第8話 テーブル
一晩明けて、日の出と共に起きた小熊は、明るい陽の下で改めてコンテナを理想的なガレージに作り変える計画を開始した。
嵩上げされたコンテナにカブを運び入れられないという問題は、敷地内に打ち捨てられていたコンクリート製の段差スロープ二つであっさり解決出来た。
同じく敷地内にあったコンクリートブロックをコンテナの手前に置き、その上に段差スロープを乗せる。あとはもう一つの段差スロープをブロックの前に置けば、カブを押し上げる傾斜が出来上がる。
もしかして前の住人も、このコンテナをバイクか自転車の保管場所にしていたのかもしれない。とりあえず何も無いコンテナの中にカブが置かれたことで、小熊のガレージ作りは最初の第一歩を踏み出した。
続いて工具を運び入れる。カブを手に入れて間もなく千円の工具キットを買って以来、高校時代にリサイクルショップや解体屋でこまめに買い集めた工具が、同じく中古の二段チェスト式工具箱に納まっていた。
中身はまだ多くないが。箱そのものの重さを含めると二十kg近くあるスチールの工具箱を、コンテナの床に置く。
続いてカブの予備部品や、消耗品交換で外したがまだ予備として使える部品を入れたプラスティック製の採集ボックスを運び入れ、ホームセンターオリジナルブランドのドリルとサンダー等の電動工具、百均のドリル刃やサンダーディスクを入れた色違いの採集ボックスを重ねて置く
三つ目の箱もまた採集ボックス。エンジンオイルやケミカルスプレー、ハンドクリーナーなどが入っている。
農家で作物の収穫やゴミの収集に使われ、カブの後部に付けられている様をよく見かける採集ボックスは便利で、小熊は山梨で暮らしていた頃に、近くの農協で不要になった採集ボックスを四つほど貰って来ていた。一つは礼子にあげた。
作業中に椅子として使う蓋つきのバケツを持ち込んだところで、小熊が現在、カブの維持に必要としている物の設置は終わってしまった。
作業灯で照らされた。奥行き六mの広いコンテナに、カブ一台と工具箱と椅子。それから箱が三つ。何とも淋しく、小熊が理想としていたガレージにはほど遠い風景だったが、これしか持っていないのだからしょうがない。
運び入れを一通り終えた小熊は、コンテナを出た。早朝に作業を始めたせいか、時間はまだ世間の人たちが朝食を摂っている頃。
小熊も空腹を自覚したので、とりあえずコンテナの扉を閉じ、木造平屋に戻って何か食べる事にした。
簡単に出来る物で済ませるべく、冷蔵庫を開ける。夕べ作った後で冷まし、鍋ごと放り込んだカレーがあったので、今朝は蕎麦にカレーをかけたカレー南蛮にしようと思って少し迷い、やっぱりうどんを手に取る。
高校三年生の夏に、クロスカブで富士山を登るという雑誌企画に協力した縁で交流を持つ事となったバイク雑誌関係者から、ホンダの工場では金曜の昼にカレーうどんが出ると聞いたことがあった。
工場でスーパーカブやその他のバイクを組み立てる作業員の人たちは、翌日に休日を控えた金曜日にカレーうどんを食べ、ホンダ社特有の白い作業ツナギをどうせ今日の作業を終えればクリーニングに出すからと心置きなくカレーで汚すらしい。
ホンダ開発によって関係者のみに販売されているレトルトのホンダ工場特製カレーうどんは、小熊も雑誌社の人に貰って食べたが大層な美味だった。
今日は金曜日では無いが、作業が行き詰まり気味な時は、ゲンを担ぐというのも悪くない。そこから巡らせる色々な想像が、なにがしかのヒントを与えてくれる事もある。
キッチンで小鍋に湯を沸かして鰹節でダシを取り、冷たいカレーを入れて醤油と酒を少し足し、煮込んだ。別の鍋で茹でていたうどんを丼に落とし、和風味に仕立て直したカレーをかける。
冷凍の刻みネギを入れて出来上がったカレーうどんをダイニングテーブルに置き、グラスに冷たい麦茶を注ぐ。
普段はラジオを点けるところだが、今日はスマホで色々なバイク愛好家がネットにアップロードしているガレージの画像を見ながらカレ-うどんを食べた。
思ったより美味だったカレーうどんと、飲んでから水道水で作ったのは失敗だったと思った麦茶の朝食を済ませ、デザートのリンゴを齧ったところで、小熊は自分がホンダのサービスマンではなく、一介のエンドユーザーである事を思い出した。
朝起きてパジャマを脱ぎ、シャワーを浴びてからずっと着ている一張羅のデニムに、カレーの染みがついていた。
元より作業服のようなものだと思って着ているLeeのデニムジャケット。今までオイルや血で汚したコットンデニムにカレーの汚れなどついても洗濯すればいいだけの事だが、カレーの汁はダイニングテーブルにまで飛び散っていた。
礼子のログハウスにあった2by4木材と建築ボルトで小熊が自作したテーブルは、杉の無垢材を塗装や表面処理することなくそのまま使っているので、カレーの染みがそのまま残ってしまう。
今ついたカレーの汚れだけでなく、椎がつけた醤油の染みや、礼子が半田コテを放り出した焼け焦げの残ったテーブルをしばらく眺めていた小熊は、何かに閃き、食後の休憩や食器洗いもそこそこに、立ち上がってテーブルを持ち上げた。
畳半分ほどの大きさで、一人暮らしの食事用には少し広すぎるダイニングテーブルはそれなりに重かったが、力をふり絞って屋外に運び出し、そのままコンテナの中に入れる。
淡い橙色の白熱球に照らされたコンテナに、分厚い木製のテーブルが置かれた。
続いて寝室の勉強机前にあった回転椅子を持って来た小熊は、テーブルを撫でながら呟いた。
「前からお前は、こっちのほうが似合うと思っていた」
ネットに公開されている、各オーナー自慢のガレージにあって自分のコンテナに無い物は何なのか、小熊は考えていたが、朝食の食卓を見て気づいた、それはバイクの整備でも頻繁に行う、細かい作業や調整を行う作業机、そして整備し磨き上げた自分の愛車を眺めながらお茶を飲むテーブル。
ダイニングテーブルはその二つを兼ねられる。堅牢な建築用木材で作られているから、かなり手荒い扱いに耐える事は、同じく2by4材のテーブルを使っている礼子が証明しているし、何も塗装せず自然のまま紋様と木の香りが楽しめる杉無垢材には、紙コップや缶じゃない陶器のカップに丁寧に淹れたコーヒーがよく似合う事は椎が教えてくれた。
殺風景なコンテナ内が、テーブルデスクと椅子を足しただけでガレージとしての体裁を成した気がした。ただ置いただけの工具箱やプラスティックケースも、カブと作業デスクの間に生まれる動線に沿って配置し直したしたところ、たちまち機能的に見えてくる。
作業が一段落ついたところで、朝食後のコーヒーを飲んでいない事を思い出した小熊は、コンテナを出て家に戻り、パーコレーターでコーヒーを沸かす。
煮出されたコーヒーを、家にあるカップの中で一番上等なファイアーキングのダイナーマグに注ぎ、マグ片手にコンテナまで行った小熊は、デスク前の椅子に座りながらコーヒーを飲んだ。
小熊は満足感を覚えていた。特に大きな出費をする事も無くガレージを最適化出来た事も嬉しいが、何より小熊が高校の頃に知り合い、後輩ながら小熊に最も影響を与えた恵庭慧海がいつも重んじていた、物事の適材適所を最善の形で実行する事が出来たという事実がコーヒーを美味しくさせてくれる。
満悦した小熊は、ダイニングテーブルの無い家には、昼食を食べる場所が無い事に気づいたが、それは何とかなるだろうと思った。
生活の中で充実した食事の時間は大事だが、バイクとそれを楽しむ環境は何よりも優先されるべき。
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