第9話 千客万来の我が家へ

 一通りの作業が終わり、小熊の住居とガレージには生活に必要な物が揃った。

 眠る場所と食べる場所、そしてカブに触れる場所。今まで山梨の集合住宅で暮らしてきた時と同じレベルの日常が過ごせるだけの体裁は整い、このままでも充分暮らしていける。

 だからこそ、ここから先は欲しい物、やりたい事、今よりさらに生活のレベルを上げたいという目的の伴う行動となる。

 小熊が賃貸した家とガレージはそれに足る容量もあった。手持ちの家具がそう多くなかった事もあって、部屋は広く、新しい物を置く余地はまだ充分ある。ガレージも、カブとその維持に必要な物を置いてなお、まだスペースの半分近くがガラン洞の空間なまま。

 何も無い場所では何でもできる。そう思いながら木造平屋のダイニングを見渡した小熊は、昼食を摂る場所が無い事に気づいた。

 

 さっきまでここにあったダイニングテーブルは、ガレージで使う用途に理想的だったために持っていってしまった。とはいえキッチンで作った物をそのまま立ち食いするというのは侘しすぎる。

 春の陽が南中の位置まで昇り、遠くで聞こえる学校のチャイムは昼食の時間が近い事を告げている。とりあえず家にある唯一、テーブルの用を果たしそうな、寝室の勉強机と回転椅子を持ってきた。

 台所でラーメンと野菜炒めを作り、ジャスミン茶のグラスと共にグレーのスチールデスクに並べたが、日当たりのいいダイニングで昼食の時間を過ごしていても、腹しか満たされない。

 こんな机と椅子で食事をするのは、食事中も仕事を手放せず職場に軟禁されている人間と同じだと思った小熊は、この餌を食べ終わったらすぐにカブに飛び乗り、テーブルを探しに行こうと思った。

 今夜は少し張り込んでカツカレーにでもしようと思った夕食を、灰色の事務机で食べる。そんな時間を過ごすためにここに住み始めたわけじゃない。


 午後からカブで出かけた小熊は、とりあえずそうそう無駄遣い出来ない自分の財布に見合ったテーブルを探すべく、多摩ニュータウン通りのリサイクルショップまで行った。

 店の中を歩き回ると、家具コーナーにはテーブルも幾つかあり、値段も折り合いのつく物だったが、どれも百店満点のうちの六十点といった感じで、食事を行う用は果たしても、そこで幸せなディナータイムを過ごしている自分の姿が思い浮かんでこなかった。

 気分を変えるために見たアウトドア用品のコーナーにあった、折り畳みのキャンプテーブルとディレクターズチェアには少し惹かれた。樹脂製のテーブルは木材ほどの風合いは無いが、カラフルな色使いで、和風の部屋に置くとミスマッチな感じで面白そう。何より折り畳めばカブでそのまま持ち帰れそうなのがいい。


 値段も安いし、とりあえずこれがいいかなと思った小熊は、畳んだ状態で陳列されていたキャンプテーブルを手に取った。広げてみたところ、テーブルは小熊一人の食事を乗せるには理想的なサイズ。

 キャンプテーブルを眺めていた小熊は、ふと今朝まで使っていた2by4材のテーブルを思い出した。

 夏に礼子のログハウスであのテーブルを作り、今まで集合住宅で使っていた合板のちっぽけなテーブルを景気よく燃やした時も、半畳ほどある2by4材のテーブルは少し大きすぎるかなと思った。

 それまで部屋に友達が来た事は無いし、これからもそんな機会は来ないと思っていたが、いつしか礼子や椎が小熊の集合住宅に入り浸るようになり、広いテーブルは存分に役立ってくれた。

 これから自分好みに作っていく新しい部屋をどうしたいのか。この機能的なキャンプテーブルで、一人の時間を過ごすための理想的な空間は、本当に欲しい物なんだろうかと思った小熊は、キャンプテーブルを畳み直し、陳列棚に戻した。


 何も買わずリサイクルショップを出た小熊は、そのまま唐木田の大型ショッピングモールまでカブを走らせる。駐輪場にカブを駐めた小熊はモール内のホームセンターに入り、勝手知った店内の端材コーナーに足を向けた。

 昨日ここに来た時に目につき、気になっていた物がまだ残っていたら、そう思いながら木材加工コーナーの横にある、加工時に出た切れ端や余剰木材を安価に販売する売り場に来た小熊は、無事お目当ての品を買う事が出来た。 


 買った物はカブに物理的に積めなくも無かったが、法には触れそうなので、ホームセンターが無料で貸し出している軽トラックに買い物を積んだ。

 車の免許を取って以来、借り物ながらマニュアル車ばかり乗っている小熊は、教習所以来久しぶりに乗るオートマ車を運転し、新鮮な感覚を味わいながら家に帰った。買ってきた物を家の前に降ろし、ホームセンターにトラックを返却した後、自分のカブで帰ってきた。

 小熊が手に入れたのは、2by12材という自分の身長より長いく幅の広い木材。これが新しい家で小熊が満たされた食事時間を過ごし、時に来客を招くテーブルになる。

 

 夕飯までに間に合わせたかったため、ホームセンターから帰る道中に作業内容を頭の中で組立て、家に着いてすぐ工作を始める。

 今までテーブルに使っていた2by4材と同じ規格品の建築木材ながら、三十センチほどの幅がある2by12材。長さは百八十センチくらい。

 2by12材と一緒に買ってきた角材とL字金具、建築ボルトでテーブルには少し高めの足を作った。出来上がった幅広のテーブルを、キッチンの前に置く。

 作業を終えた小熊は、自分の手で作ったバーカウンター・テーブルを満足そうに眺めた。

 

 小熊はここに住むようになって以来、玄関を開けていきなり台所とダイニングが見えるのは、訪問者にだらしない印象を与えると思っていた。

 ワンルームマンションではそれが当たり前で、山梨の1DKに住んでいた頃は気にした事も無かったが、せっかく賃貸とはいえ自分の家を持ったならば、玄関を開ける瞬間を生活感や退屈と共に迎えるより、毎日家に帰るたび、あるいは誰かを招待する時、ワクワクする時間を味わいたい。

 規格品の木材で作られたバーカウンターは部屋のサイズにもよく合い、一畳半の幅があるダイニングのちょうど三分の二の長さは、キッチンへの出入りや、左右にある浴室や寝室のドアを開ける時の邪魔にならない。


 費用は端材で作ったので三千円足らず。端材コーナーには同じサイズのマホガニー材やヒノキ材もあったが、そっちは値段が高すぎて、価格より木工ではほぼ素人の小熊が手を出すには難しい材料だと思い、尻込みしてしまった。

 とはいえ礼子のログハウスで嗅ぎ慣れた杉材の匂いは嫌いじゃないし、今後バーに理想的な木を見つけたら作り直せばいい。

 幅三十センチのテーブルは大皿を載せる時などやや狭っ苦しいかなと思ったが、それは木材を買い足して二段構造にするなど、実際に使ってみたあとで改善していったほうが、より良くできる。こういう拡張性も、木造家屋と手製家具の魅力。


 スツール替わりに来客用として持っていた丸椅子を二つ並べ、わざわざ蛍光灯のシーリングランプを外し、勉強机で使っていたスポットライトを天井に向けて取り付けて間接照明っぽくして、作業を一段落させた小熊は、一度玄関から薄暗い屋外に出て、それからもう一度玄関ドアを開いた。

 小熊の視界に広がるのは、白熱球の明かりが木の柱や砂壁、そして杉無垢材のカウンターテーブルを優しく照らすバーの景色。

 これから大学やバイト、あるいはその先の就職で忙しい日々を過ごしても、家に帰るとバーがあるというだけで、きっと毎日幸せな気分になれる。いつか自分がこの家に誰かを招く時が来たなら、その人も同じ事を思ってくれるだろうか。


 バーに生まれ変わったダイニングキッチンで、バーテンとなった小熊は食事の支度をして、出来上がったカツカレーとポテトサラダ、冷たい炭酸水をカウンターデスクに置く。

 カウンターの向こうに回って客となった小熊は、スツールに腰掛けて夕食の時間を過ごした。

 昨日作った物を温め直しただけのカレーと惣菜のチキンカツ、レタスとタマネギだけのサラダ、そして食後の炭酸水。

 もう今まで何度食べたかわからない平凡な夕食が、とても美味かった。

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