新しい仕事
「なぁ静夜君、なんや康君の携帯に静夜君の妹っていう女の子から電話が掛かって来たらしいんやけど……」
3コマ目と4コマ目の間の休み時間、栞はそう言いながら、静夜にSNSアプリのチャット画面を見せて来た。
康介からのメッセージは、3コマ目の授業中に送られて来ている。
『なんか静夜の妹を名乗る女の子から電話が来たんだけど、どうすればいい? って静夜に聞いてくれない?』
栞からは『うん、分かった。授業が終わったら伝えるね』となぜか標準語で返信がされていて、その返事に康介は、『朝に俺のスマホ借りて妹に電話するとか、もしかしてアイツかなりのシスコンなんじゃねぇの(笑)』と言っている。喧しい。
「そう言えば、今朝も康君の携帯から『レポートで使えそうな資料を送って欲しい』って連絡してくれたけど、静夜君、もしかして今も携帯持っとらんの?」
「え? あ、ああ、うん。スマホを家に忘れて来ちゃって、朝の内にどうしても連絡しなきゃいけない用事があったから、康介のを借りて妹に電話したんだ。自分のスマホはまだ取りに戻れてないから、家に置きっぱなしになってると思う」
即座に作り話をでっち上げるが、静夜の背中には嫌な汗が滲んだ。
「……もしかして、仕事の話?」
勘のいい栞は、やはり疑念を抱く。静夜は悟られないように笑顔を保った。
「ううん、全然。ちょっと送って欲しい荷物があっただけ。でも電話が来たってことは、何かあったのかも。悪いんだけど、栞さんのスマホをちょっとだけ貸してもらえないかな? 康介への返信もこっちでやっておくから」
「うん。それはええけど、次もこの教室で授業やで?」
「すぐ戻って来るから。ああ、でも、レジュメだけは確保しといてもらえるとうれしいかな」
「分かった。じゃあ、はい」
「ありがとう、栞さん」
スマホを受け取ると、静夜は一度講義室を出て、まずは康介にメッセージを返す。
『僕はシスコンじゃない。by静夜』
続いて妖花に電話を掛ける。通話は三回目のコールで繋がった。
『……兄さんですか?』
「うん、そう。ごめん、面倒かけて」
『朝とは違う番号ですが?』
「朝とは違う友達からスマホを借りてるんだ」
『……その友人というのは男性ですか? 女性ですか?』
「え? ……な、何でそんなこと訊くの?」
『先程お電話した坂上さんという方が、「今お兄ちゃんと一緒にいる可愛い彼女さんに連絡を取ってみるよ」とおっしゃっていたので……』
あのお調子者は、他人の妹になんて嘘を吹き込んでいるのか。
「彼女じゃない。ただの友達だよ」
『……そうですか。……まあ私は、兄さんがどこの誰とお付き合いしようと構わないのですが、その人に迷惑が掛からないようにだけ、気を付けて下さいね』
「……はい、それはもちろん、分かっております」
そんな忠告をする妖花の声に、少し棘があるように感じたのは、きっと静夜の気のせいだ。
「……で、どうなったの?」
前置きはほどほどにして、静夜は本題を問う。妖花も真剣な声音で答えた。
『……結論から申し上げますと、竜道院舞桜は現状を維持、しばらくの間は保護観察とすべき、ということになりました』
「……やっぱりそうか……」
『はい。私が報告を上げるとすぐに理事会で会議が開かれました。中には本部へ移送して《平安会》の情報を聞き出すべきという意見や、憑霊術の研究に利用すべきという意見、戦力としてどこかの作戦室に入れるべきなどの過激な意見も出たようですが、結局は本人の希望通りにするが最も無難だ、という結論に達したそうです』
「無難、ねぇ……」
『破門されたとはいえ、元々は《平安会》の御三家の一つ、竜道院家の娘さんです。本人が京都に残ることを希望している以上、無理矢理連れ出してしまうと、後々になって《平安会》から強い抗議を受けるかもしれません。それに、憑霊術をはじめ、彼女自身にも様々な懸念材料があるので、決断は先延ばしにして、しばらく様子を見て考えようということになったようです』
「う~ん……」
協会の決定は静夜の予想通りだった。正直なことを言ってしまうと、すぐにでも自分のところから引き取って欲しかったのだが、ここは慎重に動くべきだと判断したのだろう。
「……一つ質問なんだけど、竜道院舞桜という個人について、協会は何か掴んでる?」
『いえ、……本部にも彼女の情報は何一つ入っていないようです。おそらく《平安会》が意図的に彼女の存在を外部から隠していたんだと思います。今までの諜報活動でも、舞桜という名前の娘が竜道院家にいるという情報は全く掴めていませんでしたから、今回の決定はこのことも大きく影響しているのかもしれません』
「なるほど……。でも、なんで?」
違和感を覚えて首を傾げる。
舞桜は、憑霊術を会得したのは最近のことで、今回の破門は禁術の会得がその根拠になっている、と話していた。
しかし、妖花の話を信じると、舞桜は憑霊術を覚える以前から《平安会》全体によって、その存在を隠されていたということになる。それも、協会にすら悟られないほどの徹底ぶりで、だ。
『分かりませんが、もしかしたら、私と同じ理由かもしれません』
「それは、彼女の存在そのものが大きな戦いの火種になりかねないからってこと?」
『……はい。あくまで私の邪推なんですけど……』
妖花は誤魔化すように笑ったが、その推論はもしかしたら的を射ているかもしれない。少なくとも、昨夜の静夜が考えた、『陰陽術が使えない一族の恥さらしだから』という理由よりは説得力がある。
協会も、その可能性を考慮したから、無理矢理京都から連れ出すという選択を避けたのかもしれない。
「……」
『……兄さん?』
「……保護観察にするってことはつまりさ、……その辺の事情に探りを入れながら、しばらくあの子の面倒を見ろって言うのが、僕の次の新しい仕事?」
『あ、はい。そういうことになります』
「ちなみに、協会からの応援とか支援っていうのは……?」
『……それは、私も出来る限り訴えたのですが、』
「あ、いや、いい。大丈夫。分かり切ってたことだから……」
またしても、嫌な想像が現実のものとなってしまった。
『……それから、兄さんたちを襲った妖犬の群れについてなんですが、これも兄さんが調査するようにという新しい命令が出されました』
「え? あの妖犬たちについて何か分かったの?」
『はい。眉唾かもしれませんが……。あとで兄さんのスマホに資料と依頼書を送ります。これには竜道院舞桜を同行させて、彼女と憑霊術についての情報を集めるように、という極秘任務も付随しています』
「……なるほど、実戦の中で品定めをしてこいってわけですね」
何とも《陰陽師協会》らしいやり口だ。
静夜の上司でもある妹は、そこまでのことを伝え終えると、また沈鬱な声で兄に対する謝罪を溢す。
『……ごめんなさい、兄さん。無茶をしないで下さいと言っておきながら、また、こんな無茶な仕事を押し付けてしまって』
妖花の声は揺れている。兄を心配しているのか、それとも自分の不甲斐なさを嘆いているのか。たぶん、その両方だろうと静夜は思う。
「……今朝も言ったけど、妖花は何も悪くない。働くと決めたのは僕自身なんだから。それに仕事を押し付けているのは理事会であって妖花じゃない」
『ですが!』
「大丈夫。今回も、上手くやるから」
優しい口調で妹を宥め、言いくるめる。
仕方のないことだから。この世の中はそういうものだから。
そう言って静夜は己に言い聞かせる。
今を受け入れる以外に、選択肢はないのだ。
それでも、不安の尽きない妹は、最後に念を押すようにこう言った。
『……兄さん、分かっているとは思いますが、三年前の約束だけは、きちんと守って下さいね』
「もちろん、分かってるよ。それだけは絶対に守る」
三年前。それは、決して忘れることの出来ない、覚悟と挫折の思い出だ。
静夜は低い声でしっかりと頷く。あの日から今日まで、その約束を忘れたことは一度もない。
『……私は、兄さんを信じてますから』
「うん、ありがとう」
静夜が最後に返事をすると、しばらくの沈黙の後、兄妹は無言のまま同時に通話を切った。
あとに残るのは、ツー、ツー、という虚しい電子音。
窓の外を見ると、桜の木に残った僅かな枝葉が、冷たい風に晒されて今にも飛ばされそうになっている。
頼りない枯れ葉だ。
あの日の敗北から、静夜はずっと立ち止まっている。
守るつもりのない約束を守ると偽って、彼は今日も嘘を重ねた。
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