第2話 少女の事情

独り暮らしの六畳間

 大学への進学のため、この京都で独り暮らしを始めて約八ヶ月。

 静夜が自室に女の子を招くのはこれが初めてだ。


「……意外と片付いてるな」


 意外と、は余計だ。


「だが、せまいな」


 それは言われると思っていた。


 静夜が借りている下宿のアパートは、かの有名な太秦映画村の近く、大学からは自転車で十分ほどの立地にある。


 角部屋で、広くて使いやすい洗面台、トイレと風呂が別になっているところは気に入っているが、ユニットバスを無理矢理セパレートにしたらしく、少し水回りに圧迫感があるのは否めない。

 メインとなる六畳間には、ベッドとテーブル、少し大きめの二人掛けの座椅子に、その正面にはテレビが置かれている。デスクはない。キッチンが狭くて冷蔵庫をこちらの部屋に置いているため、少し手狭に思えるが、独り暮らしをする分には全く気にならない。

 結局のところ、住めば都というわけだ。


 お屋敷をいくつも持っている竜道院家のお嬢様には分からない感覚かもしれないが、嫌味を言われることは覚悟の上。初冬の凍える寒空の下で三時間以上も待たされていた静夜としては、早く自室に戻って温かいコーヒーを飲みたかったのだ。


「はい、どうぞ」


 座椅子に座った舞桜にも同じものを差し出して、自分の分には砂糖とミルクを投入する。


「君はどうする? 両方入れる?」


 確認すると、舞桜はカップに入った真っ黒の液体を見つめたまま、


「……いや、私はこのままでいい」


 と、ブラックで飲むことを選択した。


 左手でカップを持ち上げ一口すすると、少女はその苦味のせいか眉間に僅かなしわを寄せる。一瞬手が止まったが、それでも構わずさらに一口、大人の味を飲み込んだ。


 無理しなくてもいいのに。静夜はそう思いながら、ベッドに座って甘くした薄茶色のコーヒーを身体に流し込む。ようやく、身体から余計な力を抜くことが出来た。


「……で、どうしてお前の家なんだ?」


 開口一番、舞桜が口にしたのは不満だった。


 身柄の保護を要請したと言っても、いきなり男の独り暮らしの部屋に連れ込まれたのだから、怪しんで警戒するのは当然だ。


 しかし静夜も、コーヒー以外にちゃんとした理由があってこの場所を選んでいる。


「一応、この部屋には強力な結界が張ってあるんだ。敵に攻め込まれてもすぐにどうこうなることはないし、ここでの会話が外に漏れることもない。……最初はファミレスとかにするつもりだったけど、あんな襲撃の後で、しかも君が実家を破門されたと分かった以上、最優先すべきは身の安全と会話の秘匿性だ。だからここにした」


「……本当に大丈夫なのか?」


「少なくとも、ここが僕に提供できる最も安全な場所になる」


「……分かった。それならここで妥協しよう」


 舞桜は渋々といった様子で頷いた。


 これから始めるのは、彼女が置かれている現状の確認と今後の方針に関する希望の聞き取りとなる。《陰陽師協会》に身柄の保護要請を出したと言っても、具体的なことは現場で確認することになっており、静夜としては、ようやく本来の仕事に着手できるというわけだ。


「それじゃあもう一度確認するけど、君は掟を破って禁術である憑霊術ひょうれいじゅつを会得したため《平安会へいあんかい》を破門にされ、実家の屋敷からも追い出されることになった。それで保護を求めて、僕たち《陰陽師協会》を頼った。この認識でいいのかな?」


「違うな。正確には、実家が仕切っている竜道院一門を破門にされたのであって、《平安会》からの処分は現在審議中だ。総会が正式な決定を下すまで、私は実家の屋敷の中で、謹慎しているようにと命じられていた」


「ってことは、君は自分から屋敷を抜け出して、家出してきたってこと?」


「……まあ、そういうことになるな」


「じゃあ、あの妖犬たちは君を追いかけて?」


「そうかもしれないと一瞬思ったが、おそらく違う。竜道院の家に、妖の力を借りて戦うような術者は一人もいない」


 舞桜は険しい表情で、カップに映る自分を睨んでいた。


 京都の陰陽師は、妖の力を決して認めない。たとえそれが安全な利用方法だったとしても、人の力ではない不浄の存在を、彼らは恐れ、忌み嫌う。


「他に、命を狙われる心当たりは?」


「……別に、特にない。だが、《平安会》のどこかの家が、憑霊術を恐れて、総会の決定を待たずに先走ったとしても不思議はないな」


 早口でそう言い切ると、舞桜は再びコーヒーに口をつけ、顔を顰めた。


《平安陰陽学会》、通称《平安会》は、京都の街を妖から守護するため、京都の名門陰陽師たちが中心となって京都の街を自治管理している、歴史と伝統ある陰陽師の集団である。


 彼らにとって、先祖から代々伝わる掟や仕来りは、絶対だ。


 伝統や品格を重要視するその考え方は、良く言えば高潔。悪く言ってしまえば頑固そのものだ。

 銃火器などをモデルに開発された現代陰陽術にも難色を示し、呪符や錫杖などを中心とした伝統的陰陽術を今も王道の陰陽術として継承している。

 また、禁術や封印指定物の扱いに関しては、術者に危険が及ぶ術法だけでなく、妖の力を利用する術法全般も禁忌と定めており、その掟を破った者には、最悪の場合、極刑もあり得るほどの厳しい罰が課せられる。


 《平安会》は、いくつかの一門に分かれており、私法や罰の重さなどは、それぞれの門派で異なっているが、私刑で命を奪うことだけは《平安会》全体の決定で禁止となっている。

 罪人を極刑に処するかどうかは、《平安会》の総意でのみ下される最も重い罰であり、一門からの処罰は、どんなに重くても破門まで、と定められているのだ。


 つまり、現在《平安会》の総会で話し合われている内容とは、竜道院舞桜を殺すか、生かすか、その二択。そして、後者が選ばれる可能性は、極めて低い。

《平安会》にとって禁術の会得はそれほどまでに重罪なのだ。


 竜道院家の屋敷に残っていても、いずれは殺されるのをただ待つのみ。

 たとえ、《平安会》に属さない陰陽師の家を頼ったとしても、《平安会》や竜道院一門が家出した舞桜をお尋ね者として手配すれば、その影響力から、京都中の陰陽師は彼女の敵となってしまう。

 故に舞桜は、身を預ける場所として、《陰陽師協会》を選んだ、あるいは、選ばざるを得なかったのだろう。

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