強襲

「……なんだ、ここは?」


 その通りに差し掛かると、舞桜は驚き、声を上げた。


 先の道には石畳が敷かれ、広い道幅に対して人は少なく、落ち着いている。先程まで歩いていた通りの雑多で陰気な雰囲気とは違い、ここには、洗練された美しさと上品さが不気味さと混在して異様な迫力を放っていた。


「この辺りのお店はかなりの高級店で、一見さんお断りってところが多いんだ。用がある人しか来ないし、来る人もかなりの上客ばかりだから、こういう雰囲気になるんだ」


「……祇園みたいなところだな」


「まあ、そんな感じかな?」


「……お前は祇園に行ったことがあるのか?」


「え? うん、ちょっとだけ」


 お店に入るようなことはなかったが、観光がてらぶらりと立ち寄って歩いたことがある。


「そうか。……私は一度も行ったことが無いがな」


「え、何それ」


 つまり舞桜は、イメージと先入観だけで、ここを祇園みたいだと言ったのだ。


 地元の人間は地元の名所にあまり立ち寄らないのかもしれないが、静夜からすれば、お嬢様の生活というものは、完全に想像の埒外だ。竜道院家のような古風な家柄だと、茶道や華道のような習い事をしていそうだが、今までの彼女の振る舞いからはそんなお淑やかな趣味を感じない。

 ただ、かなりの箱入り娘だったということだけはなんとなく想像できる気がした。

 澄ました顔で舞桜は先に歩き始める。少女の小さな頭を後ろから追いながら、静夜はそんなとりとめのないことを考えていた。


「ッ! 隠れろ! 《平安会》だ!」


 突然、舞桜が何かに気付いて息を呑む。すぐさま静夜の服の袖を掴むと近くの店の影に引き倒し、身を隠す。静夜は店先の外看板に頭をぶつけて「痛ッ!」と悲鳴を漏らした。


「静かにしろ!」と舞桜は鋭い声で理不尽なことを言う。


 体を起こした静夜は頭を擦りながら看板の影から顔を出し、数戸先にある店の様子を覗き見た。


 店先では、精悍な体つきの男が二人、店員らしき人物と談笑している。男たちの手には錫杖が握られており、陰陽師であることは間違いなさそうだが、家紋や所属を示すシンボルはどこにも見当たらなかった。


「……どうしてあの二人が《平安会》だと?」


「前に一度だけ屋敷の集まりで顔を見たことがある。竜道院一門の者ではないが、もしかしたら、私を探しに来たのかもしれない」


「いや、アレはどう見てもただの買い物だよ。確かあのお店は高価な呪符の専門店で、《平安会》の若い陰陽師があそこを贔屓にしているっていう話を前に聞いたことがある」


「っておい、あの二人、こっちに歩いて来るぞ!」


 小声で焦る舞桜。店員が笑顔で一礼すると、二人組の男は店を後にし、静夜たちの潜む方に向かって歩き出したのだ。まだ気付かれてはいないが、見つかって騒ぎになるわけにもいかない。

 静夜は念のために、と印を結んで結界を展開した。


「――臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前! 境界を敷きて、我が身を隠し給え。〈擬心暗鬼ぎしんあんき〉、急々如律令」


 静夜と舞桜を取り囲んだのは、二人の気配を隠す結界。姿はもちろん、臭いや音、足跡さえも隠蔽してくれる優れた結界だ。


「またお前は、こんな複雑な結界を法具も使わずに……」


「まあ、僕の数少ない特技だよ」


 謙遜して誤魔化す静夜。このままじっとしていれば、万が一にも見つかることはないだろう。


 しかし、男たちは結界のすぐ目の前で足を止めた。険しい顔つきで手に持っていた錫杖を構え、腰を落とす。


「見つかったのか?」


「いや、違う、あれだ!」


 訝しむ舞桜の背中を叩いて、静夜は背後を振り向いた。

 男たちが見据える先、静夜たちが歩いて来た通りの入り口には、犬の姿をした妖が二体、男たちの行く手を阻むように立ち塞がっていたのだ。


「あれは昨日の生き残り? いや、でも、昨日のより一回り大きいような……」


「お、おい、静夜、あれ! 首を見ろ、首!」


「首? ……あ!」


 舞桜が何かに気付いて指を刺す。暗闇に目を凝らして良く見ると、二匹の妖犬には首輪のようなものが嵌められていた。


「もしかして、あれが資料の……? ってことは、これは誰かの差し金ってこと?」


「少なくとも、裏に術者がいるのは確定だな。だが、狙いが分からない」


「君じゃないの?」


「あの二匹は明らかに男たちの方を睨んでいる!」


「じゃあ何で、あの妖はこんなところに?」


「私が知るか!」


 静夜たちが防音効果のある結界内が言い合っている間、妖の現れた闇市の通りはパニック状態になっていた。道行く人々は慌て、店先の人はシャッターを下ろし、陰陽師の男二人はそんな彼らを守るように、二匹の妖犬と対峙している。


 戦端が開かれるのは突然だ。


 右の陰陽師は右の妖犬を、左の陰陽師は左の妖を、それぞれが法力を込めた錫杖で妖犬の頭をかち割らんと振り下ろす。だが、二匹は渾身の一撃をものともせずに頭突きで跳ね返し、陰陽師の足や腕に鋭い牙を突き立てた。


「ぐわッ!」と男たちの鈍い悲鳴が通りに響く。


「何だ、あれは?」舞桜も驚愕に目を見開いた。


「たぶん、一匹当たりの妖力が、昨日の群れとは段違いなんだ」


 昨夜の妖犬はその数こそ脅威だったが、一匹ごとの強さはそれほどでもなかった。しかし、今目の前で《平安会》の陰陽師を相手取る首輪付きの二匹は、あの群れの総量に頭敵するだけの妖力をたった二匹だけで有している。


 陰陽師たちは、力で押し負け、一方的な防戦を強いられることになった。


「静夜、結界を解け。私の憑霊術なら――」


「いやダメだ。このままここでやり過ごす!」


「あいつらを見捨てるのか?」


「もう遅い!」


 静夜が叫んだまさにその時、決着がついた。

 妖犬たちの鋭い牙が、陰陽師たちの腕や足を骨ごと噛み砕いたのだ。

 二人の陰陽師は満身創痍となって倒れ込む。出血もひどく、一人は既に気を失っていた。


「……ッ!」


 疾風怒涛の戦いに、言葉も出ない。

 妖犬たちはその後、倒れた男たちにとどめを刺すでもなく、しばらく周囲の臭いを嗅ぎ回ると、そのまま元来た方へと走り去って行った。


 嵐が過ぎ、通りは重い静寂に押しつぶされる。


 店の中から様子を伺っていた人たちが恐る恐る外に出て来て、辺りは騒然となった。


 薬屋の店主らしき老婆が倒れた彼らに駆け寄って手当てを始めると、野次馬たちは輪を作り、凄惨な現場を取り囲む。


「……解」


 静夜が唱えて指を払うと結界は消えた。

 舞桜はすぐに人混みへと飛び込んで、負傷した彼らの様子を見に行く。


 静夜の耳には、野次馬たちの声が自然と聞こえて来た。

「……酷い」「なんでこんなところに妖が?」「陰陽師がこんなにあっさりやられるなんて……」「あれは《平安会》の陰陽師だろう?」「え、嘘! あそこの陰陽師さんが二人もやられたの?」


 恐怖、不安、動揺。それらは波紋を広げ、消えない胸騒ぎとなって静夜の足を震わせる。


 何かが、おかしい。


 あの妖犬は《平安会》の陰陽師を躊躇なく襲った。しかも昨夜のような大群ではなく、たった二匹の少数精鋭で。


 狙いは舞桜ではなかったのか? 昨日の妖犬と今日の妖犬は一切関係のない別物なのか? それとも、まだ、……、


「キャ――――!」


 突然、誰かの悲鳴が上がる。

 甲高い声に引かれて目をやると、次の瞬間、静夜の表情は青く染まった。


 嵌められた。

 あの二匹の妖犬は戻って来たのだ。

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