第2話

 そうだ。ラブレター云々の話のときである。

 ちょうど一年前の高一の冬くらいか、サッカー部の先輩から千景がラブレターなるものをもらってどうするべきかを相談されたのだ。


 発端のラブレターも強制的に読まされて、面識のない先輩に罪悪感を持ってしまったからよく覚えている。この千景のデリカシーの無さが性格ブスだと呼ばれる所以だとあの日は強く思った気がした。


 それ以来、千景とは話していなかった。ちょっとした会話はあったかもしれないが覚えてはいない。柊介から話しかけることに限定すればその何倍の年月に達するだろう。現実の幼なじみなんてみんなそんなものだと思うが、柊介の場合は少しだけ事情が違っていた。


 祥介はあえて、千景を避けていた。もう何年も前からずっと。

 彼女がそれに気付くことは一生ないはずだ。


「最近、りーちゃんと連絡とってる?」


 急に発せられた声に柊介は思考を止めた。

 りーちゃんという呼称はひどく久々に聞いた気がする。引っ張った割には拍子抜けする内容だった。


「……たまにメールするくらいだけど、なんで?」


「んー、私はけっこう会ってるんだけど。この前さ、久しぶりに柊介と会いたいって言ってたから」


「あー、そういえばしばらく会ってはいないな」


 りーちゃんこと、常盤理歩ときわりほは柊介のもう一人の幼なじみである。

 こっちは千景と理歩の母親同士が旧知の仲という縁で繋がっており、柊介の親とは顔見知り程度でしかなかった。理歩は柊介たちの公立高校とは違い、中学から私立の女子校に通っていたため会う機会はほとんど無くなっていた。

 なんとなく気後れして『たまに』とつけてしまったが、理歩とは頻繁にメールや電話はしていたのであんまり会っていない気がしないが、そういえば最後に会ったのはいつだったかな。

 理歩は年齢が一つ上で柊介と理歩はよく勉強を教えてもらっていた。幼なじみというよりは姉のような存在だった。


「だったら今から会うか。この時間ならいるだろ。家近いし」


「だめ」


 千景が食い気味に否定する。てっきりそういう話しだと思ったのだが。


「今から行っても、中途半端に話しが終わっちゃうだけでしょ。三人で遊びたいって言ってたから、どうせなら一日使って遊ぼうよ」


「……一日?」


「そう。今週の日曜日だから空けておいてよね」


「日曜日って、明後日じゃん」


「なに、予定あんの?」


「いや、ないけど……」


 そういう急な予定って嫌なんだよな、という心情が柊介の顔にはっきりと出てしまっていたのだろう。千景は気に入らなそうに柊介を睨み付けた。


「あんたってほんとつまらそうに生きてるよね。無愛想で死ぬほど暗いし、友達もいない。クラスでも評判悪いよ。特に女子」


 知っているし言い返すことでもないがそこまで非難される筋合いはなかった。あと友達はいる、と思っている。

 柊介は何か言い返そうと思ったが千景の次の言葉に遮られた。


「昔はもっと笑ってたのに。変わったよね」

 

 独り言のように発した千景の声に柊介は足を止める。胸を貫いて地面に串刺しされたように動けなくなった。

 痛い。息苦しい。

 柊介の変化に千景は気付いた様子はなかった。もう目の前が千景の家じゃなかったら何か勘づかれていたかも知れない。

 千景は柊介を見ることなく門扉を抜けて玄関の鍵を開ける。空を見るといつの間にか暗くなり始めていたことに気付いた。雲に薄く覆われた鈍い三日月と眼が合った。


「あとで場所と時間、メールしておくから」


 こちらを振り向かずに千景が言うと、そのままで続けた。


「あの頃みたいにとは言わないけど……りーちゃんの前ではもっと楽しそうにしてよね、お願いだから」


 そう言い捨てると千景は家の中へ入ってしまった。バタンというドアが閉まり、無機質に鍵を閉める音がやけに耳に残った。


「……お願い、か」


 千景の言うあの頃というのは柊介の小学生時代のことを指している。確かにあの頃の柊介は自信過剰で自分が何でも一番だと思っていた。目の前に同じガキがいたら多分躊躇無しに殴っていると思う。

 俺は他の奴らとは違う、選ばれた人間なんだと信じて疑ってなかったのだ。そんな幼少の柊介が千景には格好良く見えていたのかもしれない。特別だと、思ってくれていたのかもしれない。

 

 でも違った。違ったんだよ、千景。

 

 俺は選ばれてなんかいなかったんだ。

 だって俺は、あの時お前を救えなかったんだから。


 息を吹き返したように真っ暗だった千景の家に明かりが灯る。その温かい色をした光を見て柊介は歩き出した。ここから十五秒、斜め前方にあるのが柊介の家だ。

 

 自宅の門に手をかけたとき、弱々しい木枯らしが柊介の頬を撫でた。

 

 もう、すぐそこまで冬が来ている。

 

 あの日から数えて、八回目の冬だった。

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