第25話 ジムニー


 ペイジと名乗る同級生とのドライブは小熊にとって興味深い経験だった。

 最近は通学や引っ越しとその後のリフォーム作業、新しいカブの習熟など、用事や目的ありきで移動する事が多く、ただ当ても無く走り回る事は久しぶりだった。

 高校時代はよくそうしていた気がする。カブは放課後から夜まで走り回っても金銭的な負担はそう多くない。五百円少々でガソリンを満タンにすれば二百km弱の距離を走る事が出来て、オイルや駆動部品など、燃料以外の負担や消耗も自分で整備していればパーツの実費は安い物。体が疲れ切るまで走り尽してもカフェか牛丼屋に一回行ったくらいの出費で済む。


 車はそうはいかないと思っていたが、このジムニーは例外かもしれない。ペイジと名乗る赤毛の同級生から聞いた話によると、燃費で不利な2ストロークエンジンながら、軽い車体のせいかガソリン消費はハイブリッド普通車か大排気量のバイク並みで、整備性も良好らしい。

 ペイジはそれだけ言って助手席で眠ってしまった。こんな尻を箱詰めするような窮屈なシートでよく寝られるなと思ったが、同じくバケットタイプのスポーツシートに取り換えたサニートラックに乗っていた中古バイク屋のシノさんは「慣れる」とだけ言っていた。

 小熊は以前、自分がカブで夜中まで走っていたところ睡魔に襲われ、ただ乗っているだけでも尻が痛くなるシートに座ったまま、ハンドルに突っ伏して眠ってしまった事を思い出し、苦笑する。


 ジムニーは改造車にしては走りやすく、シフトフィーリングのいいマニュアルミッションや軽とは思えないほど吹け上がりのいいエンジンなど、小熊にとって面白い車だった。

 高校時代に免許を取って以来、幾つかの車種を運転した事があって、東京で暮らし始めてからはホームセンターやリサイクルショップで貸し出される軽トラを何度か運転したが、それらの実用車とは操縦の楽しさが段違いで、どこまでも走らせたくなってくる。

 小熊にとってのカブがそうであるように、このペイジという女にとってジムニーは実用だけでなく娯楽を与えてくれる物だという事がわかってきた。


 特に道や行先を考えず、大学前を通る幹線道路を西へと向かっているうちに、道はワインディングロードになってきた。ジムニーはサスペンションを固めたスポーツカーと異なりコーナーを通過するたびフワフワと揺れるが、ロールしながらも道路にしぶとく食らいつき、なかなか攻めた走りが出来る。

 小熊はタイヤボリュームの大きいオフロードバイクで峠を走った時の事を思い出した。バイク便の仕事をしていた時、同じ会社の仲間でずっとヤマハTW200に乗っている人が居て、仕事先で急病になったその人のヘルプとして現場に入った小熊はバイクも借りたが、初めて乗ったTWはタイヤとサスペンションの受け入れ容量が大きく、どんな道でどのような走りをしても転ばないという安心感があった。

 このバイクは未舗装路や舗装の状態が良くない峠道の多い山梨に適応したバイクだと思った。峠を速く面白く走るバイクの正答はレーサーレプリカタイプのバイクだけじゃない。無論、やはり借り物で乗ったレーサーレプリカで峠を走らせた時の興奮は、何物にも代えがたい物があるというのも事実。それに命を費やす奴も居ると聞いた時、小熊はそんなの当たり前だとしか思わなかった。


 道路が空いていて交通状況がいいと、車での移動はあっという間。峠道を走っているうちに東京を飛び出して隣県まで行ってしまいそうだったので、途中でコンビニでコーヒーを買い、来た道を引き返した。

 走り出してからペーパーカップのホットコーヒーを買った事を後悔したが、今更遅いと思いながら、カップのコーヒーがこぼれないように運転した。これはこれで面白い。

 助手席でずっと寝ているペイジは、コーヒーの香りに目を覚ましかけたが、また眠ってしまった。昼寝の習慣があるのか、よほどの早寝なのか、春の陽はもう暮れ始めている。

 途中でスタンドに立ち寄り、給油をした小熊は、空がすっかり暗くなった頃、節約研究会なるサークルのある大学構内のプレハブにジムニーを乗りつけた。大学は高校とは異なり、夕方から夜になっても生徒が追い出されたりしない様子で、明かりの点いた講堂を幾つも見かけたが、プレハブ二階の部室は暗かった。


 小熊がこのジムニーと、ペイジというサークル部員をどこに返却しようか迷っていると、起きだして温くなったコーヒーを啜っていたペイジが、ジムニーから降りてふらつく足で階段を上る。

 部の備品だという軽自動車を借りたからには、部長の竹千代に話を通しておこうと思った小熊は、階段の下で様子見した。ペイジはプレハブの引き戸を開け、中に向かって声をかける。

「みんな起きろ、時間だぞ」

 部室の灯りが点いてしばらくした頃、眠そうな目を擦った春目と、暗い部室で昼寝ではなくずっと瞑想でもしていたかのような竹千代が出てくる。

 春目の手を引くように階段を降りてきた竹千代は、小熊の前までやってきて言った。

「これより我が節約研究会の活動が始まる。小熊君にもぜひ見学していって欲しい」

 自分のカブの前でヘルメットとグローブを身に着けていた小熊は、一度返しかけたジムニーのキーを握りながら言った。

「これに乗せてくれるなら」

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