第9話 最初のターゲット
おそるおそる廊下に出ると、すこぶる不機嫌そうな顔で壁にもたれている赤い髪の男子学生と目が合った。ギル……ギルなんとか、だったはず。でも苗字はもう覚えた。クリムゾンレッドのクリムゾン。色の名前はやっぱりわかりやすくていい。
クリムゾンは顎でしゃくると背を向けて歩き始めた。ついてこいということらしい。感じが悪い奴だ。
目立つ赤髪とその後ろに囚人のようについていく小柄な男子学生は傍から見るとどう映っているのだろう。とにかく視線を集めまくっていた。
「おい、ハルク・レングル」
「……何か、御用でも?」
「御用でも、だぁ? は、ははっ、はははっ……」
腹を抱えて笑い始めた、と思ったら突然動きを止めてこちらを睨みつける。
「ふざけるなよ。お前、俺のことをバカにしてんだろ!」
「いやいやいや、そんなつもりはまったく」
冷静に返事をしながら内心冷や汗をだらだら流して焦りまくっていた。
なんでそんな話になる!? 馬鹿にするとか何とかの前に、そもそもわたしはあなたのことを全く知らないんですけど!
大きく左右に首を振るわたしを腕を組んで険しい顔でじっと見ている。
「今までクラストップを取っていなかったのはわざとだったんじゃねえのか?」
「ま、まっさかあ。今回はたまたま、たまたまですよ。そういうこともあると思いますよ?」
「たまたまで俺より良い点が取れると」
平和な雰囲気にしようと思ったのに、ぎろりと鋭く睨めつけられた。むしろ気分を害してしまったらしい。……面倒くさい。
「思えば、お前は毎回平均ギリギリを狙ったように取ってたな」
「それこそ偶然じゃ……」
「いっつも俯いてちらりとも視線が合わないのに、お前、答案返却のときだけこっちを見てたよな。気味の悪い薄ら笑いをしながら」
「…………えー……」
ぐるりと目を泳がせるしかなかった。
ハルク!? 何してんのまじで! わたしでもわかるよ、絶対全部わざとじゃん。できるけどしてないんですよって言ってるようなもんじゃん。そんな状態で突然良い点取ったら、やる気になったらお前なんて目じゃないんだよって挑発した感じになる……うん、これは確実にそうなってるな!?
あーあ。本当にあーあだよ!
ハルクがあんな反応をした意味がやっとちゃんとわかった。あのねえハルク、言葉は汚いけど自分のケツを人に拭かせるのはどうかと思うよわたしは。
「ほ、ほら、もしかしたらカンニングとかかも」
「どうしてカンニングでトップが取れんだよ、おかしいだろ。下手な言い逃れはやめろ。そもそも俺がカンニングに負けるわけがねえ」
思わず口の端から、「うわあ」とほんの小さな声でこぼしてしまった。仕方がないからもう自ら罪を作り出そうとしたのに、まったく効果がない。悪い意味でプライドが高い。
「次の試験で勝負しろ。合計点が高い方が勝ちだ」
「なんでそんなことに付き合わなきゃいけないの……じゃない」
おっと、と口を手で押さえる。思わず苛立ちがそのまま出てしまった。激昂してお腰に提げた剣でうっかり刺されでもしたらたまったものではない。
「賭けだ」
クリムゾンはくだらないことを言い始めた。嫌な予感しかしない。だって、まさかこれで負けた方ジュースおごりな! とか可愛い展開になるはずがないのはわかっている。
「俺が勝ったらお前が一番屈辱的なことをしてやる」
ほらあ出た! よくわからん賭け!
「負ければ俺は退学する。お前の前から消えてやろう」
「退学……ですかぁ……」
なんかすごいドヤ顔で言われたもののまったくピンと来ない。へぇ、というか。なんとなく察するに、名門校――入学すること自体が難しいとか、出た後良い暮らしが保証されているとか、そんなところだろうか。このゲームについても、もちろんこの学園に関しても詳しく知らない自分としては在学していることに何のありがたみもないのだけれど。
「俺がここまで言ってるんだ。当然、やるよな?」
うーん、激しく反りが合わない予感しかしない。ちょっと、というかかなりイラッとしてきた。長く息を吐いて気持ちを落ち着かせようと試みる。
試みて、失敗した。
「えーと、あなたが退学なんかして、ぼくに何か利点があるんですか? だってその言い方、あるって思ってるってことですよね?」
「……は?」
虚をつかれたようにクリムゾンは目を見開く。その表情にとうとうぷっつんと何かが切れた。
「自分の価値を高く見積もり過ぎなのでは?」
一番腹が立っているのはここだった。普通、賭けの条件は対等にすべきだ。対等に思って接しているのなら。それに一方的に押し付けようとするなんて。
つまり、こいつは……こいつも、ハルクを下に見ているということで。一体何様のつもりなのだろうか。
勢いのまま、ずい、とクリムゾンの方へ踏み込み、鼻先に指を突きつける。
「別にあなたの進退はぼくには関係ないですよね。たかが退学する程度のことをドヤ顔で言われても知ったこっちゃないんですよ。勝手にやってろ、くらいにしか思えませんから!」
負けたら何をされるかわかったものではないのに、勝ったところで退学なんてことをされても釣り合って無さすぎるというか、こちらには何の利点も――
そこまで考えたところではっと我に返る。
……あるな? めっちゃあるな?
退学してくれたらマリアの周りからいなくなる。そうしたら願ったり叶ったりじゃん、超穏便! あぶなっ、貴重な機会を感情に任せて自分で潰すところだった!
できるだけ自然に手を収めて距離を取り、こほん、と咳払いする。
「まあ……思えませんけど、仕方ないのでそれでもいいですよ」
こちらの反応の変わりように怪訝な顔をするクリムゾンに向かって、できるだけ腹が立つように笑顔を浮かべた。
「勝てばいいだけなので」
「……はっ、そうかよ。お前、思ったより歯応えありそうな奴で良かったぜ」
彼もにやりと口角を上げる。うまく誤魔化せたようだ。挑発に乗りやすくて助かった。
「ホラ、じゃあここにサインしろ」
ブレザーのポケットから出されたのは四角に折られた白い紙。パチンと指を鳴らすと彼の手から離れ、宙に浮く。じわ、と小さな黒い染みが現れたかと思うと、一気に字が刻まれた。
契約者、ギルバート・クリムゾン。その下の欄が空いている。
「これはまさか、魔法の契約書……!」
ぽかんと口を開けてしまった。すっごい。魔法やっぱりすっごい。
「そりゃあ、口約束は信じられねぇからな」
わたしが驚いた理由を勘違いしたらしいクリムゾンが言う。それはこちらだって同意だ。
小さく頷いてサインした。ハルク・レングル。ハルクの名前だけれど、それを背負っているのは今はわたし。大変不本意ながら。
ギルバート・クリムゾン。
もう覚えた。記念すべき最初のターゲットだ。
「試験日程はそろそろ張り出される頃だろ。せいぜい真面目に勉強しておくこった」
相変わらずセリフと見た目が合わない。クリムゾンは踵を返すと赤い髪を揺らしながら遠ざかっていく。その姿が角を曲がって消えるまで見送ってから、ぐったりと壁にもたれかかった。ずるずると背中を擦りながらしゃがみこむ。
冷静になって考えると、本当にろくなことになっていない。勝てればもちろんそれでいいけれど、勝てなかった場合はどうなる? やっぱり殺られる? あんだけ言ったら腹立ててるだろうしなあ……
もう、腹を括って頑張るしかない、のだろう。
「ハルク!」
ぱたぱたと近づいてくる足音と共に、馴染みのある声が聞こえてきた。顔を上げれば、やっぱり見えたのはストロベリーブロンドの縦ロール。
「大丈夫っ、何もされてない!?」
侯爵令嬢ともあろう人が躊躇いもなく地面に膝をついてこちらを覗き込む。ぺたぺたと頬を撫でてきてあまりに必死な顔をするものだから、こっそり笑ってしまった。
やっぱりこの2人は、特別な間柄なのだろう、と。
「ごめんなさい、あの場でついて行くわけにはいかなくて……」
「ううん。エリザベートは、いつもぼくを守ってくれてた。いつもいつも、もらってばかりだった」
ハルクが日記に書いていた言葉をなぞる。本当はハルクが直接言いたかったはずの言葉。
「そんなの、あなたは気にしなくていいのよ」
じっとヘーゼルの瞳がこちらを見つめてきたけれど、それに首を振った。今度は、晴香として。
ハルクと晴香。2人になったから、きっと今まで通りにはいかせない。これまでとは違うはず。
まだ何もわからないままだけれど、どうにかできる。どうにかしてみせる。
笑った
脇役で嫌われ者の悪役令嬢の腰巾着に転生したのになぜかヒロインよりヒロインしてます 花咲夕慕 @yupho
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