第18話 若草色

 小熊に声をかけられた少女は、あからさまな警戒の表情を浮かべた。

 自分の背丈よりずっと高く、体重より遥かに重い冷蔵庫を取られまいと両手で押さえている。

 もしも小熊が本当にこの冷蔵庫の強奪を考えているなら、何の役にも立たないであろう仕草。一緒にこの少女まで盗まれてしまいそうな姿だが、あいにく小熊の家には既に山梨から持って来た一人暮らし用の冷蔵庫があって、目の前の冷蔵庫は大きすぎる。


 小熊はまず少女を観察した。何かしらのコミュニケーションを取るには、外見から推察される特徴を掴まなくてはならない。

 カブで道を走っていて目の前の車を追い抜くべきか、それとも大人しく後ろにつくべきかを読む時と同じ。ドライバーが逆上して煽ってくる危険な人間かどうかは、車を見ればだいたいわかる。

 少女は厚手の麻布で出来た、若草色のロングワンピースを着ていた。ただカットして縫っただけといった感じで、ギャザーも飾り布も無い、ローブか貫頭衣に袖をつけたようなワンピースの裾や袖に見られる色ムラを見る限り、天然の染色材による手染め。高価なオーダーメイドか、あるいはその逆なのかはわからない。


 体格は小柄で痩せ気味。折りたためば運んでいる冷蔵庫の野菜室に入りそうなほど小さい。セミロングの髪は淡く灰色がかった色で、明るいグリーンのワンピースのせいか、緑色を帯びているように見える。

 旅館の仲居が履き物で客のランクを見るように、足元に目を走らせる。小熊と同じ革の編み上げ靴を履いている。ずんぐりと丸っこいシルエットのショートブーツ。

 靴のブランドに詳しくない小熊にも見覚えがあるブーツだった。あれは爪先に鉄板の入った作業用安全靴。少女は小熊に半ば背を向けるように半身に構えていた。小動物が天敵の肉食獣に遭遇し、相手が自分に気づくことなく通り過ぎるのを息を殺しながら待つような姿勢。小熊ならせっかくの安全靴を活かすため、相手の目から視線を外すことなく蹴ることが出来るように、間合いを詰め利き足を隠す体勢を取る。

 ショートブーツの上に覗くコットンの靴下は、もしも安全靴と同じ場所で買ったのなら、踵と爪先が補強された軍足靴下かもしれない。


 全身を天然の素材で包んだ少女は、この大学とどんな関係がある人物なのか小熊には判断できなかった。

 大学生にしては若く見えて、何より服装が女子大生っぽくない。職員にも大学出入り業者のアルバイトにも思えない。小熊が直感的に抱いた感想は、中世か近世の世界から何かの間違いでこの日本にやってきたような人間。それも王族や騎士ではなく。貧民窟と呼ばれるような場所から攫われてきたような身なり。どちらにせよ、東京の大学に似合う女じゃない。

 

 少女に少し興味が湧いてきた小熊は、ライダースジャケットのポケットからスマホを取り出した。

 最近になって買った手帳型のスマホケースを開ける。中には昨日の入学前説明会で貰ったばかりの学生証を差し込んであった。

 開いたスマホケースを少女に見せた小熊は、刑事か何かになったような気分で名乗った。

「人文学部一年の小熊です。その冷蔵庫の運び方はとても危険です。よろしければお手伝いしたい」


 冷蔵庫に手をかけたまま小熊の学生証を眺め、やや難読な苗字に顔をしかめていた少女は、自分が名乗ったんだから、という小熊の圧力に押されるように、背負っていたバッグを開けた。

 バッグもまた麻だった。ワンショルダーバッグといえば聞こえがいいが、貨物船などで見かける、積荷のコーヒー豆や小麦粉を入れるドンゴロスと呼ばれる粗い麻布の袋。 

 巾着袋のように縄で背負えるようになっているドンゴロスに手を突っ込み、しばらくかきまわしていた少女は、小さな革袋を取り出して、中に入っていた紙を小熊に示した。

「あの、春目といいます。経済学部の三年です」

 若草色の麻を纏った少女は、小熊の先輩だった。

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