった術者の話は、この業界では珍しくない。


 しかし、術者に憑依している妖からすれば、そっちの方が好都合なはずである。


 術者が壊れてしまえば、その身体を完全に乗っ取ることが出来る。

 術者が壊れてしまえば、思う存分その力を発揮することが出来る。


 過去の文献に見られる憑霊術や降霊術の失敗は、どれもそのような妖による暴走が原因だと記されていた。


 それなのに、舞桜を桜色に染めるあの妖は、少女の心が壊れてしまうのを防いだ。


『……兄さんは、その妖が舞桜さんに気を遣ったと思っているんですか?』


「さあ? そこまでのことは分からないけど、少なくとも僕にはそう見えた。それに、舞桜は憑霊術が失敗したり、妖が暴走したりする心配を一切してないように見えるんだよね」


 夜空を見上げ、月の光と見つめ合う少女の表情に憂いはなく、むしろそこには月があってよかったと、安堵するような落ち着きすら感じられる。


 そんな主観だらけの漠然とした話を語る兄に、上司の妹は釘を刺した。


『兄さん、憑霊術は、それでも禁術です。《陰陽師協会》は様々な活用方法を考えているようですが、一方の《平安会》では、それが親族でも情け容赦ない処分が下される、危険な術なんです。今は大丈夫でも、いつ何が起こるかは誰にも分かりません。ですから、兄さんも万が一の場合は、常に想定しておいてください』


「……うん、それは分かってるよ」


 それは実感の籠った重い警告だった。

 以前は自らの力すらまともに制御できなかった妖花の言葉は、余計胸に刺さる。


『……それで、もう一つくらい何かありませんか?』


「え? まだなんか欲しいの?」


 現場を急かす上司に、部下からは思わず苦言が漏れる。電話口の妖花からは、不服そうな声で不満が返って来た。


『兄さんには悪いんですが、正直なところ、これだけの報告では足りないと思うんです。最近京都の情勢がきな臭いこともあって、理事会は早期に結論を出したいようなので、私も今は結構板挟みなんです。ですから、なんでもいいので、私に何か情報を下さい!』


 割と必死な感じで妹にそうせがまれると、兄は弱い。


 しかし、なんでもいいと言われると逆に困ってしまう。最近分かった舞桜のことを他にも挙げるなら……、


「……そう言えば、胸は妖花よりもあったかな?」


『は? 胸?』


 口が滑った。妖花の声が急転直下で落ちて行く。


「あ、いや、その……、ムネ、……そう! むね肉! この前、鶏むね肉が安かったから久しぶりに唐揚げを作ってみたんだけど、いっぱい買ったから作り過ぎちゃって、どうしようかなぁって最初は思ったんだけど、それを全部舞桜があっという間に食べちゃってね、あの子、見かけによらずいっぱい食べるんだよね。あの時は結構衝撃的だったっていうか、食費がやばいなぁっていうか、これは経費で落ちるのかなぁ、みたいな……」


『鶏むね肉、ですか……?』


「そう、鶏むね肉……!」


 ここで間違っても女の子の胸と言ってはいけない。言ったら最期。静夜は確実に殺される。

 月宮妖花という少女にとって、胸は唯一にして最大のコンプレックスなのだから。


 少しの沈黙の後、大きく息を吸い込む気配があった後、妖花は明るい声色で兄に笑いかけた。


『……それにしても大変そうですね。六畳一間で、女子中学生と同棲だなんて……』


「い、いや、同棲って……。これは仕事であって、僕は一時的に仕方なく、あの娘を部屋に置いてやっているだけであって……」


『ですが、ひとつ屋根の下であることに変わりありません。優しい兄さんの事ですから、いろいろと気苦労が絶えないんじゃないですか?』


「え? いや、まあ、大丈夫だよ? うん」


『本当ですか? 正直、私は心配です。……兄さん、くれぐれも、変な気だけは起こさないで下さいね?』


「だ、大丈夫だよ! 僕はそんなことしない!」


『うっかりラッキースケベ、なんてことも、ダメですからね?』


「う、うん、それももちろん、ダイジョブだよ」


『私は兄さんを信じてますから(ニッコリ)』


「……うん、アリガトウ」


 …………。

 静夜はこの時、心に誓った。

 部屋に入るときは必ず、インターホンを押して、ドアをノックし、舞桜の返事を聞いてから扉をあけよう、と。風呂上がりの舞桜に頭を撃ち抜かれた時よりも、その胸に強く、決意した。


『ちなみに、いつも私が家で作っていた唐揚げは、鶏もも肉を使っていましたよね?』


「え? そうだったっけ?」


『……分かりました。兄さんは胸がすきなんですね。胸が』


(どうして二回も強調するの?)


「あの、鶏むね肉だよ? 鶏むね肉」


『分かりました。今度作るときは、胸で作りますね、兄さん』


「う、うん……。じゃあ、ちょっと楽しみにしておくよ、次の妖花の手作り唐揚げ」


『はい、ぜひ、……覚悟しておいてください』


(……覚悟って、何を?)


『それではまた。失礼します』


「うん、また、連絡する」


 静夜は額と背中にじっとりと冷や汗を滲ませながら通話を切る。

 きっと、さっきの会話はすぐに忘れた方がいい。


「静夜君! そろそろみんなお店に入るって……、って、どうしたん? 明日世界が終わるんちゃうかってくらい深刻な顔して」


 静夜のことを呼びに来た栞が、不思議そうな目で青ざめた彼の表情を覗き込む。


「ほら、これから忘年会やで? テンション上げてかな!」


 栞は、飲み屋の前でたむろする大学生の集団を指さしながら、浮かれた調子で飛び跳ねた。チリンチリンと今日も元気に鈴が鳴る。


「……栞さんは、明日世界が終わるとしたら、どうする?」


「え? 何、どうしたん?」


「まあ、いいから答えてよ」


「う~ん、それやったら、財布の中身とか気にせず、好きなだけお酒飲んで、文字通り最後の晩餐を静夜君と一緒に楽しみたいなぁってウチは思うけど?」


 最後の晩餐。その響きが今の静夜には少し重い。


「とりあえず、明日世界が終わるなんてありえへんって。電話終ったんやったら、静夜君もはよ来て! 静夜君はサークルの活動に参加するの久しぶりなんやから!」


 そう言って、栞は勢いよく静夜の腕を掴むと、サークルの先輩たちが待つ飲み屋の方へと強引に引っ張って歩いて行く。


 栞は世界の滅亡より、今日のお酒の方が大事なようだ。


 明日世界が終わるというのは確かに静夜の冗談だが、あの妹はその気になれば、世界を一つくらいなら亡ぼせてしまうのだから、栞の言った最後の晩餐というのは、全く洒落になっていなかった。

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