第31話 改善点

 節約研究会。通称セッケンなる連中との奇妙な時間を過ごした小熊は、カブに乗って自宅へと帰った。

 小熊が今朝、この家を出た時点では、今日消化すべき最大の義務は大学のオリエンテーションだったが、午前中に大学で行ったはずの教科選択や受けた説明、教材の購入などの記憶がもう何日も前の事のように思えてくる。

 あの三人が大学生活を始めて間もない小熊に強烈な印象を抱かせてくれた事だけは間違いない。そう思いながらカブを自宅敷地のコンテナに仕舞った小熊は、小さな室内灯を点けたコンテナのスチール壁に寄りかかりながら、忘れないうちに今日済ませた所用と明日やらなくてはいけない事をスマホに打ち込んだ。

 やはり何か得る物があったとしても、それ以上の面倒事に巻き込まれそうなセッケンの人間とは、これ以上係わりあいにならないほうがいいだろう。スマホに表示された今日と同じような明日のオリエンテーションに比べ、何も書き残していない午後からつい先ほどまで時間が濃厚で強烈すぎた。このままあの三人に流されてしまえば、自分が望んで進路として選んだ大学生の姿とは異なる生活が始まるだろう。

 

 スマホをしまった小熊が目を休めるためコンテナ最奥の暗闇に視線を送ると、うっすらと廃車のカブが見える。カブ90に乗り替えてから、今まで乗っていたカブを部品取り用の車体として引き取ってきたが、これをどうするのかも決めなくてはならない。

 今は広々としているISO規格の二十フィートコンテナも、これからカブをしまう車庫と、整備するスペースに使うならば容量は有限。少なくとも、小熊が知っている範囲で自宅に専用のガレージを持つ車、バイク愛好家を見る限り、ガレージが広々としている人間は居なかったように思う。みんな愛車と整備器具を余裕をもって収納するガレージを作った後で、その余地を埋めて余りあるような部品や工具、追加購入した車体、あるいは家からガレージへと押し付けられた車もバイクも関係無い品々などで埋め尽くされて、狭苦しい思いをしている。


 あのカブも車体のままで置いておくより、分解し必要な物だけ選別すべきなんだろう。破損した灯火や外装部品や、事故で変形したフレームは、処分したほうがガレージの空間を効率的に使える。

 それもこれも、まずは大学生活が軌道に乗ってから、今すべき事は他にあると思った小熊は、自分が睡魔に襲われている事に気づく。

 コンテナの灯りを消し、扉を閉め施錠した小熊は、木造平屋の玄関を開ける。朝に出たきりだったので消えていた玄関灯を、今更ながら点灯させる。これもそろそろ外の暗さに合わせ自動で点灯するセンサー式の物に取り換えたい。


 カブと家と大学。三つの案件を同時に検討し処理する、高校の時とは異なる頭脳労働に疲れ切った小熊は、家に入ると真っ先に目に入るダイニング奥のバーカウンターに荷物を置き、バスルームへと向かった。

 既に深夜の番組となったNHK-FMを流しながらシャワーを浴び、髪を乾かした小熊は、カウンターの荷物を片付け、持っていかなくてはいけない物はせいぜいスマホくらいしか無いらしい明日のオリエンテーションの準備を終えた。

 夕食はセッケンの連中と済ませているが、せっかく作った手製のバーカウンターを使わないのは勿体ないと思った小熊は、パーコレーターをヤカン代わりにティーバックのお茶を淹れ、スツールに座りながら、貰い物のマール・ブランデーを少し入れた温かいミルクティを飲んだ。


 規格品の2by12木材と角材を使ったおかげで安価にして堅牢な仕上がりになったバーカウンターも、それに合わせて選んだ白熱灯の照明も、操作簡単で風呂でも居間でも使えるFMラジオもいい感じだが、実際にバーでお茶を飲んでいると不満な点もいくつか出てくる。

 お茶やワンディッシュの食事にはちょうどいいが、皿を幾つも置く食事には少し奥行きが狭苦しい。間に合わせのスツールをもう少しちゃんとした物にしたい。床も柱も、バーまでも木材なのに壁がくたびれた抹茶色の砂壁というのも何とかしたい。せっかく近隣住人の居ない環境、FMをもう少しいい音響で聞きたい。色々な案が湧いてくる。寝室や浴室、小熊がバイクの部屋と呼んでいる趣味グッズを集めた小さい和室に居ても、同じような事を思わせる。


 お茶を飲み終わり、カップやポットを片付けて歯を磨いた小熊は、ダイニングの灯りを消して寝室に移った。

 ここも畳の上に布団を敷いて寝るスタイルは気に入ったが、欲しいものはまだある。ただ寝るか畳の上に座るだけでなく、旅館で見かけるような、窓際に椅子と小さなテーブルが置かれたスペースがうちにも欲しい。

 小熊が東京の大学生として暮らす上で理想的な住居として選んだ旧い木造平屋は手を付けなくてはいけない場所だらけ、しかしながら欠点の改善に時間を浪費していては、大学における専攻と滞りない単位取得に差し障りそうに思えてくる。

 最も厄介な問題は、それらがいずれもたまらなく面白そうだという事だろうか。

 

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