第27話 市場
小熊と節約研究会の三人を乗せたジムニーは大学を出て、夜の街へと向かった。
ハンドルを握る赤毛の少女ペイジは、帰路へと向かう通勤者で混み始めた道路で、裏道を駆使しつつ旧い軽自動車を活発に走らせる。
小熊はバスでもタクシーでも、他人の運転する車に乗ると不安にさせられる事が多かったが、ペイジの操縦する車にはごく自然に身を委ねられた。
ただ運転席に座って指先で操作するだけで目的地に着く車をあざ笑うように、車体を大きくロールさせながら走るジムニーの中、小熊がバケットシートの中で前後左右、時に上下から来るグラヴィティを楽しんでいると、後部シートに座る竹千代が声を上げた。
「まずは腹ごしらえからかな」
ペイジはジムニーを慌ただしく操縦しながら答える。
「どこへ?」
窓の外を見ていた春目が言う。
「今日は市場に行きましょう」
了解を示すように指を鳴らしたペイジは、ジムニーを郊外方面へと向ける。間もなくジムニーは窓の無い大きな建物の入り口に到着した。
正門ゲートのプレートに目を走らせた小熊は、総合卸売市場という文字を読み取る。
ペイジは市場内の駐車場にジムニーを駐めた。普通車用の駐車場に駐められているのは、白い軽バンや商業車。ラリーの競技ベース車風に白く塗られていたジムニーは、その中で調和と異彩が混じり合った存在感を放っていた。
運転中だけでなく歩いていても活発なペイジについていく形で、小熊と竹千代、春目は市場内に入った。周囲を行きかう人たちは作業ジャンパー姿の成人男性がほとんどながら、たまに同じような恰好の女子もちらほら見かける。
四人で市場の食堂コーナーへと向かった。市場で働いている人だけでなく、近隣の住民にも開放されているらしく、コーナーの出口側にある寿司屋やカレー屋には、家族連れの客も居る、小熊たちと同じような女子高生も見かけた。
ペイジが勝手知った感じで、食堂コーナーの一番奥にある、やや薄汚れた定食屋へと入った。内装もリノリウムの床やデコラ張りのテーブルがは少しくたびれているが、不快感を覚えるような雰囲気ではなく、どこか昭和時代のドラマに出てきそうな感じの風景。
ペイジが奥のテーブルを指さすと、竹千代は軽く頷いて最奥の席につく。一般的なビジネスマナーにおける上座で、マフィアの親分が座る席でもある。
竹千代の席と出口を結んだ線上にある斜め前の席にペイジが座る。襲撃者の盾になる用心棒の席。春目の座った竹千代の隣は、情婦の席とでも言うべきだろうか。
四人掛けの席で他に選択肢が無いので、小熊はペイジの隣に座った。用心棒その二といった感じだが、客として扱われ座る席にまで気を使われるよりは居心地がいい。
新しく効率的でシステマチックな社員食堂のような食券を買うセルフ方式では無いらしく、ほどなくしてやってきた従業員が少しガタつくテーブルに水を置く。
小熊はメニューに手を伸ばしたが、竹千代がそれを制するように手を出しながら言った。
「市場丼を四つ。わたしは麦飯で」
市場丼なるメニューは、小熊が店に入る時、ガラスケース内の食品サンプルに目を走らせた時に見たが、肉と野菜の炒め物が乗っただけのごく普通の丼で、値段も普通。もしかしたらチェーン系の牛丼より高価いかもしれない。
わざわざこの市場まで食べに来るからには、よほど美味な物なのかと思っていると、すぐに四つの丼が運ばれてきた。
味噌汁と漬物を添えて自分の前に出された丼を見て、小熊は少々面喰う。蝋細工のサンプルとは大違いの、バイクのヘルメットほどもある丼に具が山のように盛られている。
ニンニクの匂いが強烈な豚肉がケチることなく入っていて、ネギやニンジン、青菜などの野菜も控えめながら肉に圧され萎びる事なく存在を主張してくる。
お茶を一口飲んだ竹千代が、丼を勧める。
「夜は小食で済ませるならば、残りは春目君が食べてくれる。私からの奢りなので遠慮なく食べて欲しい」
ペイジは竹千代の言葉に被せるように「いただきます!」と言いながら丼を食らい始めた。春目は「お肉なんて久しぶり」と言いながら、食べるのが惜しいといった感じで見つめている。
小熊は箸を手に取りながら言った。
「味によります」
豚ロース肉を塩と香味野菜で味付けした市場丼を、小熊は残さず食べた。牛丼屋の豚丼と値段は同じながら量は倍ほどもあるが、小熊の主観と味覚では、価値はそれ以上。
ペイジは丈夫そうな歯と顎でよく噛んで食べていた。春目は一口食べるたび、肉の味を口の中でじっくりと堪能している。竹千代は仏僧が粥を啜るような仕草で、麦飯の丼を静々と口に運んでいた。
食事が終わり、愛想の無い店員が会計にやってきた。変な借りを作りたくないので、小熊が自分の分を払おうとすると、竹千代はきっぱりとした仕草で小熊を制し、自分と小熊、それから春目の分をさっさと払ってしまった。
ペイジは日本では持っている人間が珍しいマネークリップを取り出し、革のカバーがついたママネークリップに挟まった千円札の束から一枚抜いて渡した。返された釣り銭はそのままポケットに突っ込む。
小熊と節約研究会の三人は店を出た。働く人の食堂らしく客の入れ替わりが激しく、長居出来る雰囲気でもない。次は一人で来てもいいと思いながら、市場丼の余韻を楽しんでいると、先を歩いていたペイジが振り向きながら言った。
「まだまだこれからだ」
人間は腹が満ちると心に余裕が出てくる。それが美味な物ならなおさら。奢って貰った弱みもある小熊は、あと少しこの三人の活動に付き合う事にした。
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