第6話 明治時代のお金持ち

金子堅太郎かねこけんたろう「ところでさ、みよみよ」

伊東巳代治いとうみよじ「その呼び方やめて!? どうして思い出しちゃったの!」


堅太郎「1900年(明治33年)発売の『当世活人画』が家から出てきたんだよ。そしたら『人は巳代巳代みよみよと口に軽んずれども、野に在れば野に在りとて又政界の策士と重視せらる』って。人が呼んでるなら身近だった僕もみよみよ呼ぶのがいいかなあと」


巳代治「やめて、僕のイメージが崩れるから。ほら、それより今回のお題!」


堅太郎「今回は『明治のお金持ちはどれくらいお金持ちか』です」

巳代治「藩閥の人たちはお金持ちだった~とか言われても、どれくらいお金持ちか想像がしづらいと思うので、今日はリアルな数字で行きたいと思います」


堅太郎「参考資料として伊藤之雄いとうゆきお先生が2019年7月に出版された『大隈重信「巨人」が夢見たもの』をお借りします。大隈さんは薩長閥の人じゃないけど、まあ同じくらいの人ってことで」


巳代治「1895年(明治28年)8月9日の『読売新聞』によると、早稲田の大隈重信さんの一ヶ月の生活費は1500円(現在の3400万円)だそうです」

堅太郎「これを見た時、この文を書いてる人は(一ヶ月……?誤植……?)と悩んだそうです。失礼ですね、気鋭の近代政治史家である京都大学名誉教授に対して」


巳代治「まぁ、なぜそんな驚いたかというと、庶民の生活とあまりに違うから。明治30年ごろ、石川島造船所、今のIHIで男性労働者が1日10~11時間働いても日給は30~35銭だったんだ」

堅太郎「20日働いて30銭×20日=600銭として、1円=100銭だから月収6円くらいだね。大隈さんの生活費は庶民の月収の250倍と言うことになります。でも、大隈さんの生活費は当時の大臣たちと比べて特別多いわけではないそうです」


巳代治「続いて、大隈さんの家の収支を見てみましょう。早稲田大学大学史料センターに所蔵されている『大隈重信関係文書』によると、大隈さんの収入は15462円支出が14653円」


堅太郎「大隈さんが亡くなった時の『読売新聞』の報道によると、大隈さんの財産は土地などの不動産価格だけで概算で1948000円(現在の73億8000万円)だそうです。他にも株券などの有価証券とか動産とか加えるとどれくらいになるかわかりません」


巳代治「こういうのは何で得られてるかというと、政府から無料で下賜された土地を売って儲けたり、開発の先を見越して土地を買ったり……などなど立場を使って、資産の種になるものが得られるからです」

堅太郎「大隈さんは庶民派言われてたけど、すごく蓄財の上手な人だったから、もしかしたら、かなり稼いだ人の例かもだけどね」


巳代治「まぁ大体みんな庶民派とかはイメージで語ってるものだよ。原敬なんかも『平民宰相』って教科書に載ってるけど、原の家は盛岡藩の家老だったから全然平民じゃないし」

堅太郎「原くんが平民だったのは、戸主になれば兵役逃れ出来るからそれで分籍したから平民になったとも言われてたね」


巳代治「話をお金に戻すと、原の後妻さんは実家が貧しくて、80円の借金のかたに売られて芸妓となったって聞くね」

堅太郎「地方は藩がなくなったり、政権が変わった影響で貧しくて、そういう身売りがあったね。そうならないように太政官布告を出して、明治の中期には軽工業技能や教育を女性たちに行ったのだけど……」


巳代治「また違う話になりそうなので、ひとまずここまでで」

堅太郎「そうだね。少しでも明治のお金持ちってどれくらいお金持ちで、庶民と違ったかが感じて頂けたら幸いです」

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