獅子と狼と鷹を従えるはひとりの聖女
アサノ アメミ
第1話
この世で見えていることなんてどこまでが現実かだれが明確に証明することができるだろうか。私のことを空気が読めないとかいう癖に自分たちのほうが読めていないって私は主観として思うの。でもそんなことを言えば「屁理屈だ」とか「やっぱり空気が読めない」とか言われてしまって、そんなことで無駄に傷つく時間を与えられるくらいならって思うからこっちが迎合してあげている。
そんなふうに勇ましい思いを持ち続ければ気弱にもならないんだろうけど、いつも自分が間違っているかもしれない、いつも自分が誰かを傷つけているのかもしれないそんなふうに思ってしまうことが人生を困難にさせているんだと思う。
一人娘の私にパパはいつも言う。
「ルイは優しすぎるからなあ」と。
これって、親の欲目なのかそれとも客観的意見なのか、どちらが正しいの?ほらね、ここでもまた私は私の意見がないし、正しさを求める。だから絶対なんかないって言ってるのにって自分に言い聞かせてまた闇夜に惑う。
今日はメガネが壊れた。信じられないかもしれないけど、自転車に乗っていたら前方の枝に気づかず激突、そのはずみでメガネが車道に落ちて車にひかれてぺちゃんこになったのだ。万事ドジで躓いたり激突したりしている私に身体障害があるんじゃない?って冗談で言うクラスメイトの女の子たちの言葉を思い出すと、きっとそうかもしれないと笑って空気を読んだ私のことも思い出された。でもそのあと、彼女たちの一部は「マジだったらしいよ」と根も葉もないうわさをたてた。そこまで思い出してイラついても悲しんでも何も解決しない。自分の心がえぐられる無駄な日々、空気を読んでも、相手に迎合しても相手の気分でそれは「空気が読めないこと」になるバカらしさ。眼科はすぐに終わって裏手のコンタクトレンズ屋にいった。コンタクトなら枝に激突しても支障はないだろうから。でも案外コンタクトって高いことにびっくりした。幸いにしてアウトレット商品があったからそれを買った。ワンデーなんて手が出ないからソフトコンタクトレンズ。カラーコンタクトのパッケージはドラッグストアとかで見ているけど、カラコンのパッケージ以上におしゃれなコンタクトレンズのパッケージだった。メーカーは知らない、だってコンタクト自体初めて使うから。
鏡に映る裸眼の自分に再会したのは小学校4年生以来だ。案外大きな瞳と彫刻刀で切り裂いたような二重が印象的だった。学校から家までは電車に揺られて30分ほど。必ず座って通学できることが非常にありがたい。コンタクトをつけたら目を閉じたらだめなんだよ、そんなことを誰かが言っていたような気がするような、気がしないような、それもまたその人が気分で言っていたことなのかもしれなくて、だとしたら空気を読んだら「そうだね」って言っておくだけでよくて、真剣に考えなくてよくて…、ああ、もう無理、眠い…。
意識が戻りかけたその瞬間、直感的に30分以上は寝ていたことを感じた。目を開ける直前、バラの香りがした。この電車はよくて柔軟剤の臭いというくらいカオスな香りがいつもあるけれど、このバラの香りは、間違いなく「香り」という言葉のほうがあっている高貴な上品な香りだった。ヒヤッとする空気を頬に感じたときも違和感を感じた。電車の中は「ゲロ暑」がスタンダードだもの。扉が開いて入ってくる冷気は「ピり寒」だから、こんな背筋が伸びるような愛をはらんでいない。目を見開く前から何かが違っていることを感じた。
「ルイ、お目覚めですか?」
正面で声をかけた男は真っ黒の軍服を着て、左胸に勲章をいくつもさげていた。片方の足を立て片方の膝を床につける王子様スタイルに私は眼を見開いた。
「イツカの献身はルイには目を見張るものがある」
左後方の声の主はソファにくつろぎながら含み笑いに乗せて優しくそう響かせた。リゾート気分のあるハイビスカス柄の短パンからのぞく細くたくましい褐色の長い脚に私は恥ずかしくなって目を背けた。
「ヤコブ、かしこくも次期皇帝閣下の御前であるぞ」
声の主はやけに神経質で、右側の扉の前にもたれかかってこちらを凝視している。銀縁のメガネの奥にある鋭い瞳から私は一瞬にして視線を囲われてしまった。首から下げるセキュリティカードには「ホークス」と書かれていた。
「ルイ、ご気分がすぐれませんか?左目から涙が…」
イツカと呼ばれる彼は私の左目の涙を繊細な指使いでぬぐった。軽やかな足取りでヤコブと呼ばれるセクシーな男が私に鏡を差し出す。私はうながされるままに鏡で自分の顔を見た。そこにいたのは、アンバーの眼の色をしたコンタクトレンズ屋で見つけたいつもの自分だった。小学校4年生以来の裸眼のありのままの自分がいた。違っているのは私のまわりの状況だ。この部屋も、この人たちも、そしてきっとこの世界も。でも別に良かった、何が本当かなんてこの世で見えていることはひとりひとりの世界の問題だから。この世界の光合成の仕組みは実は酸素と二酸化炭素じゃないかもしれないし、目の前に広がるこの光景が私の作り上げた紙上の夢かもしれないし、
「来る!!!」
私の声がそう響いた。私はそんなことを言うつもりもなかったのに私の肺から空気に声がのってそう響いた。鬼気迫った背筋の凍りつきも私は自分で感じた。手足の冷えも顔のこわばりも自分の意識として感じる。
私の声にほぼ同時に共鳴するかのようにイツカが私の前に立ちはだかり、ヤコブが銃を扉に向けて構えた。イツカの動きもヤコブの動きもすべて音として現実感を与えた。空気の張りつめもぼんやりとしていない、確実にここは現実だと言い訳すら許さないこの状況に私は疑問すら感じていない。今ここで起こっているこの現実は今までの知っている世界ではない、でも、今私はこの現実を見ている。
「パウロ、ぎりぎりまで封鎖しろ!!!」
ヤコブの声にパウロが共鳴して左手を扉の前にかまえる。折れないように右手で手首を支えながら。
そして、私はもう理解していた。「来る」のが、あの世界からの使者であることを。私の存在をあやふやにして私の力を気づかせないためにあの世界に連れ戻そうとするあの世界からの使者であることを。
獅子と狼と鷹を従えるはひとりの聖女 アサノ アメミ @tsubaki-yanai
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