持つべきは友人
軽快で明るい、鈴の音にも似た綺麗な声がした。言葉ははんなりとして柔らかく、活発さの中にも上品さが漂い、彼女独特の雰囲気を形作る。
「おはよう、栞ちゃん」
先に康介が挨拶し、静夜はそれに続いて、彼女に頭を下げてお礼を述べた。
「おはよう、栞さん。お陰様でレポートは何とか仕上がったよ。本当に助かった。ありがとう」
「ほんま? ウチなんかのアドバイスでほんまに大丈夫やった?」
「バッチリだった。栞さんを頼ってよかったよ」
「そ、そこまで言うて貰えたらウチも嬉しいわ……。おおきに」
照れたように目を逸らして頬を掻く。頭の後ろで髪を止めている簪には、小さな鈴が二つ付いていて、それが冬の白い太陽を眩しく反射させて、輝いていた。
先程、静夜と康介が話題にしていた、文学部一の美女(康介調べ)である。
同回生だが浪人していたため、歳は静夜たちよりも一つ上になる。生まれも育ちも京都らしく、彼女の何気ない所作や言葉には洗練された美しさがある。一見近付きにくくもあるのだが、話してみると、その柔和な笑みと澄んだ明るさに触れて、魅了される男子は多いと聞く。
どこかの箱入り娘とは大違いだな、と静夜は思った。
「ん? 静夜君、どうしたん?」
「ううん。なんでもない」
静夜と康介は一旦テーブルを栞に預けて、学食の列に並び昼食を購入する。テーブルに戻ると栞はいつも通りのお弁当を広げて二人を待ってくれていた。
「いやぁ、でも、相変わらず栞ちゃんのお弁当は美味しそうだよなぁ……。前から訊きたかったんだけどさ、それって自分で作ってんの?」
学食のカレーを食べながら気さくな感じで康介が話を振る。さらっと話し始めるところにコミュニケーション能力の高さを感じた。
「ううん、これはウチのお母さん。弟の分を作るついでにって、頼んで用意してもらっとるの」
「弟って今いくつなの?」
「今高校二年生。せやから、あと一年ちょっとはお弁当作ってもらえるんかな?」
「へぇ、そっか。良いなぁ実家組は。俺はさすがに学食のカレーの味にも飽きて来たよ」
笑顔で会話に花を咲かせる二人の横で、静夜は定番のささみチーズカツ定食を無言で食べ進める。ちなみに、財布も学生証も部屋の中なので、この昼食は康介の奢りだ。味については贅沢を言わないことにしているが、飽きてきたのは静夜も同じだった。
「せやけど、独り暮らしの方が自由でええんやない? 大学からの距離も近いんやし」
「でも、家事だって自分でやらなきゃいけないんだぜ? 何もしなかったらご飯も食べられないしさ……」
「自立出来てええやん。ウチもいい加減、料理とかできるようになった方がええなぁって思うんやけど、どうしてもお母さんに甘えてしもうて、独り暮らしはウチには絶対に無理やわって最近つくづくそう思うねん」
「まあ、結局はどっちもどっちってことだよな、独り暮らしも実家暮らしも」
「うふふ。せやね」
口元を抑えて軽く笑った栞に合わせて、簪に付いた金色の鈴は、チリンチリンとまるで相槌を打っているようだった。
昼食を食べ終えると、康介は午後の授業が休講になったと言って、意気揚々とした足取りで大学の外へ遊びに行ってしまった。静夜と栞は三コマ目の講義が同じため、連れ立ってキャンパスの中を歩き出す。
昨夜、静夜と舞桜が妖犬の大群に襲われた中庭は、今は何事もなかったかのように閑散としている。敷き詰められた人工芝は枯れることなく緑のままだが、冬となった今では、春や秋のように芝生に寝転んでくつろぐ人もいない。
寒さと北風から逃げるように、誰もが足早に中庭の横を通り過ぎて行く。
栞が恐る恐る口を開いたのは、ちょうどその中庭の中を突っ切って進もうとした時だった。
「……なぁ、静夜君、さっきからずっと気になっとったんやけど、静夜君が今着とる服って、康君の服やない?」
「え? ああ、これは昨日ちょっと事情があって、自分の部屋に帰れなくなっちゃったから、康介にシャワーと着替えを借りたんだよ」
平静な顔で嘘をつきながら、静夜は不審に思う。
気付いていたのなら、その話題を三人でいた時に挙げても良かったのに、と。
こういう時、決まって彼女は勘が鋭い。
栞は逡巡するように目を泳がせながら、重苦しそうに口を開いた。
「その事情ってもしかして、……この中庭から変な臭いがするんと、なんか関係ある?」
すぐそこの、誰もいないはず中庭を指差し、栞は不安げな顔で静夜を見上げた。
それは昨夜、静夜と舞桜が落ち合い、妖犬の大群に襲われた場所。そして舞桜が、得体の知れない妖の力を身に纏い、戦った場所。
「……その臭いって、どんな臭い?」
静夜は栞の質問に答えることなく、しかし誤魔化すこともなく、彼女が感じると言う臭いについて尋ねた。
栞は少し鼻をすすって、自身が感じた違和感をもう一度確かめる。
「う~ん、いろいろ混ざっとるような感じがしてはっきりとは分からんのやけど、お酒みたいな、頭がくらってなるような臭い、やろか?」
「お酒のようなくらっとする臭い、か……」
その表現はなんとなく、舞桜が妖を纏った時に静夜が感じたものと、ニュアンスが近いかもしれない。
「静夜君は何も感じへん?」
「いや、これと言って、臭いは何も」
「……そっか。やっぱ、プロの陰陽師がそう言うんやったら、ウチの勘違いなんかな?」
「いや、そんなことはないよ。前にも言ったけど、栞さんの霊感はかなり強力で敏感だし、それに、僕はプロじゃないから。お手伝い程度にたまに仕事をやる程度のアルバイトだから」
「せやけど、ウチよりはそういうのに詳しいんやろ?」
「……それはまあ、一応ね……」
栞には霊感がある。それもかなり強い部類のものが。
陰陽師の家系でなくても、妖の存在を知覚できる人間は稀に存在し、栞は幼い頃から妖の姿を見たり、音や臭いで感じ取ったりすることが出来たというのだ。しかし、あくまで霊感を持っているだけなので、陰陽師のように妖を退治することは出来ず、昔は怖い経験をすることも多かったという。
栞はまた、不安げな表情で中庭を見つめる。
春先や秋口の穏やかな日には、人工芝で談笑したり、ベンチで本を読んだりする学生も多いのだが、冬が駆け足で進む今日のような日には、かえってその静けさが不気味に感じる。
そこから変な臭いがしたら、余計に不吉な予感がするだろう。栞の憂いは、ごく自然なものだ。
「……分かった。じゃあ僕の方で少し調べてみるよ。必要なら対策も考える」
「ほんまに? おおきに!」
静夜が言うと、途端に、栞の表情には光が戻った。
「ううん。栞さんにはいつもいろいろとお世話になってるからね」
「そんな! お世話になっとるんはウチの方やで? 夏休みにサークルのみんなで心霊スポット巡りした時も、ハロウィンで降霊魔術を実験した時も、ウチのこと助けてくれたやん!」
「……あれは、妖とかは一切関係なかったような気がするけど?」
「せやけど、ほんまに、ウチはこの鈴と同じくらい、静夜君にはいっつも感謝しとるんやで?」
少し気恥しそうに、でもどこか嬉しそうに、栞は頭を揺らして、簪についた鈴をチリンチリンと鳴らした。
清らかな音色が彼女を守るように波紋を広げる。
彼女が身に着けている金色の鈴には、厄除けの効果が付いているのだ。幼い頃、妖が怖くて泣いていたところに、たまたま通りかかった見知らぬ誰かがくれたものらしい。
きっとこの京都に住む陰陽師の誰かだと静夜は思うのだが、術式が古く出所は調べても分からなかった。
ただ、栞はその鈴をお守りとして、いつも肌身離さず持ち歩き、とても大切に扱っている。
そして、そんな栞曰く、静夜は陰陽師としてとても頼りにされているらしい。
栞に本物の霊感があると知った時、静夜は「困ったことがあったら相談に乗るよ」と善人ぶって自分が陰陽師であることを正直に伝えていた。それ以降、彼女は頻繁に静夜を頼るようになったのだが、静夜にはあまり彼女の役に立った覚えがない。
二人が恋人同士であるという話は、それこそ康介や周りの人たちが面白がって囃し立てているだけなのだ。
チリンチリンと、栞の足の運びに合わせて音を奏でる〈厄除けの鈴〉がきらりと光る。
「……まあ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。それから、僕が康介から服を借りているのは、仕事とは一切関係ないからね?」
静夜は、舞桜や仕事に繋がる話を回避するため、栞にただそれだけを伝えて、この話題をやり過ごすことにした。
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