第28話 嗅覚
夜の街をドライブし、物珍しい夕食を楽しむ。
まるで充実した大学生のような時間を過ごしながら、小熊の警戒心は解かれるどころか強くなる一方だった。
隣でジムニーを操縦するペイジについては、いい奴だという事がわかる。饒舌になるのは車の話をする時だけで、自らの素性については話さないが、二輪と四輪の違いはあれど移動する機械を好んでいるといった点で共感する物は多く、小熊の今までの経験則に従うなら、機械の扱いがしっかりしている人間は、他の部分においても信頼に足る。
ペイジの操縦は決してジェントルというわけではなく、混雑した都下の道路でジムニーの回転数を絶えず高いまま保ち、前の車と車の間に隙間があれば素早く割り込んでいる。
車内で最も上位の人間が座ると言われる、後席のハンドル側とは逆。右ハンドル国産車なら左側に座っている竹千代については、だいたいわかってきた。
彼女は小熊の決して豊かとはいえない人間関係の中で見知った、関わりあってはいけない類の人間。
バイクが絡む事の多い小熊の知己の中で、操縦や整備の技術、あるいは知識が豊富ながら、一緒に居ると利益より損失のほうが多い人間というのは居る。
思考が特定方向に偏ってる奴、他者を敵味方に分類し、今は味方扱いしてくれていても、ほんのちょっとのきっかけで敵と認定した途端に攻撃的になる奴、そして自らの益のため他者を踏みつける事を厭わない奴。
竹千代がどのタイプに当てはまるのかは、まだわからない。わかるほど近づくのは危険な相手。小熊としても知りたいとは思わない。
もう一人、竹千代の隣に座る春目だけは、小熊にとって理解できない人物だった。
服装や言動から清貧なる少女である事はわかる。それゆえ節約を旨とするサークルに加わっているという動機も理解できる。それでもこの、小熊より年上ながら小柄な女の子が、竹千代やペイジと共に居る姿というものに、どうしても違和感があった。
見た目といい仕草といい、強い獣にいじめられないように身をひそめている小さな動物のような春目は、この集団でどんな役割を負っているのか、欲しい物を手に入れるため人を押しのける竹千代とペイジの二人とはどのような関係なのか、あれこれと考えているうちに、次の目的地らしき場所に到着した。
「最初はここからだな」
ペイジがジムニーを駐めたのは、山梨でも東京郊外でもよく見かける大型のスーパーマーケットだった。
助手席の小熊は車から降りる。もうバケットシートにも、ドア開口部を横切り、乗り降りの邪魔をするボディ補強用のロールケージ・パイプにも慣れてきた。
後席に座る人間が乗降するため、シーソー状のシートレールによって一般的なスライドシートより前へと移動する助手席には慣れたくないが、竹千代が後席からも前席を動かせるハンドルに手を伸ばす様子は無く、ただ小熊がシートを操作するのを悠然と待っている。
こんなつまらない事で時間を浪費したくもないので、小熊はシート下のハンドルを引っ張った。一度持ち上がった前席は傾きつつ、シートバックがダッシュボードに触れるほど前へと動き、後席の人間が乗降可能になる。
竹千代はシートを前傾させてもなお狭い乗降口から優雅に降りてきた。続いて春目が這い出すように出てくる。
四人でスーパーマーケットに入った、ペイジが竹千代に言う。
「肉から行くか?」
スーパーは夕食時ながらそれほど混んでないと思っていたら、間もなく閉店する事を伝える店内放送が流れてきた。客が皆急かされるように買い物を急ぐ中、竹千代は悠然と歩きながら答えた。
「肉は先ほど充分食べたから、違う物を見てみたいな」
一番後ろからついてきた春目は、先ほどから何度も店内を見まわしている。よほどの田舎から出てきてスーパーマーケットが物珍しいのかと思ったが、どうやらそうでも無さそうな様子で、鼻を鳴らしながら何かを探している。
小熊は春目の反応が気になったので、横目で眺めていたが、気が付くと竹千代もペイジも、春目の事を見ていた。春目は幾つもの商品棚に隔てられた遥か向こうを見ながら言う。
「お魚」
ペイジが即座に進む方向を変える。小熊と竹千代もそれについていった。行き先は鮮魚売り場。
冷蔵の商品棚に陳列された魚の前を素通りしたペイジは、棚の一番端を指さしながら言った。
「お宝だ!」
何種類かの魚が黄色いシールを貼られ、並べられていた。
目の前の魚は、海の無い内陸県ながら、かつて太平洋と日本海の海産が集約していたという歴史的な経緯から魚の豊富な山梨に住んでいた小熊の目から見ても、非常に安い物だった。
普段はなかなか手の届かない高級魚が半額以下の値段になっていて、専門店でなくスーパーで見かけるのは珍しいアラと呼ばれる切り落とし部位も、今まで見た事の無いほどの安値で売られていた。 思わず手を伸ばしてしまった小熊の横で、竹千代は魚を吟味している。結局、小熊が幾つかの魚を取ったのち、竹千代は見切り販売コーナーにある魚をほぼ買い上げてしまった。
閉店直前で客も引き、今売れなくては捨てられる魚を抱えた竹千代は、他にもパンや野菜、惣菜などの安売り品を一通り見た後、レジへと向かう。一抱えほどもある魚を買った竹千代はレジ袋を断り、春目がいつも背負っているドンゴロス袋に買い物を入れる。ペイジは「明日は朝から鯵が食べられるぞ、夜は鰤だ」と大喜びしている。
小熊も自分が選んだ魚の会計を済ませたが、結局有料のレジ袋を買ってしまった。
まだ閉店時間には数分を残しているが、すでにシャッターを閉め始めている店員に追い立てられるように店を出た節約研究会の三人は、ジムニーに乗る。
次の目的地も同じようなスーパーマーケットだった。ジムニーの助手席に乗っていて気付いたが、東京都下はこういった大型スーパーがやたら多い。山梨に住んでいた頃は、買い物先にそれほど多くの選択肢は無かったが、都下はただ幹線道路を走っているだけで、次々とスーパーの灯りを見かける。
やはり閉店時間の近いスーパーで、同じように安売り品を狙って買い物をした。何が安いのかは日によって店によって異なるが、竹千代もペイジも、春目の勘を当てにしている。
スーパーマーケットを周るドライブをしているうちに、夜が更けてきた。竹千代が後ろから話しかけてくる。
「どうだい? 我がサークルの活動は?」
小熊は自分の膝の下に置いた買い物袋を撫でた。魚も野菜も惣菜も、しばらく何も買わなくてもいいくらい手に入れ、出費も少なく済んだ。
「私は興味ありません」
節約研究会と銘打った集団も、結局は手段が目的と化してしまった、確かに生活に必要な物を安値で買う事は出来たが、それに要した時間と手間を労働に換算したなら、果たしてどれほどの得になることか。
小熊の挑戦的な言動に竹千代は微笑んで頷く、ペイジもくっくっと笑っていた。春目は何も言わない。眠っているのかと思いきや、周囲の会話も聞こえない様子で、ずっと窓の外を見ていた。
視線を追ってみたが、夜も明るく照らされた道路とは対照的に暗い山しか見えない。
竹千代はルームミラー越しに小熊を見つめてくる。小熊は振り向き、竹千代の目を直に見た。夜の灯りを反射して紫がかったような瞳は、小熊の意思や思考に浸食してくるような深みを湛えていた。
「ここまでが我がサークルへの入会を希望する新入生に見せる活動内容だ。しかし、それだけではない」
春目は窓の外を注視している。目を見開き、鼻と口から同時に息を吸い込みながら、ただ暗黒の塊を見つめている。
「それだけじゃないんだ」
ペイジがジムニーを幹線道路から細道に乗り入れさせた。
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