『ハヤブサとガルダ』Part4

 *****



 彼がハヤブサと名付けられたのは、ガルダの下に弟子入りして一ヶ月くらい経ってからだった。

 行く宛がないからという理由で、後先を考えずに少年は弟子入りを望んだ。が、試用期間と称した雑用係を任された日々は、子供にはハードであった。いつも土埃まみれになって返ってくる男が、今まで一人が暮らしていた住処だ。掃除、洗濯、何をやるにしても重労働であった。

 それでも元の親とは違い、ガルダは頑張った分は見返りをくれた。と言っても褒美は貧相な具しか入っていない惣菜パンなど、町の貧しい飯屋で買ってくる安物がほとんどだ。だが、これまでと比べれば雲泥の差なのは間違いない。

 そうこうしているうちに、ガルダも少年のことを認めて、正式に教えを請うことになった。その時にハヤブサという名前を与えられた。というより、ある時急にそう呼ばれるようになったのだ。

 命名の由来を、名付けられた当人は教えられなかった。しかし元の名前よりはしっくりきたので、特に文句を言うこともなく受け入れた。

 ハヤブサは銃の腕をひたすら磨くものだと思っていたが、実際はまるで違った。筋力鍛錬、判断力の養成、潜入や張り込みなどの隠密技術の伝授、銃はその中のうちの一つに過ぎなかった。

 その中でも、ハヤブサが特に自ら興味を持った鍛錬が、変装と声帯模写だった。特に声帯模写には熱心で、毎回ガルダを騙そうとするのが楽しみだった。

 しかし流石に技術を教えた張本人だけあって、引っかかることはなかった。本人曰く、自分を最後まで騙せれば免許皆伝なのだそうだが、その道はあまりに険しかった。




 ある日、ハヤブサが住処で留守番をしていると、近所の老婆が尋ねてきた声がした。やたらと干渉してくるお節介な老婆で、ハヤブサは普段から鬱陶しそうな態度を取っていた。が、どこか懐いてしまっている部分もあった。

「おい坊っちゃん、ご主人が今おらんのだろう。腹を空かせているだろうと思って、アップルパイを作ってきたんだよ」

 一応、扉に付いたレンズを見たが、老婆は腰が曲がっているせいか、姿は見えない。

 少し不思議に思ったが、仕方ないと言いつつアップルパイの誘惑に負けたハヤブサは、玄関を開けた。

 涎を垂らしそうな顔で応じたハヤブサを待ち受けていたのは、拳銃の形をした指を向けた壮年の男だった。

「バーン、これでお前は一度死んだな」

 紙袋を片手にニヤリと笑う師を見て、ハヤブサは固まった。

「ガ、ガルダのおっさん? あの婆さんの声、おっさんか?」

「そうだよ、坊っちゃんを試すためにこっそり練習してきたんだよ」

 しわがれた声を演じるガルダに、ハヤブサは地団駄を踏んだ。

「くそ、騙された!」

「変装も、声真似も、相手を一瞬騙すためのハッタリだ。主演賞のトロフィーを指で弾けるようになるくらい、まずは自分で上手くなれ。そうすればおのずと真偽の見分け方もわかる」

 さりげなく師匠らしいことを口にしながら、ガルダは紙袋からみかんを取り出して、一人で皮を剥き始めた。そのまま住処に用意した自分のスペースに戻ろうとするので、ハヤブサは慌てて食い下がる。

「待ってくれよおっさん! アップルパイは?」

「今日は夕飯抜きだ。もう嫌なら次からは引っかかるなよ」

 呆然とする弟子を前に、師匠はこれ見よがしにみかんを頬張った。

 この時、いつか絶対に一泡吹かせると誓ったハヤブサは、六年かけて鍛錬し、ようやく師に一杯食わせたのだった。




 *****




 革のコートを着た男が、煤けた廃工場の鉄扉を開けた。両手に携えたパンパンのレジ袋には、大量の飲料が詰められていた。

 さも自身の所有物かのように鍵を開けて入っているが、彼はここの所有者ではない。というよりこの建物の所有者はとっくの昔に失踪している。

 今ここを拠点にしているのは、コヴィールというマフィアが率いる小規模組織だ。飲み物の買い出しに行っていた彼は、その下っ端に過ぎない。

「ボス、買ってきましたよ」

 元は食堂だった大部屋に、男達が数名集まっていた。今は綿埃と黒カビで不衛生極まりない空間だが、水分補給をするくらいなら気にならない程度であろう。少なくとも普段から衛生面を重視しているとは思えない彼等には。

 ボスのコヴィールは、濃い顎髭を撫でながら、コーヒーのボトルを真っ先に掴んだ。見た目に反して、今はまだ末端組織のリーダーという立場に過ぎない。が、今の地位に甘んじていられる程、コヴィールは野心のない男ではなかった。

「金の場所は吐きましたか」

「いいや。組織に属さない殺し屋ってのは、口が軽いと生きていけねぇ。ヒバカリはその中でも特に面倒な相手だ」

 と、コヴィールはコーヒーを豪快に飲み干していく。




 数ヶ月前、コヴィールが所属するマフィアの先代が逝去した。死去後に残された遺産は、現在のボスを支えろという意図を込めて、主力となる上部組織の幹部達に分配された。

 これだけなら普通の遺産分配の話になるのだが、実は先代が遺産を与えた相手は、幹部に加えて懇意にしていた殺し屋、ヒバカリだったのだ。

 先代が重宝していた殺し屋は数名存在したが、中でも特に信頼を置いて、よく仕事を依頼していたのがヒバカリだった。仕事以外で滅多に姿を見せない男だが、先代はそれでも気に入っていて、彼が若い頃から孫のように愛でていた。少なくともコヴィールはそのように聞いている。

 遺産の恩恵に預かりにくい末端組織の長は、その話を聞いて歯噛みした。それはコヴィールも同じだ。一体誰のおかげで組織に莫大な収入が集まっていると思っているのかと、奥歯が割れそうな程に悔しかった。

 その嫉妬を悟ってか、先代は直接渡すことはせず、彼専用の金庫のようなものを用意して、間接的に渡したということだ。

 手に余る程の大金を手に入れたからだろうか、ヒバカリは先代の死後は仕事を受けなくなった。あげくには、とうとうその行方すらも途絶えたのである。

 理不尽さを感じていたある日、コヴィールの部下が偶然ヒバカリの姿を目撃した。借金を踏み倒した女を追っていて、ヒバカリの住むアパートに向かうところを見かけたのだという。

 これはチャンスだと、コヴィールはヒバカリの得た遺産を横取りする計画を立てた。先代も一人あの世で過ごすのも辛かろう、これも敬愛する先代へ話し相手を贈るため物だ。そんな心にもないことを大義に掲げて。

 部下は、ヒバカリ本人だけでなく、発見のきっかけとなった女とその娘、そして協力者らしき人間を捕まえてきた。これだけ脅しの材料があれば、いずれ金の在り処は吐かざるを得なくなるはずだ。

 裏社会で生きていくには、冷酷かつ冷血、そして薄情でなければ生きていけない。しかしそんな人間でも、かけがえのない人間ができれば人としての情が目を覚ます。そもそも、先代が遺産を密かに分け与えた理由もそうだろう。

 先代といい、ヒバカリといい、今更人情ドラマを演じても何の得もないだろうに、とコヴィールは鼻で笑い飛ばした。

「そろそろ首尾を聞いてみるか」

 とつぶやきながら携帯を取ってみたが、部下から連絡がないということは答えはわかっている。

 だが、いつまでもダラダラと時間をかける気はない。先代が目にかけ、遺産まで与えた相手を、末端組織が拉致して尋問したなどと、知られたくはない。露見する前に始末して、先代が隠したとされる遺産を根こそぎ奪い取る。

 大金が入れば、密かに末端組織を大きくし、より上から認められるチャンスを作るための資金にできる。もし額が想像を絶するようなレベルなら、むしろ組織を乗っ取る力を得られるかもしれない。

 絶対死ぬことがないと言われた不死鳥とガルダという二大巨頭と呼ばれた殺し屋も、金の力で軍隊レベルの人数を集めて奇襲をかけたから潰せたのだという話だ。この世の中はどれだけ浪漫を見ても結局は金なのだ。

「おう、調子はどうだ」

「なかなか吐きません。いろいろ脅しをかけてはいるんですが」

「そうか、ならそろそろ女の指を二、三本切り飛ばすなりして脅しをかけろ。それで駄目なら、次はガキに手を付けて構わん。血塗れのガキ見ても吐かねぇようなら、俺が行く」

「わかりました、もう少しだけ時間を」

「おいおい、ぶっ続けで大丈夫か?」

「そんなヤワじゃないですよ。お任せください」

 部下の意欲溢れる返事を聞いたコヴィールは、もう少し彼に任せることとして携帯を切った。

「休憩は終わりだ。仲間があの若い奴だけとは限らん。外の見張りは増やしておけ」

 と指示を飛ばしてから、コヴィールは元は工場長が使っていた部屋へと移動した。この廃工場の中では、自室として唯一綺麗に整った場所だ。






「と、いうことらしいですよ皆様。怖いおじさん達に指をスライスされる前に、さっさと逃げようか」

 鼻ピアスが持っていた折り畳み携帯を膝で折り、ハヤブサはヒバカリ達三人を先導した。そして扉の外の様子を確認していると、不満げな声が聞こえてくる。

「何がバードウォッチャーよ。人間襲う鳥でも見に行ってるわけ?」

 シアレの母……リデの言いたいことはわかる、目が覚めてすぐに縄を自力で解き、相手を軽く返り討ちにし、あげく声真似で通話相手を欺いた。言葉にすると胡散臭さが拭えない。低級映画の主人公に、奇を衒って付けた適当な肩書きみたいになっている。

「何も聞くなとお前は言ったが、少なくとも俺は素性が何もわからないお前に、背中を預けられない」

「そんなサービスはやってないからな。まあ、背中に銃を向けられたらお返しくらいはしてやるけど?」

 と、回収した銃を見せびらかしてヒバカリを牽制をした。今のハゲタカは味方とも敵とも言い難い立ち位置だ。ひとまず今は味方のつもりだが、全て無事に終わった後の話はまだわからない。

 苦笑いしつつ牽制を含んだ答えは、リデにますます警戒心を強めさせた。今は当然ながら、冗談めかしても受け入れてくれるような状態ではない。

 彼女もまた、陽の当たる世界で育ってきた人間ではないのだろう。だから自分の身を守るために、相手が有害か無害かはっきりさせたいというのは、当然であろう。

「まあ、あんまりピリピリと睨み合うのも疲れちゃうよな。わかったよ、俺がもう一仕事してみるさ」 

 リデに空笑いで返事しつつ、まずはすぐに通路へと出る。ここは小さな地下のようで、漂う空気は湿気を含んでどんよりとしていた。

 部屋を出て数歩進むと梯子がかけてあり、それを登って地下室への扉を開けるという仕組みらしい。わざわざボスが電話してきたのも、降りるのに手間がかかるからだろう。

 扉の前まで登ったハヤブサは静かに耳を済ませる。鉄扉でないことが幸いして、見張りらしき息遣いが薄っすらと聞こえた。人数は恐らく一人、他の人間の気配がないようなので、動くなら今だ。

 ハヤブサは、髪型を少しいじくってから、突然扉を叩いた。部屋で待っているヒバカリ達が目をぎょっとさせる中、地下道への扉が少し開いた。恐らく引っ張り上げる方式で、全開にするのが面倒なのだろう。

「どうした」

「トイレに行きたい……食あたりか……」

 顔を伏せ、ハヤブサは鼻ピアスの声を真似る。

「何を食ったんだ。いいから出てこいよ」

「力が入らない……そのまま扉を開けてくれないか……?」

 相手はすんなり信じたらしく、溜息をつきながら地下室の鉄扉を引っ張り上げようとした。全開にした瞬間、見張りは瞬時に引き込まれた。

 地下に引きずり落とした見張りの背中に、ハヤブサは容赦なく伸し掛かる。体重で肺から空気を吐き出させながら、力一杯首を締め上げる。

「お、まえ、だ、れ……ぐがっ!」

「おっと、ここからは過激なシーンが始まるから、そちらのお嬢ちゃんは目と耳をしっかり塞いで」

 シアレが言う通り耳を塞いで目を閉じ、リデが覆い被さって視界を完全に隠した。それを見たハヤブサは、相手の首を全力で締め、窒息する前に首の骨をへし折った。

 始末を済ませたハヤブサは、手に付いた土埃を叩き落としてから、軽く拍手した。

「へぇ、見た目よりいい母さんじゃないか。そこらに居るクソ親より魅力的だ」

「アンタ、褒めてるのか口説いてるのかどっちなのよ。ガキのくせに生意気な口ばっかり」

「心外だな、俺はいつだって大真面目さ。さて、そろそろ外の空気を吸わないと、肺にカビが生えそうだ」

 そう戯けていたかと思うと、ハヤブサは素早く梯子に登り、外の様子を確認する。大丈夫そうだとわかると、下の面々に手招きした。

「いっそ、あの鼻ピアス野郎に化けて時間稼いでくれたらいいのに」

「俺は映画やコミックのキャラクターじゃない。こんな変装や声真似なんてあくまでハッタリ。そう思わせてるだけさ」

 確かにハヤブサは、変装や声真似を特技としている。が、フィクションのようにそのまま他人になり済ませる程、万能なわけではない。基本的には顔を隠し、なるだけ言葉数を最小限に留め、相手を一時だけ騙せるようにするのである。

 人の声は、よほど特徴的なものでない限り、大体は自分が思っている以上に個性がない。相手を騙すのなら臆した気持ちは一切声真似の技術をガルダから習った時、そう前置きされた。よって基本はボロがでない程度に対話するのである。映画のように完璧に相手の顔を真似られるマスクが世に出ない限り、この変装術はあくまでも一時凌ぎだ。

 その程度だからして、当然あっさりバレる時もある。そもそも相手の声質によってはまったく真似られない。例えば澄んだ声の女性などは、いくら声帯模写を駆使しても無理だ。

「まあ、ハッタリでもなんでも今は生きて帰れるなら、なんでもいいって思わないかい?」

 ハヤブサは改めて、三人に向けて手を伸ばした。

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