第2話 明治時代の節分と紀元節

司会二人の紹介→https://kakuyomu.jp/works/1177354054892641004/episodes/1177354054892641022


金子堅太郎かねこけんたろう「2月と言えば」

伊東巳代治いとうみよじ紀元節きげんせつ

堅太郎「……節分とかバレンタインじゃないの?」


巳代治「節分は宮中でやっていた追儺ついなとか鬼やらいの話をしないといけないし……。元々は太陰暦たいいんれきだから年末行事だったとか説明するの面倒で」

堅太郎「明治より前から話さないといけないからか」


巳代治「あ、そうだ。明治になると外国人が増えるから、外国人から見たら節分はすごく不思議な風習に見えたって聞くね」

堅太郎「小泉八雲こいずみやくもの本に書かれていたものね。悪魔払いの行事で、どういう道理どうりかわからないけれど、悪魔は白豆しろまめを好かないらしいって」


巳代治「明治の頃だと、地方による差も大きかっただろうしね。僕は長崎の生まれだけど、モットモじいがやってきたり、福娘ふくむすめが「鬼は内」を言うとかあったし。恵方巻きじゃなくてカナガラシとかイカ食べたりだし」

堅太郎「各地の話まで含めるとすごく長くなりそうだよね。って、結局、節分の話をしちゃったね」


巳代治「そういうわけで明治の2月のイベントといえば『紀元節きげんせつ』です。今、この日は建国記念の日になっています」

堅太郎「初代天皇である神武天皇じんむてんのうの即位日ということで、明治6年から祝日になりました。『紀元きげん』というのは『神武天皇即位紀元じんむてんのうそくいきげん』ということです。この即位の年を起点にして『皇紀こうき』と呼ばれるものが出来ます」


巳代治「古典に詳しい人が言うには本当の即位日はその日じゃないとか、本当の日は明治天皇陛下の父君である孝明天皇陛下こうめいてんのうへいかのお誕生日と被るから日をずらしたとか、まぁ色んな説があるんだけど、ひとまず2月11日が神武天皇の即位日だから祝日となったのです」


堅太郎「『紀元』は江戸幕府の幕臣であり、福澤諭吉さんや森有礼もりありのりさんと一緒に『明六社めいろくしゃ』という啓蒙学術団体けいもうがくじゅつだんたいをしていた津田真道つだまみちという岡山の人が提案したものです。イスラームのヒジュラ紀元とかキリスト教の西暦とかあるんだから、日本独自の物を作ろうって」


巳代治「でも、正直、そんな使わなかったよね。条約とか証書とかには明治と皇紀を一緒に書いたけど、ものすごく重要な文書でもない限り、書かないし。僕も日記には明治〇年、とか書いてたよ」

堅太郎「政府のお知らせである官報かんぽうとかも明治〇年〇号って感じだったものね」

巳代治「今、手元に明治17年の東京日日新聞があるだけど、新聞もそんな感じ。明治17年12月16日火曜日 東京日日新聞 第3908号。皇紀こうきとかそういう表記はないよね」


堅太郎「皇紀がー! って激しくなるのは戦前あたりかなぁ。昭和の初期あたりにも出てきた気がするけど」

巳代治「大正時代になると紀元節祭きげんせつまつりというのが全国の神社で行われるようになります。今も建国祭としてお祝いしてる神社もあるね」


堅太郎「そして、明治22年のこの日に! 大日本帝国憲法が発布されました! もうお疲れさまー! って感じだったよね」

巳代治「原稿明けの作家みたいなノリだけど、憲法作るって話が始まって、陛下が明治9年に詔を出されて、1年間缶詰して……だったからね。まさにそのノリ」


堅太郎「発布したら終わりじゃなくて『憲法義解けんぽうぎげ』作ったり大変だったんだけどね」

巳代治「『憲法義解』というのは憲法の解説書です。井上毅さんが書いて、僕が英訳して、金子君がそれを欧米に持って行きました」

堅太郎「そのあたりはまた今度で。それでは~」

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