第45話 百科事典

 小熊が一度失敗したバーカウンターを作り直すための檜材は、ジムニーの室内容量を目一杯使って無事持ち帰る事が出来た。

 運び出す時にプレハブ一階の倉庫から同じ幅ながら長さは半分ほどの栗材が見つかったので、それも貰っていく。

 家に到着し木材を下ろす。長さ一間の檜材は相応に重く、積み込み作業の時にペイジが、後ろからカブでついてって荷下ろしを手伝おうかと言ったが、小熊はペイジが夜闇の中をジムニーで走る宝石のような時間を大切にしていて、昼間は大学の講義が終わるとずっと寝ている事を思い出し、一人で充分だと答えた。


 小熊としてはまだ寝足りなそうなペイジに気を使った積もりだが、ペイジは少し残念そうな様子でプレハブの階段を登っていった。

 この小熊にとって純粋でひたむきな、憧れさえ抱く少女とうまくコミュニケーション出来なかったのかと少し心配になったが、ペイジがジムニーの取り扱いについて口うるさく注意しなかった事を考え、それなりに好感と信頼を得ている物と判断し。


 荷を下ろした後、いつまでも乗っていたくなるジムニーにハイオクを給油し、大学に戻った小熊は、言われた通りプレハブの裏手にジムニーを駐め、二階の部室へと向かう。

 鍵は開いていて、竹千代と春目が中に居た。ペイジもそうだが、この二人に自宅という物はあるんだろうかと疑問を抱かされるが、二人がどこで寝泊まりしていようと小熊には興味が無い。

 部室の隅にあるソファで赤子のような寝顔で眠っているペイジの着ている整備用ツナギの胸ポケットにジムニーのキーを落とし込み、ここでの用事は終わった。


 早々にプレハブを出ようとする小熊に、旧家の解体で手に入れたという、買ってから一度も開かれなかったらしきブリタニカの百科事典を読んでいた竹千代が声をかけた。

「良い住処が作れるといいね。我々も微力ながら貢献させて貰う」

 協力をして貰う関係というのは、しばしばこちらが協力する関係に入れ替わる。小熊は大学の片隅にあるプレハブを自分の居場所にするような人間になるのは心底お断りしたいが、そうならないため快適な自宅を作る過程で、得た物があるのも事実。

「また必要な物が出来たら、倉庫を漁らせて貰います」


 それくらいの関係に留めれば、この本心の見えない女と接触しても実害は無いだろう。付かず離れずを守ることで、良好な状態を維持出来る人間関係もある。

 竹千代はいつもながら本心が一かけらも見えぬ笑顔を浮かべながら言った。

「いつでも歓迎するよ」

 部室の隅にコンロが置かれた台所スペースで、アルマイトの大鍋に湯を沸かし野草を煮ていた春目が振り返る。

「お部屋が出来上がったら遊びに行ってもいいですか?」


 あの野草は彼女の着ているまだらな緑色のワンピースのように衣服を染めるのに使うのか、薬でも煎じているのか、それとも食べるのか。彼女の行動に少し興味が湧いてきたが、それを打ち消すように首を振りながら答えた。

「断る」 

 春目は小熊の拒絶に俯き、救いを求めるように竹千代を見る。

 竹千代はくすくすと笑いながら、革装の立派な事典のページをめくっていた。今のご時世では、情報の量も取り出しやすさもスマホに劣っている百科事典。

 小熊には竹千代が相応の手間と過程を経て人の叡智を手に入れるという行為を楽しんでいるように見えた。  

 

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