第32話 平凡
翌朝。
就寝時間が深夜だったからか、やや睡眠不足気味の状態で目覚めた小熊は、シャワーを浴び朝食を作った。
昨日節約研究会なるサークルの連中と行ったスーパーで買った鮭の切り身を焼き、豆腐とワカメの味噌汁を作る。冷凍物のホウレンソウをベーコンと一緒に炒めた。
タイマーで炊きあがった炊飯器のご飯を茶碗に盛り、鮭、味噌汁、ホウレンソウをバーカウンターに並べ、朝陽差す中で朝食の時間を過ごす。
やたら魚を食わされた入院生活で散々見たような平凡な朝食も、自分で用意するとなるとそれなりに手間がかかる。これからは必要に応じ外食やテイクアウトも利用したほうがいいんだろう。
FMラジオが流れるダイニングで朝食を済ませた小熊は洗い物をしながら、あのセッケンの三人はどんな朝を過ごしているのかと思った。
各々の自宅で朝食を摂っているところは想像できない。あの半ば下宿のように居心地の良さそうな部室に三人が揃ってテーブルを囲んでいる様を思い浮かべた小熊の頬が緩む。
きっと小熊がそうであるように、昨日買った魚を使った朝食を作っているんだろう。あの三人は三人共料理が全くできなそうにも、創意溢れる料理が出来そうにも見える。
竹千代が作るなら、昨日学食で見た彼女がそうであったように、麦飯と焼き魚、味噌汁だけの質素な朝食だろう。身に着ける物にも乗る車にも自分流のセンスを感じるペイジなら、同じ魚でも英国風に卵料理とバタートーストを添えるか、フランス風のムニエルかもしれない。春目、きっと小熊がたった今平凡さに少々物足りない思いをしながら食べた、病院食か旅館の朝食のようなごく普通の食事をありがたがるに違いない。
見た目と活動から怪しい奴らと判断し、これからは係わらない事に決めたセッケンの三人も、そのパーソナルな部分は面白く興味をそそられない事も無いと思った。ただ、そういうユニークな人間との交流は、大学を滞りなく卒業し、よりよい将来のためのチケットを確実に手に入れるという小熊の目標にはそぐわない。
昨日と同じような服を身に着け、昨日のうちに準備を済ませていったディパックを手に取った小熊は、家を出てコンテナを開け、自分のスーパーカブを外に押し出した。
カブのエンジンをキック始動し、暖機させながらヘルメットとグローブを身に着ける。
相変わらずカブのエンジン音は、日本の朝に馴染んでいると思った。新聞を配達する人たちが走り回る夜明け前から、学生や会社員の通勤ラッシュの時間まで、カブの音はありふれていて非日常の騒音にはなりえない。
昨日と同じ服を着て、どこにでもあるカブに乗って、最初からやる事の決まっている大学の受講準備手続きを済ませる。
きっと二日に渡るオリエンテーションが予定から何一つ逸脱する事無く今日で終わり、講義が始まってからも、同じような日々を過ごすんだろう。これから四年間、今日と変わらぬ朝を繰り返す。
小熊はカブを置いて自転車で通学しようかと少し考えた。それとも、普通のカブではなく、同級生の礼子が乗っていたような普通じゃない音を出す改造カブで通学すれば、この退屈も少しは変化に富んだ物になるに違いない。
そう思った小熊はコンテナガレージの奥を見る。フレームに損傷を負っていたため廃車にしたが、見た目にはまだ走れるように見えるカブ50、あれを改造車の素材にすれば、そこまで考えた小熊は、自分の思いを断ち切るように頭を振った。
カブのカスタマイズはきっと面白く刺激的で、退屈しないだろう。それだけに小熊は、実行したばかりに金と時間を失い、暮らしを犠牲にした人間の例も多く知っていた。
昨日この家のあちこちに見られた改善点について考えた時も同じような事を思わされた。大学生活でも何でも、何か新しい事を始める時というものは、これほどまでに色々な事を我慢しなくてはならないのか。
今の自分には大学で消化しなくてはならない義務が待っている。
耐えなくてはならない平凡と退屈が待っている。
きっとこれから大学生活に慣れ、いいバイトでも見つかればもっと時間や金銭の余裕が出来るに違いない。そうなればカブも木造平屋も、このコンテナも好きなだけ弄る事が出来る。
「そのうちやる」
それだけ言った小熊は、あらゆる可能性の詰まったコンテナの灯りを消して扉を閉めた。
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