第14話 町田ナンバー

 昼食を終えた小熊は、カブc125に乗って大学を出た。

 これからカブを買う予定のバイク店から借りた代車のc125は、滑らかに回るエンジンといい、容量の大きい足回りといい、申し分の無い性能だった。

 このままどこかへ走りに行きたい気持ちを抑えつつ、大学付近の多摩センター通りから鎌倉街道を南下し、国道十六号沿いにあるショップへと向かった。

 全国展開する中古バイク店チェーンの大型店舗は小熊の知るバイク屋とは様相が異なっていて、商談スペースのソファを薦められ、コーヒーなど出された時は少々落ち着かない気持ちを味わった。


 山梨に居た頃世話になったシノさんの中古バイク屋では、お茶が飲みたくなった時はいつも店の隅にある湯沸しポットを勝手に使っていた。そのうち自分のコーヒー豆を持ち込むようになり、気がついたら店に来た客のコーヒーまで淹れていた。

 よく部品漁りや作業をしに行った勝沼の解体屋にはそもそもお茶を煎れる設備自体が存在せず、探し物や部品の取り付け作業が炎天下や乾燥した寒気の中での長丁場になりそうな時は、店の数km手前にあるコンビニで飲み物を買っておかなくてはならない。


 小熊は自分がこの店で買うスーパーカブ90が、フロアにディスプレイされている他のバイクより高価だとは思わないが、支払いが全て保険会社から行われるためなのか、そこそこの上客として扱ってくれているらしい。もしかして、女子大生の客が物珍しいという理由もあるのかもしれない。

 店員は小熊に代車として貸し出したカブc125を、カブ90との価格差を小熊が負担すれば購入する事が可能で、追い金については思い切った値引きをさせて頂く旨を説明してきた。発売間もないc125を代車として貸し出してくれたのはそのためだったのか。


 小熊はc125の性能と装備を賞賛しつつ、購入については丁重にお断りした。金銭的な理由だけでなく、小熊が好きになったのは電子制御されていないキャブレター式エンジンのスーパーカブ50と、その直系上位車種のカブ90で、性能や特性を細部まで把握しているのも、旧型車体のカブ。

 大学進学や引越しであれこれと新しい事をやろうとしている時にカブまで新しくなって、色々な習熟をやり直すのは少々面倒くさい。それに何より小熊が自らの新しい住処と、そのガレージに在るべき物としてイメージしたのは、新しいカブでは無かった。


 接客フロアにある挽きたてコーヒーのディスペンサーで淹れられた、ミルクたっぷりの甘いカフェオレを飲んでいるうちに店員がやってきて、車両の準備が出来た事を告げられる。

 幾つかの書類を確認し、サインと捺印をした小熊は、サービス工場から押し出されてきたスーパーカブ90と対面する。

 塗装もメッキも磨きこまれ、エンジンまでクリーナーで洗浄されたカブ90に少し見とれた小熊は、納車整備のミスが無いか点検する少々意地悪な気持ちで、車体の後部に回った。

 カブ90独特の丸くずんぐりしたテールランプ等、細部の意匠は異なりつつ概ね見慣れたカブの後姿の中に、よく見たような、目新しいようなものがあった。後部ナンバープレート。

 小熊が今まで乗っていたカブにも付いていた黄色い原付二種のナンバープレートは、町田市のご当地図柄入りプレートだった。


 小熊はカブのいいところの一つは、どこにでもあって不必要な注目を浴びない匿名性だと思っていた。特に何かしらの犯罪に着手する時には、個体の特定を困難にする要素は強い武器となる。

 カワセミと椿の花があしらわれたナンバープレートは、小熊が今まで嫌っていた個性をカブに付与する物になるのではないかと思ったが、山梨を出て名実ともに町田の住人になった事を実感出来るナンバープレートは、見ていて悪い気分になる物では無かった。

 小熊の記憶では、図柄入りナンバープレートを交付しているのは町田市役所の本庁で、小熊が行こうとしていた自宅最寄りの市役所支所では取り扱われていなかった。実際に図柄入りナンバープレートを見る前だったなら、小熊は時間の空費を嫌い、ごく普通のナンバープレートを貰っていただろう。

 

 このカブ90の購入を決めた段階では、新しいカブにナンバーを取得する手続きについては、小熊は必要な書類さえ揃えてくれれば自分でやる事を申し出ていたが、中古バイクショップの店員が主張した通り、店側による登録手続きの代行を頼んで正解だったのかもしれない。

 店員がどうせ手数料は事故相手の保険会社から支払われるんだから、少しは儲けさせてくださいと本音を覗かせたので、タダならば異存無しということで一任した。


 バイク屋の儲け口が車両代金だけではない事は知っている。別の大手チェーン系中古バイク屋が、原付二種の輸入車を国内バイクより大幅に安い車体価格で売っていたので、試しに見積もりを取ってみたところ、全てコミの総額には、納車整備と登録、更には開梱手数料なる数万円の費用が付け足されていたのを見て、色々と察した事もある。

 営利のためバイクを売っているショップ。自分の懐さえ痛まなければ何で儲けようと構わないと思った小熊は、登録の代行に一つ条件というか、お願いを言い添えた。

 今回の事故で全損と判定され、中古バイク屋に引き取られた小熊のカブ50を安価で、出来れば無料で譲渡して欲しいという要望。


 小熊は思いがけず程度極上のカブ90を手に入れる事となったが、目に見えないパーツの磨耗や劣化まではわからない。基本的に他人が整備したバイクは、走っていてどこが壊れるかが読めない。これから走行によって交換が必要な部品も出てくるし、部品取り車があっても困る事は無い。

 店員はあっさり事故車のカブを譲渡してくれた。旧式カブの中古部品はそれなりに値がつくが、これくらいの規模を持つ店ではネットオークション等で部品を捌く個人店舗や半アマチュアとは異なり、資格を持った作業者が部品を分解し取り外して清掃し、値札と保証をつけて売り場に並べる人件費を引くと、ほとんど儲けは出ないらしい。


 小熊が全損したカブを欲しがる理由については特に聞かれなかった。高校時代にずっと乗ったカブへの愛着とでも思ってくれているんだろうかと思ったが、それは勘違いもいいとこ。

 これでもカブは自分で整備して乗っている。擦り切れたタイヤや切れた電球に愛着を持って使い続ける奴が、バイクに乗る人間としての適性や知能に問題がある事くらい知っている。それがタイヤ同様に損傷が安全性に直結するフレームや車体だとしても、何も変わりは無い。

 愛着は確かにあるが、それが機械を扱う者として危険な感情である事は理解しているし、実際の行動に反映させるほど愚か者では無い。


 ならば、自分はなぜ全損したカブを、軽トラックを借りてまで持って帰ろうとするんだろうかと思ったが、単なる部品取り以外の理由は今のところ思い浮かばない。

 理由未満の可能性のような物があるとすれば、自宅のコンテナガレージにある広い空間。小熊はそこに何かを置きたいと思った。

  

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