第16話 デートです!

「ユトさーん!」


 名前を呼ばれた俺は顔を上げると、声のした方向に目を向ける。耳に届くと心に安らぎを与えてくれる声の持ち主は初春の流氷のように流れる群衆の中に輝くダイヤモンドのように輝くリルさん。異世界の女神にして俺を勇者に指名した張本人である。


 流氷のように流れる人々もその女神の並外れた容姿に老若男女問わずに視線を奪われているほどで、かく言う俺も最初は彼女の前に自制心を失ったほどである。


 この世の者とは思えないほどの美女は熱い視線を送る周囲の人々に気づいた様子もなく俺の方にまっすぐ歩みを進める。リルさんが一歩一歩俺に近づくにつれて、俺の心臓はドクドクと鼓動を打ち、俺の感情が高ぶり始める。


 三亀ロリもリルさんに引けを取らないほどの美少女であったが、やはり俺の心に居座っているのはリルさんなんだと改めて認識させられる。三亀ロリの時はここまで心臓が苦しいと思ったこともないし、ここまで愛おしいと思ったこともない。


 リルさんは俺にとってまさに運命の人なんだろう。


「おはよう、リルさん」

「おはようございます、ユトさん。もしかして待たせちゃいましたか?」

「いえ、俺も今さっき来たところです」


 俺の顔色を窺うように尋ねるリルさんに対し、俺はデートの待ち合わせにおいてテンプレの答えを返す。実際は久しぶりのデートに張り切りすぎて三十分前には着いていたのだが、リルさんを待たせるよりは俺が待った方が断然いい。


 それに今朝は色々あって家に居ずらかったというのもあるんだが。


 俺がリルさんと話していると周囲から刺すような視線を一斉に浴びせられるが、俺はあえて気づかない素振りを見せる。この嫉妬のまなざしは絶世の美女の隣を歩くときには避けて通れない鬼門であり、この視線になれない限り俺はリルさんの隣を歩けないから。


 といっても緊張して不自然な挙動を見せる俺に対し、周囲の視線などまったく気づいていないリルさんが無垢な笑みをこぼす。ああ、この微笑みを拝むと心が温かくなるよ。


「ところでユトさん、今日はどこに行くんですか?」

「今日は水族館にでも行こうかと思ってます」

「水族館ですか?」

「もしかして嫌だった?」


 待ち合わせ場所から今日のお目当てである水族館に向かう道中の会話。水族館という単語にリルさんがわずかに眉を顰める。


 もしかすると俺はデートプランを間違えてしまったのでは、という恐怖心が一瞬にして湧き上がった。しかしリルさんの応えは意外なものであった。


「いえ、水族館という施設はとても興味深いと思います」

「ならどうしたんですか?」

「ただ水族館にいるお魚さんが不憫で仕方なくて」

「不憫?」


 これまで考えたこともない視点に俺は面食らってしまうが、冷静に考えてみると確かに水族館って魚にとってみれば不憫なのかもしれない。


 水族館の魚は自然界で生きる道を人間のエゴによって絶たれてしまった哀れな魚たちなのかもしれない。だが逆に水族館にいることで弱肉強食から隔絶された世界で安定した魚生を送ることだってできるかもしれない。


 どちらが好ましいかは魚自身に聞くしかないが、魚には基本的魚権も制度改正のための参政権も自由裁量権もないという意味では不憫であろう。


 ましてやリルさんは異世界の女神である。人間以外の生物にとっても人間と同じような感情を抱いたっておかしくない。


 つまり俺はデートプランを間違えたことになる。そこで俺は事前に準備していたプランBへのシフトを速やかに行う。


「なら水族館はやめましょう」

「でもユトさんが考えてくれたんですから……」

「大丈夫です。俺はリルさんに楽しんでもらいたいので、リルさんが少しでも気が引けるなら無理に連れていくわけにはいきません」

「ユトさん……」


 申し訳なさそうに俺の方を見つめるリルさんに俺は人生で一番か二番の爽やかな笑顔を返す。やべぇ、今の俺かっこよくね?なんて思い始めるが、俺はすぐに顔を引き締めるとリルさんに向かって手を差し出す。


「行きましょう、リルさん」

「はい!」


 満面の笑みで頷いたリルさんは俺の手をそっと握る。やべぇ、リルさんの手、超柔らけよ。それに手を繋いだことで二人の距離が物理的に縮まったからリルさんの匂いが俺の鼻腔をくすぐる。これまた超いい匂いで俺のテンションが上がる。


 心臓の鼓動が早くなり、代謝がよくなったことで手汗が出てきたかもしれない。けれどもリルさんは嫌な顔一つ見せずに俺の手をそっとだが、確かに握ってくれている。


 俺の持つ語彙力では表現しきれないほどの幸福感が俺の胸を包み込む。するとリルさんがさらに俺に身体を寄せて耳にささやきかける。


「ユトさん」

「どうしたの?」

「ちょっとだけ、恥ずかしいですね」


 頬を朱く染めながらも、ニコッと俺に微笑みを向けるリルさん。その笑顔に俺の心の許容量を超える幸福感が全身を包み込み、周囲の喧騒など小鳥のさえずりにしか思えなくなった。


 勝手に高揚に浸る俺のことを不思議そうに見つめるリルさん。


「ユトさん?」

「俺は幸せです」

「ど、どうしたんですか?」

「俺、リルさんに出会えてよかったです」

「それって……」


 これは一種の告白だろう。告白なんて今まではハイリスクローリターンの非効率な行為だと思っていたけど、こればかりは効率なんかじゃないんだ。


 非効率だろうが、ハイリスクだろうが、そんなのは関係ない。全身から漲るこの気持ちを伝えたいという思いを無下にすることは自分に嘘をつくことであり、絶対に押さえつけてはいけない感情だ。


 だから俺はそれまでの自分の考えを棄却して自分の思いを伝えた。


 でも、俺の思いは成就しなかったのだ。


「ユトさんがこんなに異世界を思ってくれてるなんて」

「え?」


 リルさんの視線は俺の瞳ではなく、俺たちの目の前にある施設の看板に向いており、リルさんはその看板をキラキラした瞳で見つめている。


 いや、確かに目的地についたんだ。プランBで行くはずだった施設は目の前にあるし、リルさんがそれを見て喜んでくれるなら俺だって嬉しいさ。


 でもね、俺史上の一世一代の革命が起きて告白をしたのに、その答えがイエスノーではなく、全く違うことなんてあり得るんだろうか。


 俺は戸惑いながらもリルさんに尋ねる。


「それってどういう?」

「だってここって!」

「はい、ここはプラネタリウムですが」


 そう、俺がプランBで選んだ施設はプラネタリウムだ。池袋にある大型複合施設には水族館だけでなく、プラネタリウムも内設されているため、プラン途中でもプランの移行が容易に可能だ。


 そこで俺は水族館からプラネタリウムに目的地を変えた。だが、どうしてプラネタリウムが異世界に関係あるのだろうか。


「私の任された世界の名前もプラネタリウムです!」

「え?」

「ここって最近地球で流行りの異世界プラネタリウムのヴァーチャルリアリティなんですね! ここで体験してから異世界に行くんですね!」


 目を輝かせながら俺の方を見つめるリルさんに対し、俺は何も答えることができなかった。ただ残った感情は一つ。


 ナンダロウ、ナンカオカシイナ。

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出会い系アプリで出会ったのは異世界の女神でした。 高巻 柚宇 @yu-takamaki0631

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