第5話 明治時代と北方領土

伊東巳代治いとうみよじ「2月7日は『北方領土の日』です。北方領土とは択捉島えとろふとう国後島くなしりとう色丹島しこたんとう歯舞群島はぼまいしょとうの四島のことです」

金子堅太郎かねこけんたろう「なぜ2月7日かというと、この日が江戸幕府と帝政ロシアが『日露和親条約にちろわしんじょうやく』を結んだ、日本とロシアが初めて国境の取り決めをした日だからです」


巳代治「この江戸幕府の結んだ条約では、択捉島と得撫島うるっぷとうの間が国境線となりました」

堅太郎「明治8年には『樺太からふと千島交換条約ちしまこうかんじょうやく』が結ばれます。この条約で日露和親条約で引かれた国境線が伸び、それまで択捉島までだった領土が北へ伸び、得撫島うるっぷとうから占守島しゅむしゅとうまでが我が国のものとなります」


巳代治「択捉島えとろふとうが北方領土で一番大きな島です。東京都の1.5倍の広さがあります。散布山ちりっぷやま神威岳かむいだけなどの山があり、明治16年には三番目に大きい山である茂世路岳もよろだけが噴火しました」

堅太郎「押井守監督のアニメ映画『イノセンス』では択捉経済特区という舞台が出て来るので、それで名前を知った人もいるかもしれませんね」


巳代治「二番目に大きな島は国後島くなしりとう。沖縄本島より大きな島です。羅臼らうす知床しれとこからは肉眼で見ることが出来ます。街のレストランとかにも国後島が見えます書いてあって、ちょっと高い建物からでも天気がいいと見えたりします」

堅太郎「国後はこの地に住んでいたアイヌの人たちが『クナシル』と読んでいたことから国後になりました。ちなみに択捉島はアイヌ語の『エトゥヲロプ』岬のある場所が語源だそうです」


巳代治「色丹島しこたんとうは明治初期に変わった歴史を送ります。明治維新の後すぐに徳島藩内で『稲田騒動』という問題が起き、その騒動の中心、徳島藩筆頭家老・稲田邦植いなだ くにたねに開拓を命じるという形で色丹島が与えられます」

堅太郎「岩倉具視いわくらともみさんに稲田家家臣が嘆願してたんだよね。そして、士族編入を認める代わりに北海道移住を命じるということに」


巳代治「明治維新後は、藩が佐幕派だったりすると、元武士でも士族ではなく平民にされました。徳島藩は佐幕だったのだけど、稲田家は新政府側についたから、それなのにどうして! と稲田家家臣としては納得できず、士族にしてくれと嘆願していたわけです」

堅太郎「ちょっとすると廃藩置県で色丹島は開拓使の管轄に戻るんだけどね。徳島から北海道に移った人たちの足跡は今も日高のあたりで見られます」


巳代治「歯舞諸島はぼまいしょとうもアイヌ語の『ハアプオマイ』が元で、歯舞群島は5つの島からなっています」

堅太郎「水晶島すいしょうとう秋勇留島あきゆりとう勇留島ゆりとう志発島しぼつとう多楽島たらくとうの5つです。この内、水晶島がもっとも根室半島に近い島となっています」


堅太郎「行ったなぁ……千島列島」

巳代治「金子君、千島列島行ったことあったの?」

堅太郎「あるよ。北海道開拓の視察旅行の時、馬と徒歩で北海道中を数か月歩いて、千島列島まで行った。『北海道巡察報告書』の中に千島警備のこともちゃんと書いたよ。それだけ明治の中央政府は千島列島を重視していたってことだね」

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