第13話 麦飯

卒業式の翌日.

 小熊は南大沢の大学キャンパスで行われた入学前説明会に出席したが、昨日の卒業式と同じくずっと上の空で、これから乗ることになるカブ90をどんな改造を施すべきか考えていた。

 あれこれと想像を巡らせても、せいぜい廃車にしたカブ50から外した後部ボックスと前カゴを取り付けるくらいしか思いつかない。


 カブ90の性能や仕様に関しては、ネットや書籍、あるいは実際に乗っているオーナーの話で知っている。排気量を拡大されたエンジンや、それに合わせ大径化したタイヤとブレーキ。

 つまり、小熊がスーパーカブに乗っていて、やや不満に思う部分を全て改善し、変えるべきでない部分を残した車両こそが、HA02スーパーカブ90


 説明会は午前中で終わったので、小熊は大学で昼食を済ませる事にした。

 これから舞っている納車と試走の時を空腹のまま迎えたくない。代車のカブc125があるとはいえ家に食べに帰る暇など無いし、駅前に出てどこか飯を食べられる場所を探す時間さえ惜しい。

 半分は昨日と同じリクルートスーツ、残り半分は地味な私服を着た周囲の新入生たちが恐々と大学構内を歩く中、デニムに赤いライディングウェア姿の小熊は彼らをかきわけるように廊下を進んだ。


 もう自分はこの大学の一員で、生徒や職員が歩くために作られた施設を利用する時に、いちいち卑屈になってはいられない。バイク便の仕事をしていた頃は、大学よりずっと閉鎖的で排他主義なオフィスや官庁に、部外者の身で押し入らなくてはならなかった。  

 少なくともバイクで公道を走る時、腰が引けていては危機に対処出来ないし、自分が未熟で犯罪に対し無力な存在である事を自らアピールするようなもの。


 案内表示に従って行った大学キャンパス付属の学食は、小熊の知る物とは異なっていた。 

 小熊の卒業した山梨の公立高校には学食が無く、仕事で行った他校の学食や、企業の社員食堂は、もうちょっと無味乾燥な雰囲気だったが、小熊が入学した大学の学食は、ちょっとしたカフェテリアのような雰囲気だった。

 有線らしきBGMのかかった広く明るい部屋、今日の日替わりメニューや軽食がディスプレイ表示されたカウンター、椅子とテーブルも社食でよく見る長テーブルとパイプ椅子ではなく、鋳物らしき丸テーブルとチェア、大窓の外にはテラス席まである。


 どこかデパートのフードコートを思わせる学食をしばらく見回し、注文の方法や生徒たちがよく食べている物をそれとなく観察した小熊は、A定食とご飯大盛りの食券を買い、列に並んだ。

 カウンターの端にあるトレーを持って職員に食券を出し、ご飯、ジャガイモとニンジンの味噌汁、浅漬けとホウレンソウの胡麻和え、豚肉の生姜焼きをトレーに乗せて貰う。


 セルフサービスで緑茶を淹れた小熊は空席を探した。昼食時でそれなりに混み合った学食では、生徒や職員の多くは数人のグループを作り、学食のメインホールにある四人掛けや八人用の席を占領している。

 とりあえずランチメイトの類の居ないお一人様の小熊は、ファミレスや居酒屋にあるような一人で落ち着ける席を探したが、カウンター席の類が無い替わりに大窓の前に二人掛けの小さい席が並んでいたので、その席の一つに落ち着いた。


 一人でランチを楽しんでいる人間はそれほど多くないらしく、その区画の先客は紫がかった黒髪に黒いワンピースドレス姿の美麗な女一人だけだった。生徒とも職員ともつかぬ女は窓の外を眺めながら、小熊の生姜焼き定食よりずっと質素な、豆腐と麦飯だけの昼食を静々と口に運んでいる。

 小熊は席につき、生姜焼き定食を食べ始めた。少し前まで入院していた病院と似たようなトレーと食器ながら、毎日魚ばかり食わされていた時より幾らか贅沢なメニュー。


 学食の定食は小熊が幸せな満腹感を得るに充分だった。メインの生姜焼きだけでなく、添えられたキャベツやトマト、白菜の浅漬けや和え物も充分なボリュームがあって、味もさほど舌が贅沢ではないと思っている小熊にとってまことに美味。

 値段も外でテイクアウトのランチを買うよりずっと安く、生活を切り詰めるため弁当を作って持って行こうとしていた小熊も、時間が無い時は昼食をここで済ませようと思った。


 米のせいか水のせいか、ご飯が地元の武川米に比べて若干瑞々しさが足りないと思った小熊は、チラっと幾つかの小テーブルを隔てた席を見た。この東京の米も美麗な女の食べているような麦飯には相性がいいんだろうかと思ったが、今はご飯の事を考えている余裕など無いので、トレイを手に席を立った。

 小熊はもう一度美麗な女を盗み見た。一度引いた席をテーブルに戻す時に不躾な音を立ててしまったのか、さっきまで豆腐を醤油につけては口に運んでいた美麗な女もこっちを見ていた。


 涼やかに細められた瞳と視線が合う。一応は大学の同級か先輩、あるいは恩師にでもなるかもしれない相手、一応頭を頷かせるだけの挨拶をした。

 女は小熊を見て、それから自分の手にしている椀を軽く持ち上げてから言った。

「麦飯なら、カウンターで言えば貰えるよ」

 唐突に話しかけられた事より、美麗な女の持つ底知れぬ雰囲気に少々気圧された小熊は、トレーを持った不恰好な姿勢でもう一度頭を下げ、席を離れた。

 

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