第19話 人頼み

 学年は二つ上で、飛び級でもしていなければ現役入学の小熊より年上。小熊は目の前の少女に対する口調を改めるべきか少し迷った。 

 どちらにせよもう遅い。今さら丁重な口調で誤魔化すより、非礼な人間ではないいことを行動で示したほうがいいと思った小熊は、冷蔵庫に触れながら言った。

「運んであげます」


 春目と名乗る少女は、自分がここまで運んできた冷蔵庫と、小熊の乗っている原付バイクを交互に見ながら言った。

「出来ないですよ」

 断られたら善意の押し付けになる前に潔く引こうと思っていた小熊は、目の前の冷蔵庫を絶対に運んでやる事に決めた。

「可能です」   

 それだけ答えた小熊は、とりあえず冷蔵庫に掛けられた何の役にも立っていない縄を外すことにした。結びの甘い荒縄は簡単に解ける。

 

 台車を左右に動かし、アスファルトの抵抗で容易に動かない台車には車止めの類はいらないと判断した小熊は、冷蔵庫を押して軽く傾けた。

 一般的な家庭用冷蔵庫の重さ。六十kgはあるように思える。小熊一人でカブに積むのは不可能だろう。春目という少女と二人がかりでも、きっと無理。

 冷蔵庫を押して台車が動かない事をもう一度確かめた小熊は、カブと冷蔵庫から離れ、帰宅中の学生たちに向かって手を上げた。

「すみません。荷物を積むのを手伝って貰えますか?」


 バイクではなく車、それも旧型車やチューニングカーに乗っていると、道路で突然エンジンが止まるトラブルはよくある事らしい。そんな時に自分一人では車を道端に寄せられない。だからといってロードサービスを呼び、レッカー車が来るのを待つのは、公道の円滑な通行を阻害している身には悠長すぎる。

 小熊がカブに乗るようになって知り合った車好きな人達の多くは、車が動かなくなった時に周りを歩く見ず知らずの人に助けを求めた経験を持ち合わせていて、エンジントラブルや脱輪、バッテリー上がりなどを何度も繰り返すうちに、一人では脱出不可能な窮地を人頼みで何とかする事にも慣れてくるらしい。

 小熊も先日スーパーカブに乗っていて同様の経験をしたばかり。道路上で他車のトラブルに手を貸した経験も何度かある。


 女子二人が困ってる様は物珍しいらしく、すぐに数人の若者が寄ってきた。そのうちの一人が小熊のカブを見て「積めるの?」と聞いたので、小熊は「積めます。ヒト一人より軽い」と答えると、納得した様子。

 四人ほどの人手を使ってカブの後部荷台に冷蔵庫を載せた。小熊は重く重心の高い荷物に縄をかけ、荷積みのバイトをしていた時に必須だった、トラッカーヒッチと呼ばれる体重をかけて締め上げる結び方でしっかりと固定する。

 引越し作業では家具に縄が食い込んだり擦れたりして傷がつかないように家具に当てる古毛布を、少女が持っていた財布替わりの革袋以外何も入っていないドンゴロス袋で代用し、冷蔵庫を積み終えた小熊は、春目と共に手伝ってくれた人達に礼を述べた。


 無事積載された冷蔵庫を見上げた春目はカブの前まで出た。台車を冷蔵庫とシートの間に挟んでいた小熊に言う。

「あの、案内します、あんまり速く走らないでください」

 荷積みを手伝っただけで息を切らせている春目が、これからカブを先導し走るという仕事に備えて深呼吸しているのを見た小熊は、春目の両脇を掴んで抱き上げる。

 そのままカブに乗り、少し後ろ気味に座った小熊は、シートの先端に春目を跨らせた。


 春目は自分の身に何が起きたのかわからぬ様子で、不安そう小熊を振り返る。小熊は春日の手を取ってハンドルの内側に掴まらせた後、重荷のせいで上げるのに力が必要なセンタースタンドを何とか上げた。

 カブ90のスロットルを吹かす。カブ50の体感的な速さを大きく変えることなく、あらゆる欠点を消す最良の性能向上を果たした90ccのエンジンは、六十kgの冷蔵庫と三十kgほどの少女の負担がかかった状態で、どれほどの能力を見せてくれるのか。

 それを知るためには、ガソリンや時間を少々空費する事など惜しくないと思った小熊は、これから何が起きるのかを知って必死に降りて逃げようとする春目の胴を片腕で掴みながら、カブを発進させた。

  

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