第8話 ギルバート・クリムゾン
翌朝、早く起きて身支度を済ませたわたしはブローチに向かって声をかけた。根気強く何度か繰り返すと、やっとむにゃむにゃと寝ぼけた声が聞こえてくる。
“……ああ、ハルカ。おはよう”
「あんたね、普通3分しか無理とかそういう大事なことは何より先に言っとかない?」
“いや、ごめんごめん”
一応謝ってはいるもののまるで悪びれる様子がない。声も話し方も全然違うけれど、この適当具合にどことなく花の面影を感じる。
「もう大事なことから聞くことにするから。あいつっていうのは誰? その人が『ハルク』を狙ってるってことでしょ? で、殺らなきゃ殺られると」
“世の中知らない方がいいこともあると思うけどなあ”
「わたし2回も死にたくないの。確かに一回目は間抜けすぎる死に方したけど、だからこそ回避できる死は回避したいの。ね、ね?」
“わかったわかった、近い”
ブローチがぷるぷると震えた。
“まあ、聞かなくても、嫌でもそのうちわかると思うけど――”
「い、い、か、ら」
“……あいつっていうのはマリアのことだよ。マリア・ルーナー”
「マリア……!?」
マリア。あいがくのヒロインだ。学園ではエリザベートにきつく当られている。……エリザベートに? そうだ、確か日記にもそんなことが書いてあったような。
ゲームでのヒロインが
“その様子だと、ハルカはまだ何もされてないみたいだね。違和感を感じて警戒してるのかも”
「えーっと、待ってよ? じゃあもしかして、あいつらっていうのはマリアとマリアを取り囲んでるイケメンたちのこと……? お、男は無理だよさすがに。絶対勝てない」
“そりゃそうだろうね”
「で、でもメインはマリアなんでしょ? 男たちは相手にする必要はないんじゃないの?」
“こっちはそうでも残念ながら向こうはそうじゃない。マリアになにかしようとしたら勝手に出てくると思うよ”
「……穏便に事は済まない感じですかね」
“済まないと思うよ。済むならぼくもこんなことになってないし。まあそんなに心配しなくても大丈夫、ぼくもできるかぎりはサポートするから。一日合計3分だけど”
「燃費が悪すぎる……」
げんなりと呻いたところで、朝ご飯に呼ばれた。いったいどうなることやらと不安はたくさんあるけれど、もうすっかり気に入ってしまったハレイルーヌ家の朝食をゆっくり味わうために足早に部屋を出た。
* * *
「エリザベート様、ごきげんようですー!」
「今日もお綺麗ですわあ!」
この双子の声から学園の一日が始まる。未だにルルララの区別はついていないし、毎度心無い扱いを受けている。3人の目を盗んでこっそりブレザーの内ポケットに入れていたブローチを取り出す。
「ねえハルク、どっちがルルでどっちがララ?」
“白いほうがルル。鬱陶しい方。ていうかぼく3分しか活動できないんだからこんなくだらないことで呼ばないでよ”
ハルクにとってはあの2人に虐げられていることは大して問題では無かったらしい。だからこのまま放置していたのか。
“あと言い忘れてたけど、ブローチは外では出さないように。別に見えなくても話せるし。これは誰にも見られちゃいけない。見られたら死ぬと思って”
「なんで!?」
“死んでもいいなら好きにすればいいけど”
「……わ、わかった……」
ブローチをすぐにポケットの中に隠した。こわっ。ハルク、なんか爆弾過ぎないかな。悪役令嬢の腰巾着なんて本来もっとモブっぽいキャラだと思うんですけど。
ルルララと別れ、毎日の如くよそよそしい空気の中教室に入る。SHRが終わり、特にすることもないのでぼーっとしていると一時間目の授業が始まった。眼鏡のきつそうな女教師。数学の担当だ。
「今日は、先週のテストの結果をお返し致します」
“……テスト?”
ハルクが胸ポケットの中で何やら不審そうに呟いた。授業中なので反応することもできず聞き流す。
皆が出席番号順に前に取りに行き始めた。何人目か、赤い頭が目立つ男子学生が立ったのでついそれを目で追う。名前は相変わらず出てこない。けれどあの赤いのもマリアの攻略対象のはずだから、イコールハルクの――わたしの敵なのだ。改めてじっくりと姿を確認する。つんつんと立ち気味の短めの赤髪に、男性にしては大きな赤い瞳。特別彫りが深いわけではないが、はっきりとした顔立ちのイケメンだ。活発そうな、恐らく元の世界ならパリピとやらに分類されるタイプの人間。このお金持ち学校で腰パンだし。浮いてるったらありゃしない。
「ギルバート・クリムゾン、あなたは今回も優秀した。流石ですね。96点です」
「!?」
思わず立ち上がりかけてぐっと堪えた。
……嘘じゃん、そんなキャラの見た目じゃなくない? ギャップ萌えか、制作陣はギャップ萌えを狙ったのか? そうじゃなかったらキャラデザミスレベルだぞこれ。まだもう一人の青いイケメンとかの方がそれっぽい。
「……」
しかも96点で不満そうだ。むっつりと若干膨れて席に戻っていく。
「ハルク・レングル」
「はっ、はい」
動揺している間に自分の順番が回ってきた。ぎこちない動きで答案を受け取ろうとする――と、先生がひょいとそれを取り上げた。
「ハルク・レングル。私はとても嬉しいのです。あなたはやればできる生徒だと信じておりました」
何やら大仰なことを言われているような気がするが、よくわからないままやっと答案を受け取る。とりあえず今まで影薄くやってきたんだから目立たせないで欲しい。
「98点。クラストップです」
その言葉に教室がにわかにざわめいた。後ろを振り返るのが怖い。
何その反応。え、どういうこと? ハルクって秀才キャラじゃないの?
“あーあ、やっちゃった”
ブレザーの中からハルクの声がした。教室中がうるさいので周りの人には聞こえていないようだ。こちらも小声で囁く。
「ちょっと、ハルク頭良いんじゃないの? 部屋とか、難しそうな本いっぱいあったじゃん!」
“『ハルク』は何もできないんだよ。そうやって過ごしてきたんだから”
ハルクは随分他人行儀に自分の名前を呼んだ。
「そういうことは早く言ってよ……!」
“だってハルカ馬鹿そうだったから、言わなくても大丈夫かなって”
「なにおう!」
ハルクは愉快そうに小さく笑ったきり何も言わなくなった。言い逃げができるのはずるい。仕方がないのでそのままひとまず授業を受けるしかなかった。終了のチャイムが鳴って先生が出ていくと、明らかに皆の視線がこちらを向く。
そんなにか。そんなにできないふりをしていたのか。
……うん、ちょっとわたし、お手洗にでも行こうかな?
居心地が悪過ぎるので席を立とうとしたところでバンと強く机を叩かれた。
「おい」
視界に入る腰パン。誰なのか嫌でもわかった。初めて聞いた声がそれって嫌すぎるんですけど。頭ごと視線を落として俯いていると、苛立たしそうにこんこんと指先で机を弾かれる。
「ちょっと来い」
返事をしないわたしに痺れを切らしたのか、そう言って教室を出ていった。
“あーあ”
再び愉しそうにハルクが言うので、ブレザーの上から小突く。
「あーあじゃないよ! どうすればいいの!? こ、殺される!」
“行くしかないんじゃない? 大丈夫だって、さすがに校内でそんなことはしないと思うよ”
「そっ、そうだよね? たかがテストの点くらいでね?」
“……”
「なんでそこで黙るの!?」
しかもよく考えたら、しないと『思う』って言いましたよね。怖いんだけど。
“ちなみに今日はもう活動限界だから、あとは頑張って”
「え、ちょ、ちょっと困る!」
しかしブローチから声が返ることはもうなかった。「ああああもう!」と叫んで立ち上がると、近くに座っているクラスメイトがこちらを不気味そうに見てくる。喋ったこともないのにそんな顔しなくてもいいと思うんだけど。ハルクの立場を再確認して、思わずため息をこぼした。
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