第10話
沈黙が落ちる。もう一秒でもここにいたくなかった。
「柊ちゃん。いつまで柊ちゃんはそこに立ち続けるの? ちーちゃんは前を向いたんだよ、それは柊ちゃんのおかげ。次は君の番」
首を振り、柊介は否定する。
「何度も言ってるだろ、俺がやったことは」
首を振り、今度は理歩が否定する。
「何度でも言うよ。柊ちゃんが毎日、身を削ってちーちゃんにお母さんの夢を見せていたから、あの子は立ち直れたんだよ。それは誰でもない、柊ちゃんの持っていた特別な力があったからだよ」
回想する。
何度も何度も再生したあの時の記憶。
能力を理歩に打ち明けた日の夜から、柊介は千景に毎晩夢を見させることにした。理歩の発案した夢の内容は、死んだ母親と過ごすというもの。
単純なことだったが、もし理歩に相談していなかったら、あの時の柊介なら自分がヒーローになって千景を魔の手から救い出す、みたいな夢にしかねなかっただろう。
母親と料理をしたり、外食したり、遊園地に行ったり、本を読んでもらって、最後には一緒の布団で抱きしめながら眠りにつく。そんな夢を理歩が考え、柊介が行った。
人の夢を設定する。それが柊介の持っていた能力だった。
その力を使い、千景は次第に元気を取り戻していったのは事実だった。千景は部屋に引きこもるのをやめて、柊介たちと遊ぶようになった。確かに、笑うようになっていた。
しかしある日、変化が起きる。千景が次第に外に出ることを拒否し、再び家に閉じこもりがちになってしまったのだ。
毎晩の能力の行使で身体、精神共に疲労困憊だった柊介にはその理由がわからなかった。柊介は毎晩、千景が夢の中で笑っている姿を見ていたからだ。夢の世界の千景は現実世界の千景に反映しているはずなのに。
柊介は最後まで気付かなかった。夢と現実に差異が起こり始めたことに。
それは柊介の能力が持つリスクだった。
病室には時計がないのか針が動く音が聞こえない。静寂のなか一番耳障りだったのは自分の鼓動音だった。
「あの時……千景がまた家に閉じこもりはじめたときのこと覚えてるか?」
「うん、けっこう無理矢理押しかけてちーちゃんの家行ったよね」
上手くいっていると思っていた二人にとって、千景の行動は理解が出来なかった。だから半ば強引に千景の祖母に頼んで上がらせてもらったのだ。そこにいた千景は寝ているだけだった。母親の使っていたベッドの中で。
「千景を起こして、何してるんだ、遊びに行こうぜって言ったとき……あいつは、死んだよう眼で言ったんだ」
柊介が願った笑顔とは、ほど遠い顔で。
「お母さんに会うから、邪魔しないで……だったね」
柊介の言葉を理歩が引き継いだ。
「でもそれから、柊ちゃんが力を使うのをやめたあとでちーちゃんは帰ってきた。そうでしょ?」
「……たまたまだ」
「そんなことない」
「俺はっ……俺はあのとき気付いたんだよ。夢は麻薬と同じだ、現実と向き合うことから逃げて、空想の世界に浸らせて人を狂わせる。なんの解決にもならないんだよ」
夢の世界は雪が降ることに似ている。
深々と降り続ける雪の中で人は夢に浸るのだ。悪夢かもしれない、瑞夢かもしれない。けれどその中にずっと囚われ続ければ、いずれ心は降り積もる雪に埋もれていってしまう。元の世界に帰ることもなく。
「俺はこの力を持って、自分が特別だと思ってた。ははっ、馬鹿だよな。人に夢を見せることが何になるんだ。千景のことがあるまでは嫌いな奴には最悪の悪夢を見せたり、俺がヒーローになった夢を友達に見せるとかしてたんだ。くだらねぇよ。でも俺はそれを続けることで相手がどうなるかなんて考えたこともなかった」
一息でそこまでしゃべると、柊介は一度言葉を切った。
「特別なんかじゃない。こんな人を壊せる力を持った俺は、ただの異常者なんだよ」
炎を操れたりとか剣を具現化できたりとか、子どもが憧れやすい力だったらよかった。それは漫画の中で許される暴力だから。現実の暴力と比較しやすいから。きっと子どもでも使ってはいけないと大人が作ったルールに当てはめることができる。
柊介は何度もそう思っていた。そんなわかりやすい力だったなら、千景が嫌うような今の暗い自分にはならなかっただろうと。
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