もう一度

第9話

 理歩の病室の前に立ち、ノックの為に振り上げた手を止める。

 この場合、どういう顔をして会うのが正解なのかわからなかった。かける言葉も見つからない。どれを選んでも中身のないスカスカの空洞のように感じた。


「柊ちゃん? 入っていいよ」


 聞き慣れた声が扉越しに聞こえた。もはや達人と呼ぶよりも化け物並の探知能力だ。きっと柊介の考えていることなど彼女にはお見通しなのだろう。なら迷ったり悩んだりするのは時間の無駄だった。


 いつも通りでいこう。昔から変わらない俺たちの距離感で。

 柊介は一応、ノックを数回したあとで扉を開ける。

 室内は柊介が思っていた以上の広さだった。軽く十畳は超える室内は木目調の自然をイメージしたデザインで一歩踏み入れれば病室とは別の場所に入ったような錯覚を覚えた。液晶テレビに座椅子。簡易なキッチンまで完備されており、そこらのビジネスホテルよりも機能面では優秀である。入ってすぐの場所にあるドアは閉まっていたが奥行きからユニットバスになっていそうだった。

 

 扉を開けただけでは理歩の姿はなくベッドも見えなかった。数歩進むと真四角の部屋の端にくぼむように作られたベッドスペースがあった。

 部屋のイメージとはかけ離れたシングルベッド。白で統一された木製で重量のありそうな掛け布団はいつ見ても温かそうに見えない。あの時、千景の母親を見舞ったときも同じ事を思った。

 理歩はベッドに上半身を起こした状態で、柊介を見て笑う。柊介の記憶にある今まで通りの笑顔で。


「会うのは久しぶりだね、柊ちゃん」


 美しさよりも可愛らしさが先行している理歩の顔は久々に見た。年下に見えなくないけれど、落ち着きを払った内面が上手い具合に年齢とバランスを取っている。背中まで伸びた髪は綺麗に後ろで束ねられていた。


 いつも通りの理歩に安堵するが、ベッド脇にある点滴台に吊された二つの液体パックが視界に入って心臓が一瞬だけ大きくなった気がした。細い管が理歩の左腕の袖の中へつながっている。点滴ではないことは直感でわかった。


「私が二人の受験勉強に付き合ったときだから、二年経たないくらい?」


「そんなになるのか」


 柊介は点滴台とは逆のベッド脇まで歩き、椅子に腰を落とす。

 近くで見ても、理歩が病人だという印象は持たなかった。それよりも病室でちゃんと化粧されていることが意外だった。


「びっくりしたでしょ?」


 理歩の悪戯っぽく聞いてきた問いかけに柊介は苦笑で応えた。


「本当は私が重い感じにならないようにって今日伝えようと思ったんだけどね。嫌なタイミングで知られちゃった、ごめんね」


「……どうして、教えてくれなかったんだ?」


「負担、かけたくなかったから。柊ちゃん、ちーちゃんのことでいっぱいいっぱいだったでしょ」


「昔の話だ」


「でも今も気にしてる」


「……」


「そんなんじゃ、心配で死んでも死にきれないよ。私がいなくなったら柊ちゃん達、ギクシャクしたまんまじゃない」


 いなくなったら。いなくなったらってなんだ。

 唐突に柊介はこれまで経験のない感情がこみ上げてくる。怒り、焦り、悲しみ、どれも正解のように思えたし、違っているようにも思えた。身体の芯が凍ってしまったように内側から急速に体温を奪っていく。震え始めた手を握りしめて抵抗した。


「ギクシャク、してねぇよ。さっきまで話してた」


 平静を保とうとする声は、動揺をまるで隠せていなかった。理歩はそんな柊介に触れずに会話を続ける。


「少なくとも、ちーちゃんはそう思ってない」


「っ……」


 柊介は俯いていた顔を上げる。理歩はそれを待っていたかのように柊介を見ていた。二人の視線が交錯する。数秒見つめ合ったあと、理歩が眼を閉じることで柊介と眼を逸らした。


「さっきね、お母さんに問い詰めたんだ」


 俺たちが屋上に行ったあとか。理歩は続ける。


「余命宣告。あと半年もないみたい。予想はしてたけど現実は厳しいね、こりゃ」


 どんなに希望のない残酷な言葉であろうと理歩の声は変わっていなかった。


「半年なかったらもう生の桜見れないかもしれない。しかも楽しみにしてた本の続刊、発売は来年の夏なのに。まいったよ」


 耳を塞ぎたくなった。もう、聞きたくなかった。


「一人娘だったから、お母さん達には申し訳ないなって思う。老後は大丈夫かな、二人イマイチ仲良くないから」


 理歩は語り続ける。日記を綴るように自分のいなくなった世界のことを。


 やめろよ、やめてくれ。


「でもやっぱり、一番心配なのは」


「やめろっ!!」


 柊介の絞り出した叫びが病室に響く。

 一度、言葉を切ってなお理歩は続けた。伝えなければならないという強い意思を添えて。


「柊ちゃんのことだよ」

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