第8話 明治時代と箱根駅伝の出場校

金子堅太郎かねこけんたろう「あ~、箱根駅伝ドキドキする。日本大学、頑張って欲しい!」

伊東巳代治いとうみよじ「金子君、日大の初代校長だからやっぱり思い入れあるんだね」


堅太郎「ちゃんと日大のサイトにも初代校長・金子堅太郎(https://www.nihon-u.ac.jp/history/forerunner/kaneko/)ってページがあるんだよ!メインはやっぱり学祖である山田顕義さんだけどね」


巳代治「こわしさんも國學院大學と関わりがあるよね。これ書いてる人も、國學院大學図書館が出した『井上毅伝史料篇』とかずいぶんお世話になってるけど」


堅太郎「あとは明治に出来たので有名なところは大隈重信さんの早稲田大学だよね」

巳代治「今日は箱根駅伝見ながら、各大学と明治の関わりでも話していこうか」


巳代治「法政大学は明治13年に設立された東京法学社が前身で、フランス系の法律家たちが創立しました。そして、初代教頭は『日本近代法の父』ともいわれるフランスの法学者ギュスターヴ・エミール・ボアソナード氏なんだ」


堅太郎「ボアソナードさんは僕ら明治の法学者には縁の深い人だよね」

巳代治「法政大学の初代総長である梅謙次郎さんもね。記憶力のものすごくいい人で明治の民法、商法に大きく関わった。今の時代にも影響のあると言える人だよ」

堅太郎「伊藤さんは20近く年下なのに『梅先生』って尊敬してたよね」


巳代治「明治大学も同じようにフランス系の法学者たち、岸本辰雄さん、宮城浩蔵さん、矢代操さんが創設しました。明治14年に設立した明治法律学校が母体です」

堅太郎「岸本さんは僕らより年上だから戊辰戦争にも従軍してたね。司法省の学校の第一期生だった」

巳代治「宮城さんと矢代さんはボアソナードさんの弟子でした。ボアソナードさんは元々明治6年に毅さんたち司法省の官員に憲法や刑法を講義したのが縁で日本に来てるから、教えを受けた人多いよね」


堅太郎「中央大学は明治18年に英吉利法律学校という名で設立されました。法政、明治がフランス系法学者の中、中央大学は穂積陳重さんたちイギリス系の法学者18人に作られました」

巳代治「穂積家は日本の法律との関わりが深いよね。穂積陳重さんも民法起草者の一人だし、弟さんの穂積八束さんも民法典論争とか天皇主権説とかいろんなことに関わってるし」

堅太郎「八束さんは日本大学の設立にも参加してるんだよ」


堅太郎「筑波大学は法政、明治、中央よりも古い学校です。明治5年に日本で最初に設立された先生を育てる学校・東京師範学校が前身です」

巳代治「青山学院大学も古い学校だよね。キリスト教系の学校で、誰が創立者とかは無くて、横浜、築地、麻布にあった各学校が母体って感じ」

堅太郎「麻布にあった学校は明治7年開校だからかなり古いよね」


巳代治「東海大学も同じくキリスト教系な感じがあるね。創立した逓信省の官僚・松前重義くんが内村鑑三さんの教えを受けたクリスチャンだったから」

堅太郎「元々は航空科学とか電波とかの専門学校だったんだよね。1942年で太平洋戦争中の創立だから各大学よりだいぶ新しいね」


堅太郎「東洋大学は明治20年に哲学者の井上円了さんが創設した哲学の学校が大元です」

巳代治「『お化け博士』『妖怪博士』の井上さんだね。明治の頃はまだ迷信が深く信じられていて、それを井上さんはなんとかしようとしていたんだよ」

堅太郎「同時に妖怪研究の先駆けでもあります。哲学、仏教の研究と共に妖怪の本もすごい書いてました」

巳代治「井上さんは国家主義的な人だったから、政治評論団体もしていたね」


巳代治「日本体育大学は同じころに出来たのだけど、哲学の学校だった東洋大学とはまったく毛色が違う感じ。明治24年に成城學校の中に作られた體育會が起源です」

堅太郎「創立者の日高藤吉郎さんは軍人で、西南戦争に参加したときに、体力がない若者では戦場に耐えられないと痛感して、軍人となる若者の予備教育を始めたんだ」

巳代治「当時は徴兵忌避とかも多かったしね」


堅太郎「拓殖大学はその名の通り、開拓の人員育成のための学校です。拓殖学、つまり植民政策学の学校だね」

巳代治「学監(学長)だった新渡戸稲造さんは、台湾で技師として糖業を開発した人でもあったりします」


堅太郎「中央学院大学は1900年、明治31年に創立された日本橋簡易商業夜学校が起源です」

巳代治「初代校長の南岩倉具威みなみいわくらともたけ男爵はその名前からわかるように岩倉具視さんの縁者です。奥さんが岩倉具視さんの孫で、華族でした」

堅太郎「岩倉家もいろんなところに関係者がいる家だよね」

巳代治「加山雄三さんとかも岩倉家の縁者だしね」


堅太郎「駒澤大学はかな~り古いんだよね。1592年に曹洞宗が設立した学寮が元だから」

巳代治「1592年って……何があった頃?」

堅太郎「豊臣秀吉の頃」

巳代治「古いね……」


巳代治「順天堂は江戸時代の蘭方医学塾が元です。そのため、医学校として伝統があります」

堅太郎「神奈川大学は中正堅実な青年を育成するために米田吉盛よねだよしもりさんが昭和3年に作った横浜学院が起源です。米田さんは今の桜木町~大船の根岸線の招致運動をした人なんだよ」


巳代治「東京国際大学はGHQの通訳をしていた金子泰藏かねこたいぞうさんたちが国際化の必要性を感じて作った大学です。国際化が下手すると明治より後退してる部分もあったのかもしれないね……」


堅太郎「国士舘大学は大正6年に保守系思想家の柴田徳次郎さんが創立した学校。創価大学は昭和46年に創価学会の会長・池田大作さんが創立した学校です」

巳代治「帝京大学は昭和6年に創立された商業学校が起源だね。創設というのは昭和41年みたいだけど」

堅太郎「起源も創立も沖永家の人たちだね」


巳代治「後半は大正、昭和の学校だから駆け足になっちゃったね」

堅太郎「まぁ箱根駅伝を見ている間の暇つぶしにでもなったら幸いです」


〇追記


巳代治「3日は復路だね」

堅太郎「……待って。冒頭で話しただけで、日大と國學院と早稲田の話してないことに気づいた」

巳代治「すっかり忘れてたね」


堅太郎「日本大学と國學院大學は兄弟のようなものです」

巳代治「お父さんが皇典講究所って感じ?」


堅太郎「そうだねー。学祖である山田顕義さんが皇典講究所の所長だったからね。皇典講究所は国民への神道教化のために作られた機関です。明治維新後の文明開化で欧米化が急速に進み、公用語を英語にしようとか、キリスト教の洗礼を受ける人とかが増えたので、日本古来の歴史とか思想とかも大事にしていこうよ! と作られました」


巳代治「それで明治23年に皇典講究所を母体にして教育機関として設立されたのが國學院です」

堅太郎「日大はその日本古来の法制から、これから新しく生まれる諸法典の研究のために明治22年に作られた日本法律学校が前身なんだ」


巳代治「日大と國學院が兄弟だとすると、早稲田と慶応も友達って感じかね」


堅太郎「大隈さんと福沢諭吉さんが仲良かったというか、大隈さんの後ろに福沢さんがいたって感じというか。縁が深かったよね」


巳代治「早稲田は明治十四年の政変後、下野した大隈重信さんが作りました。まぁ、その……僕らとしては色々と縁が深いよね、うん」

堅太郎「追い出した側だからね、僕ら」

(※このあたりは『明治十四年の政変と井上毅』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054893696373)をご覧ください)


巳代治「僕、実は違うところでも縁があるんだよ。早稲田は宣教師で教育者だったグイド・フルベッキ氏を建学の祖としてるんだ。佐賀藩の藩校・致遠館が僕の住んでいた長崎にあって、そこでフルベッキさんが大隈さんに英語を教えていたんだ。で、僕も長崎英語伝習所でフルベッキさんから英語を教わっていたんだよ」


堅太郎「大隈さんもそもそもは長崎英語伝習所行ってた気もするんだけど、知り合いだったの?」

巳代治「絶対にすれ違ってないとは言えないけど、大隈さんが長崎で活動してた頃、もう30手前でしょ。僕、致遠館が出来た頃、まだ10歳だから、さすがに関わりようがない気がする。声がでかいおじさんがいるなくらい思うときがあったかもだけど」


堅太郎「大隈さん声がでっかいものねー」

巳代治「で、もしかしたら、佐賀の人も顔の綺麗な子供がいるなー……と」


堅太郎「はい、それでは2020年の箱根駅伝お疲れ様でしたー。また、2020年も明治時代と今が繋がる対話型小話を書いていくと思いますので、どうぞよろしくお願いいたしますー」


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