少女の叫び

「君は潔く諦めて、賢明な選択をした方がいいってことだよ。この京都を出て、協会に身を預けるか、それとも二度と憑霊術は使いませんってご実家に謝って破門を解いてもらうか。結局、君一人の力じゃ何も変えられないし、何も変わらない」


 現実は、人の心を蝕み、腐らせる。人はやがて膝を抱えてうずくまる。


「何も出来ないなら、何もするな」


 以前にも送ったその言葉を、静夜はまた繰り返す。


 今度は彼女を諭すように、あるいは何かを諦めたように。


「お前は、またそれか」


「うん。でも、仕方ないよ。人間、出来ることには限りがある。それを無理に押し通そうとしても、潰されるだけ。何も出来ないまま、何も成せないまま、失敗するだけ。後悔するだけ。だったらさっさと諦めて、もっと賢い生き方を選んだ方がいい」


 それがきっと人生の正しい歩き方だ。少なくとも静夜はこの19年間でそう学んだ。そう教えられた。


「今やっていることは全て無駄だとお前はそう言いたいのか?」


 舞桜が俯く。拳銃を握る左手に力が入る。


「別にそう言うわけじゃない。現代陰陽術を覚えることは君にとって間違いなく有用だし、憑霊術と併せて使うことも考えたら可能性は大きく広がる。でも、こんなところで意地を張っていたら、何も報われない」


「……何も、報われない?」


 そう、何も報われない。報われない無念ほど、虚しいものはない。悲しいものはない。


 夜風が境内の砂利を撫でる。落ち葉がすれる音がして、舞桜の肩が力なく下がった。滲んだ汗が風に冷やされて体は凍える。


 それなのに、


「嫌だ」


 少女の答えは手折られることなく、儚くも強く紡がれた。


「私は、嫌だ。そんな道は、納得できない。そんなことをしたら、答えが、分からなくなる。自分がどうして生まれて来たのか。……こんな出自で、こんな身体で、私はどうして生まれて来た? 私はどうして、今までの14年を生きて来たんだ?」


 沸々と湧き上がる声が次第に熱を帯びて行く。


 その怒りはいったい誰に対するものなのか。静夜に対するものか、それとも《平安会》に対するものか。あるいは世の中の理不尽か、それとも己の運命か。


 そんな問いに答えられる者は、ここにはいない。


「……答えなら、選んだ道の先で見つければいい」


 静夜は己の傲慢さを恥じながらそう言った。年上ぶって、19年しか生きていないくせに、偉そうに人生を説く。それでも、少なくともそれは間違ってはいないと思った。


 しかし、


「私はもう選んだ!」


 14歳の激昂が、静夜の達観を間違いだと否定した。


 その声は、生暖かい風となり、不意に肌にまとわりつく。少女の念は荒れ狂う。


「私はもう選んだんだ! 禁術に手を出すと決めた。《陰陽師協会》を頼ると決めた。破門されるのも、命を狙われるのも覚悟の上で、……その上で、私は《平安会》の首席を目指すと決めた! 私はまだ、この道の答えを得ていない。今ある答えに、納得できない!」


 少女は吠える。


「だから私は、ここで戦う!」


 最後を締めたのは、己を律する覚悟の言葉。それが闇夜に響き渡ると、吹き荒れていた風は途端に凪ぎ、冷たく張り詰めた空気は淀みを払って冴えわたる。


 少しだけ、何故か静夜の拳には力が入っていた。またしても、彼は思い出す。


 どうしてこの娘は、こんなにも――、


 ――その時、不意に微弱な妖気が立ち込めた。


 背筋に悪寒が走り、周囲に視線を走らせると、


「いい、静夜。たいした奴じゃない」


「え?」


 舞桜の冷静な声に止められた。さっきはあんなに声を荒げて叫んでいたのに、今はもう、落ち着いた表情で慄然としている。


 影から現れたのは、小さくて弱い妖だった。複数いるが種類はバラバラで、妖犬は見当たらず、どれも取るに足らない妖たちだ。


「……この程度で済んだか…………」


 舞桜が安堵の息を漏らす。まるで、この事態を予想していたかように。


「……まさか、君が呼び寄せた?」


 舞桜は落ち着いて拳銃の弾倉を入れ替える。焦ることなく、その手付きには震えもない。


「……少し念が乱れたからな……。昔から、よくあったことだ」


「昔から?」


「私は、……霊媒体質だ」


 舞桜は少しだけ肩の力を抜いて、穏やかな表情でそう告白した。


 霊媒体質。それは、妖に憑依されやすい特異体質のこと。無意識のうちに妖を引き寄せてしまうこともあるため、昔から災いを呼ぶ元凶として忌避されている。


「……私は物心ついた頃から竜道院家に隔離されていた。聞いた話だと、三歳の時に一度だけ、妖に憑依されたことがあるらしい。私はもちろん覚えていないが、昔から、体調を崩したり、癇癪を起したりした時に妖が屋敷に集まってくることは何度もあったから、隔離されている理由はなんとなく察していた」


 何かを諦めたように、自嘲するような笑みを浮かべて、その口調はどこか他人事のようだった。


『妖に愛された呪いの子』。闇市の人々が彼女に向けていた、あの視線の意味を静夜はようやく理解する。


 舞桜が憑霊術なんて禁術に手を出したのも、おそらくはこの体質が理由なのだろう。適正なら生まれた時から既に持っていた。ただそれが、家族や一族や、この街全体から、嫌われてしまう定めだったというだけ。


 皮肉なことだ。


 舞桜は夜空を見上げる。月は流れる雲に隠れていた。


「……静夜、お前は手を出すな。私が一人でやる」


 拳銃を左手に握る彼女の髪は、まだ黒いまま。


「……憑霊術は?」と静夜が問うと、


「……」舞桜は固く口を噤んだ。


「……もしかして、月が見えないと、使えない?」


「…………」


 続いた沈黙を静夜は是と受け取った。


 なんとなく、そんな気がしていたのだ。舞桜は毎晩、夜の天気を気にしていたし、いつでも自由に妖を憑依させられるなら、現代陰陽術を覚えようとは思わない。


「……この程度の相手なら、これだけでやってみせる」


 そう言って、少女はか細い腕で拳銃を構える。

 その佇まいは、誰もいない夜の暗闇でひっそりと散りゆく桜のようだった。

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