彼女の意志

「……《陰陽師協会》はすべて陰陽師の統括と管理を目的に作られた公的機関だからね。どんな身の上でどんな事情を抱えていようとも、最後の受け皿として求めに応える。私刑から逃れるためにはこれ以上ない選択だと思うよ」


「……子供の頃から敵だと教えられてきた組織に駆け込むのは、少々不安だがな」


「それは《平安会》の人たちが勝手に言ってるだけでしょう?」


「《陰陽師協会》の中にも、《平安会》を目の敵にしている奴は多いと聞くが?」


「それはまあ、快く思っている人は少ないだろうね」


《平安会》は、その圧倒的な影響力を盾に《陰陽師協会》に対してずっと反抗的な態度を取り続けている。自分たちより後に設立された《陰陽師協会》という組織に対する排他的な考えや、伝統や掟などに対する考え方の違い、そして何より、平安時代からこの京都の街を守護してきたという絶対的なプライド。

 そう言った諸々の事情から、《平安会》は頑なに京都の自治権を守り続けており、《陰陽師協会》とは長い間、いがみ合っている。


「でも、だからこそ、君の保護要請は《陰陽師協会》で歓迎されると思うよ? いろいろと情報を聞き出せるかもしれないってね」


 事実、保護要請があったその日に、京都に住む静夜のところに指令が入ったのだ。理事会も期待を寄せているとみて間違いないだろう。


「竜道院家の御令嬢なら、組織の深いところにまで探りを入れられるかもしれないし」


 と、その時、舞桜は一瞬だけその表情を曇らせた。


「たとえ私を拷問したところで、大した情報は出て来ないぞ?」


「え?」


 小声で聞き取れなかった呟きに静夜が聞き返すと、舞桜は顔を上げて一転、厳しい視線を向けてこう言った。


「言っておくが、私は京都の外に連れ出して欲しいなんて、言わないからな」


「……え?」


 今度の「え?」は少し違う意味合いになる。


「な、何言ってるの? 京都に居たら君は確実に殺されるよ?」


「まだ《平安会》が正式に極刑の処分を下したわけじゃない」


「でもさっき、君は妖犬の大群に襲われたじゃないか⁉」


「あの妖が、誰かに操られていたという証拠はどこにもない」


「それは、……確かにそうかもしれないけど……」


 静夜は舞桜の剣幕に押されて、思わず言葉を呑み込んでしまう。


「それでも、京都にいるよりは《陰陽師協会》の施設で身柄を預かってもらった方が絶対に安全だ。憑霊術がどれだけ危険な術でも、《陰陽師協会》なら受け入れてくれる」


「それは、陰陽師を守りたいという親切心からではなく、力の得るためなら手段を選ばないという欲深さがあるから、だろう?」


「……」


 舞桜の指摘に、静夜は黙って目を背けた。


《陰陽師協会》には、禁術も封印指定物も積極的に認めて運用しようとする寛容さがある一方で、使えるモノならどんな力でも肯定してしまう、という有無を言わさない実力主義がある。

 規制を敷いて取り締まる《平安会》とは真逆の考え方で、それが両者の対立の肝とも言えた。


「《陰陽師協会》に従うつもりはない。たとえ命を狙われても、私はこの京都で《平安陰陽学会》への復帰を目指す」


「復帰って、どうやって?」


「私が、《平安会》の首席になる」


 それまでの話でも十分呆れていた静夜だが、この時の舞桜の答えは致命的だった。


「……それ、本気で言っているの?」


「無論だ」


 耳を疑い、言葉を失う。一周回って怒りがこみあげてくるほどだ。


「それは無理だよ。組織のルールを破った人間が、その組織のトップに立てるわけがない。そんな都合のいい子供の我儘は、この世の中じゃ通用しない」


「うるさい。そんな大人の理屈は、私の力で黙らせる。この京都で、他の陰陽師たちを出し抜いて、結果を残せば、私を破門にした実家も、《平安会》の大人たちも、私のことを無視は出来なくなるはずだ」


「それはただ、君の実家や、《平安会》の人たちを煽るだけで、敵を増やすだけだ。それに、いくら結果を出したところで、あの頭の固い《平安会》の大人たちが、君のことを認めてくれるとは思えない」


「そんなこと、やってみないと分からないだろう?」


 舞桜は懸命に訴える。

 この京都に自分を残して欲しい、と。

 それでも静夜には、彼女の言っていることが、ただの妄言にしか聞こえなかった。


 長年守られて来た固い掟が、それを破った少女によって砕かれる。そんなのは夢物語で、現実に起こり得るはずがない。


 それに、舞桜が持っている力とはつまり、憑霊術の力ということだ。

 彼女は、その力が持つ危険性を果たして本当に理解しているのか。

 古文に残された記録では、憑霊術の失敗による災厄が数多くみらえる。ただの一度も失敗、あるいは暴走を起こさなかった術者は、ほとんど存在しない。

 そして、万が一の事態が起こった時、最も苦しむことになるのは術者本人だ。ただの伝承だと無視してしまうのは容易だが、報いを受けてからでは、後悔しても遅すぎる。


 しかし、決意を語る少女の眼には、確固たる覚悟と自信が宿っているように見えた。

 少なくともそれは、静夜が今、ここでどんな説得を試みたところで、どうにかなるものには思えない。


「……はぁあ」と、深いため息を一つ。ここは静夜が折れるしかないようだ。


「……分かった。じゃあ僕からは上にそう報告するよ。でも、君の京都に残りたいって要望が聞き入れられるかどうかは、協会のトップ、理事会の判断次第だからね?」


「……分かっている。だが少しは、お前も口添えしろよ?」


「バイト陰陽師の口添えなんて誰も聞かないよ」


 舞桜の脅しに、静夜は肩をすくめて投げやりに答える。


 だが、そうは言っても、さすがに憑霊術というのは《陰陽師協会》にとっても想定外の爆弾だろう。安易に招き入れようとするかどうか、明日の理事会は紛糾しそうだ。


 兎にも角にも、すべては明日の報告とその後の会議次第ということになる。今日の仕事はここまでだ。


 静夜は深いため息をつきながら、冷めきってしまったコーヒーを飲み干す。カップの底には染み付いた黒い汚れが残っていた。

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