第4話 京都、それは陰陽師の街

闇市

 四条河原町しじょうかわらまち。東西に延びる四条通しじょうどおりと南北に延びる河原町通かわらまちどおりの交差点。ここは京都でも有数の繁華街となっている。


 平安の時代、京都の街は、東西の通りと南北の通りが綺麗な碁盤の目を描くように作られた計画都市だった。それが今の時代にも残り、地名や住所には通りの名前が使われていることも多い。特に市バスを利用するときは、何番系統のバスがどの通りを走るか把握していると使い勝手が良くて便利だ。

 静夜と舞桜は、94番系統の市バスに乗って、多くの人で賑わうその街へ降り立った。


 時刻は18時。仕事帰りのサラリーマンや観光客、遊びに来た学生たちなどで広い通りも混雑している。舞桜は何が珍しいのか、周りをキョロキョロと見回し、すれ違う人たちの視線を集めていた。


「……で、静夜、こんなところに一体何があるんだ?」


 舞桜が当然の疑問を投げかける。静夜は四条通を西に歩きながらボソッと答えた。


「闇市だよ」


「や、闇市?」


「京都の陰陽師なのに、知らないの?」


「……少なくとも、屋敷で聞いたことはないな」


「まあ、竜道院家のお嬢様ならそういうこともあるだろうけど、一応、《平安会》も認めている陰陽師たちが集まる商店街みたいなものだよ。たまにきな臭いモノが売られていることもあるし、あとは見た目の雰囲気から闇市って呼ばれてる」


「なるほど……」


 静夜の後を追って歩く舞桜は時折視線を逸らして、煌びやかな街の風景を眺めている。

 それは、単に人混みや飲み屋街が物珍しいだけのようにも見受けられたが、その裏には、何か知られたくない事実をそれとなく隠しているように思えて、静夜は少し目を細めた。


 細い路地裏に入ると、通りは次第に狭く暗くなっていく。表の大通りの光もここまで来ると届かない。静夜は何もない道の途中で唐突に足を止めた。


「ここだ」


「は? ここが?」


「そう。ここが闇市の入り口」


「でも、……何もないぞ?」


 左右は建物の壁。前と後ろはただの道路で、市場の活気などは欠片も見えず、月明かりも届かない闇の世界はその空気すらも黒く塗りつぶされている。


「結界で見えないようにしてるんだ。入れば分かる。……これを着けて」


 全て分かっている静夜は詳しい説明もせずに、舞桜に白い数珠を手渡した。


「……これは?」


「入場券みたいなものだよ。それを持ってないと、結界の中に入れないんだ」


「なるほど、随分と用心深いんだな」


「ただの雰囲気づくりだよ」


 二人は左腕に数珠をはめ、何の変哲もない道に一歩踏み出す。するとその一歩が、目に映る世界を一変させた。


 提灯の光に照らされた広い通り。左右の店は色鮮やかな暖簾を掛け、お香の匂いが鼻を突く。どこからともなく立ち込める紫色の霞は、不穏で陰気な気配を漂わせている。行き交う人々は誰もが俯いて顔を隠し、すれ違う人とも決して目を合わせない。商店には人が出入りし、市場は生きているようだったが、活気づいているとはまた違う、なんとも不思議な空間だった。


「呪符や錫杖なんかの伝統的な法具をはじめ、薬に古文書、現代陰陽術、果ては怪しいあれこれまで、なにもかもがここだけで揃う、京都の陰陽師たちのホットスポット」


「これが、闇市……」


 舞桜は気圧されて唖然し、我に返るとしきりに目を泳がせ周囲を観察し始めた。あまり目立つようなことをするのはよくないが、そうしたい気持ちは静夜にも分かる。


「……これは、人除けの結界、なのか?」


 舞桜は後ろを振り向き、何もない虚空を掴むように手を振った。その先には、ただの細い道だけが伸びており、向こうには四条通の明かりも見える。


「人除けと、中の情報を外から隠す仕掛けが施されているんだ。数珠をしないでそのまま歩くと、人気のないただの路地裏が続くだけで、いつの間にか繁華街に通り抜けるようになっている」


「……結界に気付いて踏み込んでも、数珠がなければそのまま通り抜けて、ただの人除けだと誤認してしまう、というわけか?」


「そういうこと。一般人だけじゃなくて、よそ者の陰陽師まで追い払える、ずいぶんと凝った仕掛けだよ。僕も最初はこれに一杯食わされた」


「お前の体験談か……。……一応確認するが、ここで《平安会》の陰陽師が私を張っているという可能性は?」


「君はここのことを知らなかったんだよね? だったら、問題ない。闇市の作法は、常に下を向いて人とは絶対に目を合わせないこと。話すときは小声で早口で用件だけを伝えること。……用心に越したことはないし、闇市に溶け込むことが出来れば、見つかることはないと思うよ」


「分かった」


「それに、正直この闇市以外に、例の法具の情報がありそうな場所を僕は知らない」


「確かに、今回の仕事にはここが打って付けだな」


 舞桜はようやく、静夜の考えに得心がいったようだ。


「じゃあ、行こう」


 そして二人は、闇市の人混みへと歩き出す。猫背になるまで姿勢を歪めた静夜に倣って、舞桜は余計にその小柄な体を小さく丸めていた。



《陰陽師協会》から出された依頼という名の命令は、とある法具についての調査だった。


 仮に、昨夜の妖犬の大群が、舞桜の暗殺のために操られていたとすれば、それを可能にしたなんらかの術が存在するということになるが、妖を自在に操る陰陽術はそれほど多くない。


「それで候補に挙がったのが、その首輪の形をした法具というわけか?」


「そう。以前から《陰陽師協会》が探し回っていたもので、資料によると妖犬を強制的に従わせるかなり特殊な法具ってことだったんだけど……」


「今のところ、これと言った収穫は何もないな」


 闇市を歩き回ってしばらく。

 二人は闇市の中にある喫茶店の隅の席で、軽食を兼ねた休憩を取っていた。


 調査の方は思ったよりも難航している。

 いくつかの店でそれとなく聞き込みを行ったが、妖を操る法具の情報は愚か、怪しい人物の目撃情報などの手掛かりも一切掴めず、全てが空振りに終わっていた。


「はあ」と思わずため息を溢す静夜の正面で、舞桜は大きな餡蜜をパクパクと食べている。


「……おいしい?」


「まあまあだな」


 表情を変えることなく微妙な感想を述べる舞桜。


 もちろん、お代は静夜が払うことになっており、彼が注文した夕食代わりの軽食はまだ運ばれてきていなかった。


 空腹と目の前にある餡蜜から目を背けるように、静夜はスマホを取り出し、妖花から送られてきた資料にもう一度目を通した。


 その法具が作られたのは平安時代の終わり。

 無数の妖犬を従えた強力な妖が、とある陰陽師の一族によって封印された。後に残された妖犬たちを陰陽師の力で飼い慣らせないかと考えたその一族は、妖を従わせる首輪の形をした特殊な法具を作った、と伝えられているらしい。


「で、その一族って言うのが、奈良に縁を持つ犬養いぬかいって一族なんだけど、舞桜は知ってる? 今も式神の扱いに長けた家として結構有名らしいんだけど……?」


「イヌカイ家?」


「そう。犬を養うで犬養。知らない?」


「……知らないな」


「……そ」


法具ほうぐ〉とは、陰陽師が術を発動させる際に用いる道具のことである。

 陰陽師は、〈念〉を練り上げて〈法力〉という力を作り出し、それを術に変換するのだが、術者の身一つで〈法力〉を術に変換することは容易でなく、実戦においては効率も悪い。


 そのため、陰陽師は多くの場合、〈法具〉という補助器具を利用して術を行使するのである。


〈法具〉には大きく分けて二つの種類がある。

 一つは、多彩な術の発動に利用できる法具。呪符や錫杖といった昔ながらの古い法具はそのほとんどがこれに分類され、昔ながらの法具を用いた術は伝統的陰陽術と呼ばれている。


 もう一つは、限られた術の発動に特化した法具。拳銃をはじめとする現代兵器を模した法具はそのほとんどがこれに分類され、これらの法具を用いた術は現代陰陽術と呼ばれている。


「この首輪型の法具は、少しだけ呪術的な要素も組み込んで妖を使役しやすくしているみたいだけど、基本的には僕の拳銃やそのほかの現代陰陽術と一緒で、法力を通さないと術を発動できない、妖犬限定の法具みたいだね」


「現代陰陽術と同じということは、この法具は陰陽師として素養が低い人にでも扱えるのか?」


「たぶん、術を発動させるだけならできるんじゃないかな? でも、あれだけの数の妖犬を一度に操るには、かなり強い法力が必要になるはずだから、少なくとも腕の立つ陰陽師ってことになるんじゃないかな?」


「そうか、それは確かにそうだな……」


 現代陰陽術などの、一つの術に特化した法具の利点は、何よりも少ない力で術を発動できるという点にある。


 伝統的陰陽術に用いられる呪符や錫杖と違い、術の用途を絞った現代陰陽術の法具は、術者が練り上げる法力に雑念が混ざりにくく、法力を効率よく術に変換出来るようになっている。

 故に、少ない法力しか作れない陰陽師であっても、一つの術に特化した法具を使えば、術の発動は容易になるし、強い力を持つ陰陽師であれば、より強力な術を繰り出すことも出来るようになるのだ。


「僕が呪符よりも拳銃を携帯しているのはこれが一番の理由かな。別に呪符が使えないわけじゃないけど、妖を祓うだけなら、銃と弾だけで事足りるから」


「……なるほどな」


 大きな餡の塊をスプーンで崩しながら、舞桜が頷く。


《平安会》の生まれである彼女は、現代陰陽術に馴染みが薄い。

《平安会》は特に、陰陽師とはかくあるべし、という考え方が強いからだ。


 呪符や錫杖などの伝統的陰陽術が推奨される一方で、現代陰陽術は無粋とされて忌避されることが多く、中には最新技術に頼らないと戦えないのか、と現代陰陽術を馬鹿にする人たちまでいると聞く。


「ただ便利だから使っているだけなのにね……」


 現代っ子の静夜は独り言を呟いて、氷の入ったお冷を喉の奥に流し込んだ。


「ずっと気になっていたが、お前が刀を持ち歩かないのは、それが理由か?」


「え? 刀?」


 唐突な問いに、静夜は首を傾げる。それを見て舞桜は、目尻を挙げてきつく彼を睨んだ。


「とぼけるな。陰陽師の世界で〈月宮〉と言えば、月宮流陰陽剣術、月宮兎角とかくだろう?」


 彼女の口から出て来たのは、懐かしさすら覚える恩人の名前だった。


 それは、かつて歴代最強、当代無双と謳われた、月宮一族最後の生き残り。


「お前は、あの月宮兎角の息子なんだろう?」


「義理の、だけどね」


「血は繋がっていないと?」


「そう。だから、彼を最後に月宮の血は途絶えたって言う噂話は本当だよ?」


「だが、その剣技と伝説の霊剣は受け継がれたと聞いている。月宮妖花と〈覇妖剣はようけん〉の名は、この京都にいても聞こえて来るぞ?」


「それは、義理の兄として誇らしい限りだね」


「……」


 のらりくらりとはぐらかすような受け答えに、舞桜は堪らず、核心を問うた。


「お前は、月宮流陰陽剣術を使わないのか?」


 対して静夜は、挑むような視線を彼女に返す。


「使わなかったら、ダメなの?」


「……」「……」


 互いに無言。表情も険しいまま動かない。両者は腹を探り合うように瞳の奥を覗き込む。

 瞬きすらしない二人の沈黙は、張り詰めた緊張感を作った。


「――お待たせいたしました。ご注文のナポリタンでございます」


 無遠慮にその空気を打ち破ったのは、事務的で機械的な喫茶店の店員の声。料理の乗った皿が静夜の前に置かれ、伝票がテーブルの横に伏せられる。

 きっかけを得た二人は互いに引き合い、静夜は黙ったままフォークを手に取り、パスタを食べ始める。舞桜も残った餡蜜を食べ切りにかかった。


 その後、二人は目も合わせることなく黙々と料理を食べ続け、不気味なくらいに静かなまま喫茶店を後にした。

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