第35話 drive&ride

 小熊のカブを見たペイジは、プレハブの裏を指しながら言った。

「原付は焼却炉の裏に駐められる。防犯カメラもワイヤーロックをかける鉄の柵もあるから、盗まれる心配は無い」

 こんな些細なやりとりさえ、昼間の臆病な彼女とは別人だった。背を伸ばしたペイジは、動きの一つ一つに強い意志が感じられる。言葉も自分を大きく、あるいは不必要に小さく見せる事など無い簡明直截な口調。 

 よく車やバイクに乗ると無駄に攻撃的な性格になる人間が居るというが、ペイジはそれとは違うように思えた。

 小熊は気づいた。きっとこの女はジムニーという車に乗る事で、見えるようになったんだろう。


 何かがきっかけでそれまで見えなかった物や、見ないふりをしていた物に対し明瞭な視界を得る。それは小熊にも経験のある事で、他のバイク乗りからも同じような事をしばしば聞いた。バイクに乗ると正直になる。今まで恐れていた物の正体が見えるようになり、好きな物がより深く見える。最もよく見えるようになるのは、自分自身の強さと弱さ。

 ならば小熊がやる事は決まっている。自分を包み隠す事無く表現出来る場は、誰かの運転する車の助手席ではない。

 小熊はペイジを見た。今の自分には彼女の姿がどれだけ見えているんだろうかと思いながら答える。

「今夜はカブで走る」

 小熊とカブを交互に見たペイジは言った。

「わかった」

 たかが原付と笑う事も、一緒に走る事を過度に喜ぶ世辞も無い。ただ目の前にある事象が、自分が行動するに足る物だからそうする。

 小熊はさっさとジムニーに乗ろうとするペイジに向かって言った。

「まずはジムニーの先行。それからは適当に入れ替えで」

 ペイジは頷き、ジムニーのエンジンを始動させた。

 

 小熊のカブとペイジのジムニーの夜間走行が始まった。巡航速度の速い都下の幹線道路で、ペイジは小熊をうまく先導する。

 こっちが加速や最高速に限りのあるノーマルの原付だという事で、気を遣われているのかと思った小熊は、引っ越してから数日である程度土地勘のある町田と八王子の市境あたりに来たところで、ヘッドライトを上下させる。 

 小熊が礼子や椎と決めていた、複数台のカブで列を組んで走る時に前後を入れ替える合図が、事前に何も伝えていないのに通じた。ジムニーはごく自然に走路を左に寄せる。

 ジムニーを追い抜いた小熊は、カブ50から90に買い替えて本当に良かったと思いながら、既に他車の流れより速いスピードで走っているジムニーを先導し、夜の早い時間でまだ多い車の魚群に、鮫か鯨になった気分で分け入っていく。


 バックミラー越しに、スムーズな走りで小熊のカブについてくるジムニーのヘッドライトが映る。他人に自分の速度を委ねる事を嫌う小熊が、最初にジムニーに先行を任せた理由がわかった。

 不慣れな都下の道路、カブ90より動力性能の高いジムニー、二台以上で連なって走る時は、遅い側が前に出る事が原則。それでも小熊は、ペイジの後をついていきたくなった。そして今、ペイジより先を走りたがっている。

 きっと今夜ペイジに会いに来たのは、この夜だけ咲く赤く美しい花のような少女が自由に走る姿を見たかったから。今、ペイジの前を走っているのは、カブに乗る自分の姿を見せたいと思ったから。


 町田北部から中心部に至る山越えのワインディングロードに入った小熊は、ウィンカーを交互に点滅させて再びペイジと前後を入れ替える。不整地走行のため柔らかくストロークの長いサスペンションに取り換えられたジムニーは、今にも横転しそうなくらい車体を傾けてコーナーを通過していく。ペイジがそれをとても楽しんでいる事がよくわかる。

 山坂道を走り抜け、市内中北部の都道に入ったあたりでもう一度先行した小熊は、休憩のためコンビニに入った。

 ペイジはコーラを、小熊は温かいカフェオレを買って駐車場で飲む。二人ともほとんど言葉は交わさなかった。今夜はもうファミレスで席に座ってお喋りするような薄いコミュニケーション以上の感情を共有している。

 

 缶を捨てた小熊は、ジムニーを指さしながら言った。

「乗ってみたい」

 夜の大学で会って以来、ずっと頬に貼りついたような微笑みを浮かべていたペイジの口角がさらに上がる。コンビニから出てきた近くの高校の生徒らしき数人の男子が、揃って見とれるような顔。

 ポケットから取り出したキーを無造作に放ったペイジに、カブのキーを投げる。それまでの会話で、ペイジはジムニーに乗る以前はモタードと言われるオンロードタイヤを装着したオフロードバイクに乗っていて、中型二輪小型限定という物珍しい免許を持っている事は知っている。

 小熊はジムニーのバケットシートに座った。免許を取って以来、車を借りた相手がいずれも旧い改造車に乗っていて、サニートラックやシボレー、ミニなどによく乗っていたので、さほど戸惑う事無くエンジンを始動させる事が出来た。


 ペイジも出入りしていたショップの代車で乗った事があるというカブ90を問題なくキック始動させている。スロットルを吹かして回転の上昇と下降からエンジンの癖を慎重に見極め、ギアやブレーキの感触を確かめている。

 今度は小熊が先行した。都道から市内中心部に入り、周囲の建物が放つ灯りを白いボディに反射させながら駆け抜ける。

 ジムニーは改造車なりの気難しいところがあって、絶えず高回転を維持していないと性能を発揮出来ないが、そのために必要となる諸々の手間が楽しいと思えるような車だった。

 本来は山間部で岩石や倒木を越えながら走るためのサスペンションとタイヤは、舗装路を走っていても、車体の動きからパワーを体感出来て面白い。

 前後入れ替えて先行したペイジを見たところ、彼女もカブを楽しんでいいるように見えた。小熊が貸したヘルメットからはみでた赤毛の髪が風に流される感触を味わっているのが後ろから見ていてもわかる。


 カブとジムニーでたっぷりと走り回り。日の光より気持ちいい星空を堪能した小熊とペイジは大学に戻る。ペイジが横のプレハブを一瞥した。自らが所属しているセッケンの本拠地と小熊を交互に見た彼女に小熊は言った。

「私はこのサークルには入らない。でも、また一緒に走ろう」

 小熊が差し出した手を、ペイジは強く握った。

 

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