再録「その祝福された銀貨に」

 おや、やっとお目覚めですか。

 気分はどうです? 先ほど私の主人が貴方のために毛布を持ってきて下さったので、暖かかったでしょう。

 ええ、鳥にもなって、なんで毛布を、と仰るかもしれませんが、鳥というのは案外、寒さに弱いのですよ。

 さて私はお勤めがありますので、もう飛び立たなければなりませんが、少し待っていれば、すぐに他の鳩が来ますでしょう。そうして、貴方を鳩として遣わす主人に会わせてくださいましょう。それまでここで…。

 ………え? 来るのですか? 一緒に? 私と? いえ、構わないのですが…。うーん、そうですねえ。

 ではおいでなさい。大丈夫、荷物は私が持たなければなりませんから、貴方は身一つで良いですよ。

 …この首に下がっているモノですか?

 これは私の主人が下さった、最も喜ばしい贈り物です。どんな悪口や罵りがあっても、この銀貨があれば、私は平気なのです。でも貴方には必要ないモノですから、貸せませんよ? ふふっ。


 ご覧なさい、この白いバラの冠と、赤いバラの冠を。あそこにいる少年を。かの少年の名は、ライムンドと言います。ドイツにルーツがありますが、彼はポーランド人として誇りを持っていますから、間違ってもドイツ人と言ってはいけませんよ。…ああ、まだその口に慣れてませんでしたか。これは失礼。

 これから、あの少年の元に、とても高貴な女性が現れます。その御方は、少年の未来を預言し、祝福する為にいらっしゃるのです。私の役目は、少年の望む冠を、女性に渡すことなのです。そのお方は身一つでいらっしゃいますので。

 私の主人は、勿論あの少年がどのように答えるかご存じです。けれども、ただ冠を与えて、天啓を与えるのでは、あまりに寂しい。彼の少年の口から、この冠を選ぶという言葉が、お聞きになりたいのです。

 おや、もうおいでになってますね。そうです、あの女性です。貴方も以前から、何度か絵画で見たことがあるのでは? 本物のあの方は、このようなお方なのです。想像と違いましたか? さて、無駄話はこれくらいにして…。

 遅れました、|天后≪あめのきさき≫さま。|主≪しゅ≫のご命令通り、白いバラの冠と、赤いバラの冠をお届けに参りました。どうぞお納め下さい。

 …彼ですか? 彼は今日、私たちの所へやってきたのですが、私の仕事が見たいというので、連れてきたのです。どうか彼に、奇跡の起こるところを見せてやっては頂けないでしょうか。

 ………本当に? 誠にありがとうございます。…よかったですね、傍にいてもいいそうですよ。

 ああ、ほら、少年が目を覚ましました。天后(あめのきさき)さまがお話になられます。そうです、そうそう。|天后≪あめのきさき≫さまは、少年に尋ねるのです。「赤い冠と白い冠のどちらが良いか」と。すると少年は…。

 ああ、ほら、ご覧なさい。|天后≪あめのきさき≫さまがおいでになったのが分かって、跪いています。この少年の生まれた国を考えると、とても熱心な信仰の家に生まれたのです。そして、ほら、質問を………。………やっぱりそうだ。彼の少年は両方の冠を欲しがりました。であれば、この少年は将来、僧侶になり、そして神の道に殉じて逝くのです。

 白い冠は貞潔。つまり僧侶としての運命を意味します。そして赤い冠は流血。つまり、殉教の運命を意味するのです。無論、彼はこの時、そこまで分かっていません。けれども、分かっていたとしても、彼はこの二つの冠両方を欲しがったでしょう。私の主人は、そのようなある意味無駄なやりとりを大変好むのです。私の主人の声を聞き届ける素直な人間は、もうすっかり減ってしまったのです。合理的な会話ばかりに気を取られているので、私の主人のように、心の交わりを目的とした無駄なやりとりを嫌がるのです。

 全く嘆かわしいことです。私だったら、今も昔もお声をかけていただくだけで、その日一日が輝いて見えて、どんな初歩的な計算ミスも笑って許せるくらいの法悦に満たされるというのに! なんと勿体ないことでしょう! …え? 本当にそう思っているのかって? ………ははは、これは参りました。確かに、私一人にそのような心の交わりをしてくださるのなら、私は人々がどんなに理不尽な地獄に私を押し込めても、日々を笑って過ごせます。

でも私の主人は『全ての人の全て』。誰か一人のものではありません。私の全ての方であり、今も昔も、貴方の全ての方です。だからこそ、あの方は今もこう呼ばれるのです―――「救い主」と。

 ………。彼のファミリーネームですか?

 覚えなくて良いと思いますよ。この少年は、ただ天后(あめのきさき)さまをお迎えする条件がたまたま揃っていただけの、敬虔な神のしもべ。他にも、しもべは沢山います。私も何人もの人々に、様々な冠を届けましたよ。

 …え? どうして貴方が鳩になったのか?

 それは、私ですら、鳩になれたからでしょう。この銀貨を良くごらんなさい。

 この銀貨には、ローマ皇帝の肖像画が入っているのです。…え? 今イタリアに皇帝はいない? それはそうですよ。この銀貨は二千年も前の物ですから。多くの人にとってこの銀貨は、呪われた銀貨なのです。それが三十枚もあります。無辜の人を嫉妬の海に静めた重りです。しかし、私の主人は、打ち捨てられたこれらの銀貨を一つ一つ丁寧に拾って、一枚一枚祝福をして下さいました。その内の一枚が、この胸にある銀貨なのです。

 ああ、もうこんなに時間が。続きは帰ってからに致しましょう。何、他の鳩たちが来るまでの手慰みになるのであれば、いくらでも、私の身に起きた素晴らしい出来事を話して差し上げますので。


 ふう、あの新入りも無事連れて行ってもらって、良かった良かった。

 久しぶりに沢山しゃべったからでしょうか、少し疲れました。肩も凝ったし、鳩胸も硬くなった気がします。

 ふわぁ…あ。眠たいなぁ。でもまだやることがあって…。むにゃむにゃ。


―――


 一羽のこの世で最も醜く美しい鳩が、この世で最も呪わしく祝福された鳩が、雲の光の中で休んでいた。羽はおつかいの時の棘で傷ついていたので、掌でそっと整え、傷を癒やした。その光に気付いた鳩は、目を開き、慌てて頭を下げる。

「疲れてしまったのか。」

「とんでもありません。私の至らなさの為です。主よ、何かご用命でしょうか。しもべはすぐにでも飛び立ちます。」

 ぱさぱさと羽ばたくと、羽が抜ける。重荷は私が背負うと言うているのに、その罪は定めぬ故に罰さぬとも言うているのに、この鳩は私への愛の証にと進んで背負おうとする。証など無くても私は知っていると言ったが、これが彼の愛で、大切な捧げ物なのだから、私は喜んでそれを受け取るだけだ。

「では、この私の胸の中に飛んでくるが良い。」

「そんな、恐れ多い事を。」

「嫌か? 私はお前を愛しているから抱きしめたいのだ。お前は私を愛していないのか?」

「………意地悪なご質問をされますね。私の畏怖の念よりも、もっと重要なことがあると、いつも仰います。」

「無論である。だからこの世はうまれたのだから。この故に、人が創られたのだから。」

「はい、存じております。ではご用命の通りに。」

 ぱさぱさと鳩が私の腕に飛んでくる。手で羽根を撫でると、乱れが整い、つやが出た。手の動きに合わせて、抜けたところから羽が生えてくる。腹の上に乗せ、仰向けの儘抱きしめるように鳩を包むと、くるくる、と鳩は喉を鳴らした。法悦の表情で、うっとりと私に頭を預けている。

「主よ、私はとても幸せです。地上で貴方に愛を捧げていた時よりも、貴方の計画に組み込まれた喜びよりも、今こうして、貴方と一つになっていることが、何よりも幸せです。」

「天の国は、確かにお前の元に来たか。」

「はい。私のこころは、主と一つになり輝いて、この世全ての私と似たものも、その対局に居る罪人(つみびと)すらも愛おしくて、私の羽根が抜けるまで、かの人を傍で励ましたいと忙しなく飛び回っています。―――主よ、貴方が人の子と呼ばれていた時も、そして私が貴方を裏切る事を決め苦しんだ時も、そのまま主の約束を待たず首を吊った時も、同じ気持ちだったなら嬉しいのですけれど。」

「お前は限りなく、神の歓びの中に居る。」

「…嬉しいです。私の主よ、この世が滅びても、真理のある限り、私は貴方の物です。」

 くるくる、くるる、と、笑う鳩。硬く疲れた羽根の根元、首の付け根をくすぐるように撫でると、鳩はきゃっきゃっと笑い、脚をぱたぱたと動かした。くすぐったい、くすぐったい、と笑って、私の愛撫を受けている。腕の中でくるくる回り、私の指の温もりを羽根で包む。全身を泡立てるように細かく揉むと、段々と鳩は柔らかくなり、私の胸にその首筋からぴったりと背中をつけ、脚を上に開き、うとうとと舟を漕ぎ出した。嘗て悋気に満ち、私を独占しようとしていた面影は最早無い。自分が誰よりも私に独占されているということが分かった彼は、今までもこれからも、鳩の姿の儘で、誰にも『私』と分からない姿の儘で、仕えたいと言った。人は皆、自分が神に救われていると分かると、混乱してしまう弱い生き物だから、そして私は、そのような者達の代表として、あの時―――銀貨を三十枚、手に入れたのだから。

「真に幸いなる私の鳩よ、この私の胸で、疲れを癒やしてあげよう。安心するが良い。」

「はい、主よ。貴方に讃美の詩を捧げることを、許して下さるなら。」


 祝福を、祝福を。罪を赦したもう我が主の祝福を。いと高きところに我等の主を誉め奉れ。

 祝福を、祝福を。人の弱さを知りたもう黄の衣の者に祝福を。いと高きところにその苦しみを捧げ賜わん。

 祝福を、祝福を。ダビデの子、天の王、キリスト・イエスに祝福を。

 祝福を、祝福を。シモンの子、裏切り者、人の子を悪に引き渡したこのユダ・イスカリオテに祝福を。

 祝福を、祝福を。

 この喜びを知りたまいし全ての人に、主の平安あれ。


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いくそす。ふぁんぶっくす。Ⅰ「カリオテの男」編 PAULA0125 @paula0125

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