生まれ持った力

第3話

 時刻は十一時を回っていた。

 

 窓の外に目を向けると漆黒に広がる夜空に星の光は見当たらなかった。さっき見た三日月もこの広く暗い夜空に遭難したのかどこにも姿は見えなかった。


 柊介はたまにこんな空に恐怖を覚える。夜空は雲というベールで覆われた闇でもう二度と晴天の青空すら見えなくなるのではないかと。


「病んでるかなぁ」


 脱力してベッドに寝転んだとき、室内に携帯電話の振動音が鳴り響いた。机の端に置いていた機体が僅かに震え動き、早く出ろと促すように机から落下しようとしている。

 メールかと思って放っておいた柊介だが、振動音が止まる気配がない。


「…………」


 面倒くさいな。

 滅多に使わない近代道具に苛つきながら柊介は未だに震え続ける携帯電話を手に取る。画面には「常盤理歩」と表示されていた。画面の右上に小さく時刻を示すデジタル数字がある。十一時十分ジャスト。疑念に思いながらも柊介は電話に出た。


『あ、やっと出た』


 何メートル先の底まで見えるような透き通った声が柊介の鼓膜に届く。本当に理歩本人だった。


『もしもーし』

 

 返答の催促に柊介は「ああ」と言葉にならない声を漏らした。


「理歩か」


『うん。驚いた?』


「……まぁな。電話は滅多にしないし、いつも十時には寝てる年寄り習慣が無くなったとは知らなかった」


『年寄りとはひどいな。まぁ普段はそれくらいには寝てるけど、私だって華の女子高生だよ。夜更かしくらいします』


 習慣は無くなってないんだということ。まだ夜更かしに値する時間帯ではないということ。思い浮かんだ二つの指摘は黙っておくことにした。


「その華の女子高生が何の用だ?」


『今度の日曜日に会えるでしょ? 予習として声を聞いておこうと思って電話にしました


「予習って」


 柊介は思わず笑みを零した。

 理歩は三つ編みでもないし眼鏡もかけていないけれど、気質は真面目で絵に描いたようなクラス委員タイプだった。学年が違うのでクラスの立ち位置は見たことがないけれど多分イメージ通りだと思う。頼られ、信頼され、若干うざがれるくらいのクラス委員。想像に難しくなかった。


「千景とはけっこう会ってるのか?」


『うん、会いに来てくれるよ』


「来てくれるって、確かおばさん、家に友達呼ばれるの嫌いな人じゃなかったっけ」


 言って思い出す。理歩の母親はバリバリの教育ママだった。柊介と千景は何回怒られたか数え切れないほどだ。柊介の箸や鉛筆の持ち方を修正したのも多分、あの人だったと思う。これは自分の母親にはなんとなく言っていない。


『あー……柊ちゃんが思ってるよりは丸くなったほうかな』


 いつもはっきりと話す理歩にしては、随分と曖昧な言い方だった。


「あの人がね。信じられんな」


 理歩をお嫁さんにしたらこの人がもう一人の母親になるのか、と昔考えて落ち込んでいた時代があったことは言えるはずもない。とんだマセガキだった。


『ちーちゃんとは仲良くしてる? クラス同じなんでしょ』


「今日、百年ぶりに話した」


『またそうやって』


「けっこうリアルだぞ。この年で女とはそんな話さないよ。用もないし」


 呆れたような理歩の嘆息に、柊介は精一杯の自己弁護をする。


「…………知ってるだろ、あいつモテるんだよ。人によっては俺と付き合ってると思ってる奴もいるみたいだし。そのせいで何回言い寄られたか」


 さすがに喧嘩をふっかけられることはないが、確認されたことは何回もあった。『お前達本当に付き合ってないのか』の台詞を聞くのはもううんざりするくらいだった。どうやら家が近くて幼なじみで仲が良いというのが周知の事実になっているらしい。迷惑な話である。仲が良かったのは昔の話だ。


『まぁ、ちーちゃんは可愛い乙女だからね』


「乙女と呼ぶには経験値が足りな過ぎる。絶望的に」


 スカート短くするくせに足を閉じないとか、男子との距離感を考えないところとか。ボディタッチも平気でするとか。

 中身はともかく、千景の行動は耐性のない男子なら簡単に恋という奈落に落ちるレベルだ。その先にあるのは鋭利に尖った剣山だとも知らずに。


「残酷な女だよ、ああいうタイプはね」


 理歩はそうかなぁーと言いながらあっと思い出したように続ける。


『ちーちゃん、ラブレターもらったことあったよね。高一の時だっけ』


「サッカー部のイケメンな」


 顔は全然覚えてないけど、イケメンだったはずだ。

 理歩は楽しそうにクスクスと笑う。


『ちーちゃんから相談されて、ちーちゃんから相談された柊ちゃんからも相談されたんだよね、私。あれは面白かったなぁ』


 千景が柊介と理歩に助言を求めたのは返答に迷っていたわけじゃなく、どう断るべきかというものだった。直接ではなく手書きの文章での告白。これを意気地なしと捉えるのかは人それぞれだが、千景は誠意として受け取っていたようだった。


 実際、ラブレターなんて絶滅危惧道具の一つだし、冷静に考えたら死ぬほど恥ずかしい代物だ。相手の渾身の勇気にどう応えるべきかを即断即決の千景にしては随分と悩んでいたことを思い出す。

 あぁ。本当にあのラブレターを読んでしまったことが慚愧の念に駆られる。もう卒業しているから顔を合わせることは一生ないと思うが。もう一度謝っておこう。

 

 先輩、恋文を読んでごめんなさい。


「……結局、手書きで断ったんだよな。千景は」


『うん。やっぱり女としては直接言ってほしいものだよ。大事なことならなおさら』


 その言葉に柊介の胸のどこかがズシンと重みが吊された。


 大事なこと。


 計算していたのか、理歩はこの言葉を引き出すことで自然に今日の本題へ会話を移行させた。壊れないようにと優しく触れるように、理歩は言った。


『柊ちゃん……あの力、もう使ってないの?』

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