報告
康介が食事の片づけをしている間に、静夜はスマホを借りて会話が聞かれないトイレに入り、電話を掛ける。
一応、舞桜が起きているかもしれないので、一度は自分のスマホに掛けてみたが、今度はいつまでたっても反応がなく、最終的に留守番電話サービスに切り替わってしまった。
仕方ない。
よって静夜は、電話を掛けるべきもう一人の相手をコールする。
まだ朝の早いこの時間に、彼女が起きているかどうかは疑問だが、真面目なあの上司の事だ。律儀に報告を待ってくれているだろう。
――プルルル、プルルル、プルルル、ガチャ。
「あ、出た。もしもし? 僕だけど、起きてる?」
『…………起きてます。おはようございます。兄さん』
少しの眠気と混乱を振り払うような挨拶で、彼女は答えた。
『兄さんからの電話を待っていたら、いきなり知らない番号が表示されたのでびっくりしました。……本当に兄さんですよね?』
「うん、そう。ちょっとトラブルがあってね、大したことじゃないんだけど、今は友達のスマホから掛けてるんだ」
『仕事で、何かあったんですか?』
「うん、……それがちょっと面倒臭いことになった」
『面倒臭いこと、ですか……。分かりました。……それでは、《陰陽師協会》特別派遣作戦室室長、
少しタメて威厳を演出した後、静夜の義理の妹は部下に報告を促した。
中略。
『……憑霊術に破門、妖の襲撃に、《平安会》の首席を目指す、ですか。……それは確かに、面倒なことになりましたね』
話を噛み砕きながら反芻した妖花は、まるで他人事のように同情を示した。
「実際、今現在も困り果ててるんだけどね」
『寝落ちした兄さんを外に捨ててから寝るなんて、見事な自己防衛じゃないですか?』
「感心しなくてもいいよ……」
まるで自分が悪党のようだ。いや、女子中学生を独り暮らしの大学生が部屋に連れ込んだのだから、確かに正当防衛と言えなくもないかもしれない。
「とりあえず、これからのことについては理事会からの判断を仰ぎたい。さすがに今回の仕事はアルバイトの領分を超えてるよ」
仕事の話を受けた時からそう思っていたが、《平安会》からの離反者を受け入れるなんて、《陰陽師協会》からすれば、高度に政治的でデリケートな案件だ。それを一介のアルバイトに丸投げするなんて、正直言ってどうかしている。
『仕方ないんですよ。京都市内は完全に《平安会》のテリトリーです。Cランク以上の正規の陰陽師を派遣しようとすれば、すぐにでも《平安会》から抗議文が届いて、最悪の場合は実力排除です』
「だからって、京都に下宿するただの大学生を必要以上に酷使するのはやめて欲しいよ。労働基準法って知ってる?」
『陰陽師の社会でそんな法律を持ち出しても無意味です。法律よりも私法が優先される業界なんですから』
「だからって、一族の娘を殺すかな?」
『《平安陰陽学会》なら、あるかもしれませんね』
兄妹揃ってため息が零れる。
静夜は妹の妖花と違い、《陰陽師協会》に所属する正規の陰陽師ではない。
彼が京都の大学に進学することを聞き付けた《陰陽師協会》が、ほとんど一方的に仕事の依頼を受けるように強要してきたのだ。
妹が《陰陽師協会》の一員ということもあって断り切ることが出来ず、静夜はアルバイトという形でこれを受け入れた。京都の街に引っ越してからは、《平安会》の眼をうまく逃れながら、スパイのような活動を地味に続けている。
それでも以前までは、《平安会》の情報をこそこそと集めるような仕事や、京都に逃げ込んだ悪い陰陽師の調査など、どちらかといえば簡単な依頼が多かった。昨日突然舞い込んで来た今回の仕事も、保護した少女を《陰陽師協会》に引き渡すだけの簡単なお使いかと思えば、そういうわけにもいかないようなので、静夜の胃には穴が空きそうだった。
『確かに今回の仕事は、兄さんにもリスクが大きいですね。下手に動き回って、《平安会》の人たちに見つかってしまったら、兄さんは最悪の場合、大学を辞めさせられるかもしれません……』
「さ、さすがに大学の方は大丈夫だと思うけど……。まあ一応、今回はいつも以上に気を付けて動くことにするよ」
『…………』
「……妖花?」
『……すみません、兄さん。私がもっとしっかりしていれば、兄さんにこんな仕事がいくこともなかったはずなのに……』
「別に、これは妖花のせいじゃないだろう?」
『ですが、兄さんが大学へ進学したのは、私が強く希望したからでもありましたし……』
妹の声には、悲しみと後悔と自責の念が滲んでいた。
それは考え過ぎだと静夜は思う。京都へ進学したのも、《陰陽師協会》と契約したのも、結局は静夜自身の選択だ。妖花が負うべき責任は何もない。
「……大丈夫だよ、妖花。僕だって義父さんに鍛えて貰った陰陽師の端くれだ。一度引き受けたからにはちゃんと自分で責任を取るよ。それに、僕がそんなに軟じゃないってことは、妖花が一番よく分かってるだろう?」
静夜は落ち込む妹を励まそうと、優しい声でそう告げる。
胸がきつく締め付けられるように苦しいのを、悟られないよう気を付けながら。
『……そうですね。兄さんなら、大丈夫ですよね』
すると妖花は、いつも通りの明るさを取り戻す。静夜はさらに息が詰まりそうになるのを堪えた。
「うん、……じゃあとりあえず、さっきの話を上に報告して新しい命令を貰って来てよ。一応念を押すけど、京都に残るっていうのが依頼人のご希望だからね」
『はい。それは分かっています。兄さんも、くれぐれも無茶だけはしないで下さいね』
「了解。それでは失礼します、室長」
『はい。ご苦労様でした、兄さん』
そして、義理の兄妹は笑顔のままで通話を終えた。
「……ふうぅ」と、静夜はため息と共に緊張を逃がす。
トイレの隅に取り付けられた小さな鏡には、薄ら寒い笑顔で何かを誤魔化した自分が、こちらを嘲笑っていた。
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