第5話 選んだもの、選べないもの

ご褒美くらいあってもいい

 闇市での死闘から一週間。


 大学の授業を終えた静夜は、家に帰ろうとしたところで栞に捕まっていた。


「なぁなぁ、静夜君、そろそろサークルに顔出せへん? 最近ずっとサボりやで?」


「ごめん、でも今日もちょっと用事があって」


「その用事って何なん? バイトとちゃうんやろ?」


「それは、そうだけど、でも、どうしても外せない用事で……」


「ちょっと顔出すだけでもええやん! 今日は授業もはよぉ終わったし、明日の忘年会のためにも、ちょっとは雰囲気思い出しといた方がええやろ?」


「え、でも……」


 割と本気で嫌そうな顔を見せる静夜にお構いなく、栞はチリンチリンと簪の鈴を鳴らして、駄々をこねるようにダウンジャケットの裾を引っ張っている。


 正直これでは振り解きにくい。おまけに、


「いいじゃねぇか、ちょっとくらい。栞ちゃんがこんな熱心に引き留めてんだからさ、女の子のささやかなお願いくらい素直に叶えてやれよ、かっこ悪いぞ、静夜」


 隣では康介がにやにやといやらしい笑みを浮かべながら、言い合う二人を楽しそうに囃し立てている。とてもウザい。


「静夜はそんなに行きたくないのか? オカルト研究会」


「康君、ウチらのサークルは民間伝承研究会やで? オカルト研究会とは違います」


「アレはオカルト研究会だよ、どこからどう見ても……」


 静夜と栞が所属しているサークルは、名前こそ民間伝承研究会だなんてまともそうな団体を装っているが、やっていることはオカルト研究会となんら変わらない。

 基本的な活動は、ホラー映画の鑑賞か、よく分からない怪談話、都市伝説の研究。長期休暇には、心霊スポット巡りやUFOを呼ぶ実験などをしている、正体不明のサークルだ。


 それなのに、何故か栞はそんなサークルのことをいたく気に入っているらしい。


「だって、居心地ええやん、あのサークル」


「僕はそんなこと思ったこともないけど……」


「えぇ!」


 栞は本気で驚いた顔をする。静夜がこんなに分かりやすく顔に出しているのに、相変わらず、彼女の察しの鋭さと鈍さにはかなりのむらがある。


「っていうかさ、そもそもなんで静夜は、オカルト研究会なんかで幽霊部員やってんの?」


「それはただ、春先に栞さんに引っ張られて部室に入った時、先輩たちに無理矢理入部届を書かされたからで、あとはそのままずるずると籍だけおいてる感じで……」


「せやけど静夜君、ウチが誘ったら飲み会でも合宿でもちゃんと参加してくれたやん!」


「その時はたまたま暇だったからで、今はそれどころじゃないんだ。お願いだから、今日だけは見逃してくれないかな? 明日の忘年会にはちゃんと行くから……」


「う~ん……」


 なかなか諦めない栞は、そこまで言われてようやく服の裾から手を放す。


 すると今度は康介が、すかさず静夜の首に腕を回して絡んできて、「おいおいおい」と小声で非難した。


「静夜、ちょっとお前さぁ、栞ちゃんがこんっな真剣にアプローチ掛けてくれてるんだからさ、ちょっとは答えてやんなきゃダメなんじゃねぇの? お前、女の子に恥かかせる気か?」


「いや、恥をかかせるって、僕にそんなつもりは……」


「栞ちゃんは、絶対お前に気があるって! それなのに、なんでお前はそれに答えようとしないんだよ!」


 栞に聞こえないよう声を抑えてはいるが、首を絞めつける腕には力がこもっていて、少し苦しい。


 肩越しに後ろを振り向くと、栞は寂しさと悲しさを誤魔化すように笑って、申し訳なさそうに肩をすくめる。

 観念した彼女は、引き留めてごめんね、と謝っているようにも見えた。


 吹き荒ぶ木枯らしが、黄色く染まった銀杏の落ち葉を舞い上げる。


 康介の言うことは、もしかしたら、本当なのかもしれない。


 栞の霊感は、並の陰陽師以上に強力なもので、さらに彼女は陰陽師ではないから、頼れそうな人に惹かれてしまう。そんな心理があるのかもしれない。


 そして静夜は、アルバイトとは言え、これでも一応陰陽師だ。彼女と出会ってからの八ヶ月で、栞の相談に乗ったことは何度もあるし、自分の力で足りることなら、問題を解決して、不安を取り払ってあげたことも何度かある。


(……でも、……)


 落ち葉を攫った北風が、今度は栞の厄除けの鈴を清らかに鳴らして吹き抜ける。

 チリン、チリン、と奏でられる音は静夜の胸に落ちて、消えることなく響き続けた。


「ごめん、やっぱり帰るよ」


「え、ちょ、おい、静夜!」


 静夜は康介の腕を振り払う。


「明日の忘年会はちゃんと行くから」


「……うん、また明日ね、静夜君」


 栞は軽く手を振って背を向けた彼を見送った。

 そんな彼女の作り笑顔が、静夜に三年前のとある少女を思い出させた。



 闇市の一件以降、京都では妖犬の群れが陰陽師を襲う事件が頻発するようになった。


 門下の陰陽師を二人も重傷にされた《平安会》は、これを討伐するために厳戒態勢を敷き、既に何度か戦闘も行われたようだが、妖犬たちが殲滅されたという情報は今のところ入っていない。


 静夜たちは何とか妖犬との戦闘を避けながら、首輪型の法具の調査を進めている。《平安会》の警邏からも身を隠さないといけないので、彼らの行動はかなり制限され、収穫は芳しくない。


 少なくとも、あの妖犬たちを陰で操っている者がいることだけは間違いないのだが、現在の妖犬たちは陰陽師を無差別に襲っているらしく、その術者の正体はもちろん、その行動の目的や理由すら、今となってはよく分からなくなって来ている。


 しかし、静夜にとって、そんなことはどうでもいいのだ。


 今回の一件で彼に求められているのは、竜道院舞桜と憑霊術に関する情報。


 上司である妹からは、再三報告を催促されており、静夜は現在、その回答を保留にしている。実は未だに、舞桜から有力な情報を何も引き出せていないのだ。


 言い訳が許されるなら、まず、相手が14歳の女子中学生であるという点がよろしくない。今まで男一人の生活空間だった、たった六畳の狭い部屋に、突然難しい年ごろの少女が加わったのだ。静夜はどうしても彼女を気にしてしまうし、気を遣ってしまうし、心が休まるときなどない。


 舞桜は、静夜の事など気にせず、自由でわがままな振る舞いを続けているが、常に最低限の警戒心は持っていて、世間話を振っても反応はそっけなく、かと言って馬鹿正直に憑霊術のことを質問しても彼女は決して答えない。

 妖犬との戦闘や、法具の調査の中で観察を続けてはいるのだが、憶測だけで下手な報告を挙げるわけにもいかず、八方塞がりの状況だった。


 ため息を一つ溢しながら、静夜は舞桜の待つ下宿のアパートへ向けて軽快にクロスバイクを飛ばしていく。


 山の麓にある大学のキャンパスから下宿までの帰り道はそのほとんどが下り坂で、あまり足に力を入れなくてもクロスバイクはかなりのスピードで京都の通りを疾走していく。4コマ目の講義が早く終わったこともあって、今日は普段より、15分ほど早い帰宅となった。


 最近の労働と睡眠不足のためか、少し身体に疲労が溜まっているのを感じながら、静夜は慣れた手付きでカギを開け、扉を開ける。


「――え?」


 ドアのすぐ前から返って来たのは困惑の声だった。


 もわっと湿った温かい湯気と石鹸の香りが、冬の寒さで冷え切った静夜の体を包み込む。


「――あ」と気付いた。


 目の前にあるのは、白い背中と濡れた黒髪。頭にはタオル。それを抑える腕はか細く華奢で、滴る水は腋を伝ってくびれから腰、お尻へと流れ、引き締まった足を滑り落ちて行く。芸術的な曲線を、今度は下からなぞるように登ってゆくと、顔の右半分をこちらに向けた舞桜の朱色の瞳と目が合った。


「……えっと、これは……」


 驚愕と硬直と焦燥と感動。


 少女の端正な顔が真っ赤に染まると、瞳の奥には殺気が宿る。


 空気は氷点下へと凍り付き、罪深き男児は懺悔の言葉を考えた。


「……静夜、」


「……はい」


 しかし、弁明の機会を頂く前に、額には自動式拳銃の冷たい銃口が押し付けられた。


 先日、静夜が彼女に譲った38口径のレフティーモデル。どこから取り出したのか、その動きは一瞬だった。


「今見たものを、すべて忘れろ」


 最期の情けに、静夜は一度瞑目し、脳裏に焼き付いてしまった少女の裸体を思い起こす。


「……たぶん、無理」


「分かった。じゃあ死ね」


 ――バン!


 そして鳴り響く、一発の銃声。


 冷たい廊下に背中を預け、薄れゆく意識の中で静夜は思う。

 これだから、五歳も年下の女の子との生活は面倒臭いのだ。

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