第3話 京都、それは学生の街
翌朝、締め出しを喰らう
目を醒ますと、そこは見知らぬ天井だった。
「……え?」
そして次の瞬間、あまりの寒さと冷たさに身体が跳ねて跳び起きる。
「え? ……え⁉」
静夜は混乱した頭で周囲を見渡し、状況の理解を試みた。
彼が寝ていたのは、部屋の外、アパートの廊下だったのだ。
意味が分からない。
自分の格好を見ると、昨日の服を着たままだ。おそらく家に帰ってから風呂にも入らず、いわゆる寝落ちをしてしまったのだろう。
しかし、何故、廊下で寝ているのか。
「……あれ? ……ま、まさか……⁉」
一番新しい記憶をぼんやりと思い出した静夜は、嫌な予感がして、目の前の部屋のドアノブに手を伸ばした。
――ガチャ、ガチャ! ……ガチャ……。
鍵が閉められている。
静夜の全身から一気に血の気が引いていった。
「……ちょ、ちょっと! 舞桜⁉ これはいったいどういうことだ⁉ 新手の嫌がらせか⁉ ……おい! そこにいるんだろう? おい!」
――ドンドンドン! ドンドンドン!
寝起きの力を振り絞ってドアを叩く。身体を突き動かすのは、生命への危機感。部屋着のままで、上着はなく、十二月の朝の寒さは殺人的で、手の感覚は既になくなっていた。
スマホや財布は部屋の中、ポケットの中を漁っても、部屋の鍵が出てくるわけもなく、このままだと、確実に死ぬ。
昨晩、妖犬の大群に襲われて絶体絶命だったところから九死に一生を得たにも関わらず、翌朝になって部屋を閉め出されて凍死するなんて、冗談にもほどがある。
――ドンドンドン! ドンドンドン!
――……。
無情にも、部屋のからの反応は一切返って来なかった。
「もしかして、寝てるのか⁉」
絶句。そして絶望。
扉を叩く拳に、静夜はさらに力を込めた。
――ドンドンドン! ドンドンドン!
「起きろ、起きてくれ! そしてここを開けてくれ!」
――ドンドンドン! ドンドンドン!
扉を叩いて必死に叫ぶ。
「頼む! 頼むから! お願いだから! せ、せめて、上着だけでも……!」
――ドンドンドン! ドンドンドン!
声を絞り出し、全力でドアを叩き続けた静夜の願いは、
「うるせぇえぞ! 馬鹿野郎! 静かにしろぉおお!」
隣の部屋のおじさんの怒りを買った。ものすごい剣幕で怒られた。
「……は、はい。……すみませんでした」
おじさんが部屋に戻ると、冷たい廊下には静夜一人が残される。外の道路を走り抜ける原付バイクの音が虚しく響いた。
こうなってはもう、何も出来ない。最後の望みをかけて、静夜は冷え切った鉄のドアに顔を押し付け、中の音に耳を澄ませてみるが、
………………………。
部屋からは何も聞こえて来なかった。
そうして、静夜は希望を失い、立ち尽くす。
それは、今季一番の最低気温を観測した、午前六時の出来事だった。
――ピーンポーン。
締め出しを喰らってからしばらく。空がようやくうっすらと明るくなった頃。
静夜は小さな一軒家の前で、礼儀正しくインターホンを押していた。
身体を抱き、歯をがたがたと鳴らして、寒さに震える彼は切望する。祈りが通じたのか、その家の扉はガチャっと優しく開かれた。
「どうしたんだよ、静夜。こんな朝っぱらにそんな薄着で」
現れたのは、静夜と同い年の男子大学生。髪を明るい色に染め、パジャマと思しきスウェットを着ていても、その佇まいが決まって見えるほどすらっとしたシルエットが魅力を放つ好青年。
「せ、せ、説明は、あ、後でちゃんとするから、と、ととと、とりあえず、シャ、シャワーと暖かい飲み物を、僕に恵んでもらえませんか?」
静夜は声を震わせながら、まるで降臨した神様に救いを乞うような表情で、なんとかそれだけを口にした。
それからまたしばらく後。
空調の利いた暖かいリビングの、ふかふかでどこまでも沈んでいきそうな大きなソファーに身を預けて、静夜は引き立てのコーヒーを身体に流し込んでいた。
首にはタオル。シャワーで体を温め、まったりとくつろいでいただく朝の一杯はまさに至福のひと時だ。
ソファーの後ろのカウンターキッチンからは、フライパンで何かを炒める音がしていて、ベーコンの焼ける香ばしい匂いが静夜の鼻腔をくすぐる。
本当に、この家に住まう悪友の気前の良さには、頭が下がるばかりだ。
「ありがとう、
静夜は朝食の準備をしてくれている彼にお礼を述べる。
「それは良いけどよぉ、いったい何があったんだ? 雪山で遭難でもしたのか?」
「いや、まあ、えっと、……酷い目にあったっていう意味ならそういうことかな?」
「面白そうじゃん、詳しく聞かせろよ」
ニヤリと笑う彼に、静夜はここに至るまでの経緯を話し始めた。
彼はこの家の主、
静夜は舞桜を叩き起こすのを諦めた後、自転車を少し走らせ、この家で独り暮らしをしている彼に助けを求めたというわけだ。
康介の出身は関東で、東京の大学なら実家から通うことも出来たそうだが、大学では独り暮らしがしたいと言って、わざわざ京都の大学に進学を決めたらしい。
そんな我儘な進路決定が許される彼の家庭環境に、静夜は最初驚いたが、それ以上に衝撃だったのは、彼の住まうこの一軒家を初めて見た時だ。
静夜と同じ学生の独り暮らしのはずなのに、康介の家は、部屋の数も広さはもちろん、お風呂やトイレ、キッチンの設備、調度品から細かな道具、衣料品から食料品に至るまで、様々なものが充実している。
端的に言ってしまうと、坂上康介はお金持ちだ。
親が会社を経営しているとかで、自身も株の運用で、ある程度の資産を持っているとか、いないとか。
加えて、その整った顔立ちと喋りの上手さ、背の高さ、心の広さと包容力も手伝って、女性からは高い人気を集めている。大学の外で彼とたまたま会った時は大抵、以前と違う女性を隣に連れて歩いている。
この家は衣服も大量に余っており、着替えを借りるとき、静夜は新品の下着を返す必要はないと言われてもらったのだが、何故この家に下着(女性用を多く含む)が常に新品で準備されているのかについては、踏み込んではいけない、この家の七不思議の一つだ。
朝の情報番組が、午前七時を知らせている。ようやく朝日が京都の街を照らし始める時間になる頃、静夜はここに至るまでの経緯を話し終えた。
「……へぇ、バイト先の知り合いが家に押し入って来て騒いだ後、寝落ちした静夜を部屋の外に締め出して現在爆睡中、か……。それは災難だったな(笑)」
出来上がった朝食をダイニングのテーブルに運びながら、康介はケラケラと笑って、静夜の嘘の説明を信じてくれる。
シャワーを借りている間に用意された朝食は、トーストとサラダ、目玉焼きとベーコンという見事な洋風の朝ごはんだった。部屋の雰囲気に合わせたダイニングテーブルにそれらが並ぶと壮観で、思わず静夜は「おお!」と歓声を上げてしまう。こんなにもちゃんとした朝食を食べるのは久しぶりだ。
やはり女性に好かれるためには、料理の腕も大切だということなのか。
至れり尽くせりのおもてなしに恐縮しながら、静夜は康介の正面に座って両手を合わせた。
「いただきます」
「でも正直びっくりだなぁ……」
「何が?」
「俺以外にも、部屋に押し入って来て朝までどんちゃん騒ぎするような馬鹿な友達が、静夜にいたんだなって」
トーストにジャムを塗りながら、康介は静夜の話をさらに掘り下げようとする。静夜の意外な一面を見たと思っているのか、その表情はどこか嬉しそうだ。
「いや友達じゃなくて、バイトで知り合っただけのただの仕事相手だよ」
「バイトって、確か日雇いの派遣だろう? そこまで仲良くなるような友達とかできるもんなのか?」
「だから友達じゃないってば」
普段から、静夜は陰陽師の仕事のことを単発の派遣のアルバイトと言って誤魔化している。本当の事を言っても信じて貰えるわけがないし、夜勤が多いと言えば、知り合いからバイトを紹介して欲しい、と頼まれることもない。これが最も都合のいい嘘なのだ。
もっとも、康介のようなお金持ちには、アルバイトなんてする必要もないのだろうが。
「あ、そうだ。あとで康介のスマホ、貸してくれないかな? 部屋にいるその人と連絡が取りたいんだ」
「ああ、良いぜ……。あ、何なら今、俺が掛けてやろうか? お前のスマホに電話すればいいんだろう?」
「え? ちょ、それは待った!」
最新機種のスマホを喜々として取り出す康介に、静夜は慌てた。だが、その反応はむしろ康介の嗜虐心を煽ることになる。
「お、もしかしてやっぱり、その友達って女の子か?」
「違う、そうじゃない。でも電話は僕が掛ける!」
「ふぅん、その反応は絶対に女だな。そうかそうか、やっと静夜にも春が来たか」
「今はまだ12月だ!」
「そのツッコミは0点だ」
静夜が意地になればなるほど、康介は楽しそうな笑みを深めていく。
テーブルを挟んでいては止めることも叶わず、スマホを操作した康介は、スピーカー機能をオンにして、静夜の番号にコールを掛けた。
プルルルル、プルルルル――、
呼び出す音が数回続いて、
ガチャ――、
電話が繋がった。
プツ。ツー、ツー。
「あ、切られた」
ヒヤッとしたのも一瞬、通話はすぐに終了してしまった。
静夜はほっと胸を撫で下ろすが、全身の毛穴が開いて冷や汗が噴き出したような気分だ。
「おやおや? 問答無用で電話切るとか、お前、その彼女相手に一体何をやらかしたんだ?」
「だから、女の子じゃないってば」
どうやら舞桜はまだ睡眠を邪魔されたくないようだ。
「はぁ、悪いけど、あとでちゃんとスマホを貸してくれないかな? まだいろいろと連絡をしなくちゃいけない人がいるんだから」
静夜はちょっと真面目な表情で康介にお願いする。さすがに、もう一人の相手には静夜自身から電話を掛けなくてはならない。
話す内容を考えると少し憂鬱だが、昼までには報告して下さい、と言われているので、電話を掛けないわけにもいかない。
康介の家のリビングの大画面のテレビにふと目をやると、ちょうど朝の占いのコーナーが流れていて、静夜の牡羊座は最下位だった。
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